2016年9月27日火曜日

醤油ストリップ

毎朝、FMラジオを聴いている。どちらかというとAM党だったぼくがFMを聴くようになったのは、今はもう終わってしまったある番組「タックスモーニングレイディオ」のベテランDJが毎朝
「グーーーーーーッド、モオオォォォォニイイイィィィンング!!!!!」
と音割れしない絶妙の絶叫を繰り返しているのを耳にして、なんか、もう、その一生懸命さ、救われるわ……と思ったのがきっかけであった。

彼の番組が終わった後、同時刻ワクでスタートした後発番組のDJはなんというかとてもヘタクソで、曲名は噛むわ、アーティスト名は噛むわ、投稿してきたリスナーの名前は噛むわ、それでいて自分の番組名だけは絶対に噛まないという一貫したがっかりっぷりが美しい。結局毎朝聴いてしまっている。

たぶん、ベテランも若手も、それぞれに叩かれる立場なのだろうな、とか、そういう好き嫌いを超えたところで一本頑張り続けているから、あるいは頑張ろうとしているから、こうしてやっていけているのかなと、上からの目線のような母からの手紙のような、小うるさいサポーターのような何かを演じる日がある。例えばそれが、何もない今日である。

今朝のラジオからは、なつかしの椎名林檎、思い出の幸福論が流れていた。

とある先輩が言っていた、
「椎名林檎の勝訴ストリップ(2枚目のフルアルバム)は、椎名林檎たちが売りまくることだけを考えて徹底的に作りこんだザ・ポップである」
という話を思い出した。そうか、勝訴ストリップの少し前(だったはずだ)にリリースされた「幸福論」の時点で、すでに椎名林檎たちは売れそうなメロディを作ることに長けていたのだなあ、としみじみとする。

今も昔もぼくは音楽の詳しいことがよくわからないし、コードも押さえられないし五線譜も読めないし、口笛がスカることもあるが、今よりずっと音楽経験が少なかった20代前半に幸福論を聴いたときに「キャッチーでかっこええなあ」と感動した曲が、20年弱経った今でも全く変わらない感想をぼくに運んでくることを、ほんとうにすごいことだと思う。音楽の根本的な理論とか、ジャンルとか、先達の作った歴史とか、ぼくらがどういう音楽を好きになりがちなのかとか、販路と販促とか、そういうことはいつまでもわからないけど、売れるものがどういうものかを肌でわかっている人たちの作るものに触れると、ふと「醤油」のことを考える。

彼らにだけ見える「醤油」みたいな絶対の調味料があるのかな、なんにでも「醤油」をかければ絶対にうまくなる、みたいなやつ、そしてきっと「醤油くせぇな」と怒る人たちもいっぱいいるんだろうな、2日も口にしなければ「醤油」が懐かしくなるほど「醤油」の記憶が味蕾に染みついてしまったぼくたちは、「醤油を使っていない料理」を食い続けようとしてもどこかで「醤油」だけは認めてしまうんだろうな、だったら音楽における「醤油」をわかっている椎名林檎の音楽がいつどこで聴いても耳に残ってしまうぼくは、「醤油ってすごいよね」と言い続けてしまうんだろうな。

新しいDJはなぜだろう、がんばって岩塩とかパクチーとかルッコラとかそういうものを駆使して自分の色を出そうとしていて、そうだな、そういう人たちが一人の夜にタマゴかけごはんに醤油をかけている瞬間というのも、味蕾に訴えかける郷愁みたいなものがあるなあと思ったりした。

「醤油」を使いこなす椎名林檎があこがれていたという向井秀徳は魚醤の使い手なのかもしれない。そういえばぼくは美しい女性の前でラーメンを語る時にはなぜか頻繁に「魚醤が利いててうまいんだ」という傾向があるように思う。