2020年4月1日水曜日

あるいはマツコデラックス

ペリスコープを2倍にするとペリペリスコスコープープなんだけど、ともあれ、ペリスコープをはじめて見たときにはけっこう微妙だなと思っていた。

でも、いざ使ってみると、動画をみながら同時にツイートするツールとしてはかなり優秀だ。アクセスも楽だし。

最近は、けっこういいツールだなと思っている。やるじゃん、ペリスコ。




近頃いろいろと興味があって、さまざまな動画配信ツール……というか……ライブ配信ツールをチェックしている。YouTubeも、今のぼくにとっては、ストックされた動画よりLIVEのほうがおもしろい。

金儲けの人たちは口々に、動画がきちんとストックされることで検索で引っかかり、再生回数が累積し、広告効果が出て収益に結びつきやすい……という。

けどぼくは金儲けの人じゃない。だからそこはどうでもいい。

いち視聴者として、ストックされた過去の動画を見るのがつらくなってきた。

「アーカイブを掘る楽しみ」はよくわかる。けれども、目の前にアーカイブリストがありすぎて、目移りしているうちに結局どれも再生しないケースが増えた。




効果音と字幕付きの編集されたYouTube動画は非常に見やすい。その点、いわゆるトップ・ユーチューバーとされる人々の動画は本当によく出来ている。

しかしいまやトップ・ユーチューバーたちは完全に物量作戦に入っている。

「見やすい動画が毎日積み上がっていくせいで、追いかけるにはハードルが高くなりつつある」

これは本末転倒な状態なのではないか……と邪推してしまう。

でもそれでいいらしいのだ、なぜなら、トップ・ユーチューバーたちの動画が毎日積み上がっていくことは、興味・関心の向かう先が少ない人にとってはメリットだからだ。

数個のチャンネルを追いかけていれば、毎日のように新しいコンテンツが注ぎ込まれ、おまけにそのクオリティが安定して高い。

……今思ったけど、これってつまりテレビだよね。




まあYouTubeがテレビ化してようがしてなかろうが、おもしろければいいじゃん、という考え方はわかる。時代にあわせて手法もアップデートされているわけだし。

でもぼくのようなタイプの人間は、接続するチャンネルの数が多い。これは自慢とかじゃなくて、そういうものだと思う、だって中年なんだもの。

いいと思ったものごとが、生きるたびに増えていく。

Twitter, YouTube, Facebook……。加えて、リアルの世界にも書籍があってテレビがあって映画があって。もちろん友人との会話があって。これらをチャンネルとして足し合わせたら、どれくらいになるだろう。スカパーの全チャンネル数? そんなもんじゃぜんぜん足りない。たぶん、1000とか2000というレベル。

現代に生きるぼくらは、桁違いのチャンネルに接続している。

YouTubeのチャンネルごとに、毎日、上手に字幕を付けてジャンプカットを多用してポヨンパインと効果音を付けた短くて見やすくて笑える動画が更新されていく。ぜんぜん追いかけきれない。選択肢がほとんど無限なんだ。

ぼくらはなんらかの方法で有限化しないと、遊興できない。

ポケモンをいくらもってても、サトシはいう、「君に決めた!」と。

チャンネル1000個の中から「君に決める」にはどうするか?




有限化のやり方は人それぞれだろう。

ぼくの場合は、増え続けるストックすべてに目を向けることをあきらめて、[LIVE]という価値が上乗せ(?)されたコンテンツを中心に見るようになった。

なぜ[LIVE]がいいのかはわからない。

編集されていない分、つっかかったり胃もたれしたりすることもある。

でも、これはたぶん理屈じゃない。ぼくは有限化する手段を[LIVE]にしたのだ。

そういえばTwitterも、かつては「あとからタイムラインを追う」ことをしていたけれど、フォロー数が10万を超えて、リスト内にも数百のアカウントがひしめいている今、過去ツイを追いかけることはほとんど不可能に近い。

もちろんこれはぼくが望んでそのような状態にしただけだ。

たとえば、お気に入りの俳優やバンドマンだけをフォローしている人、フォロー数が少ない人であれば、タイムラインをあとからさかのぼることはできるだろう。これは有名な話だが、Twitterは「今どうしてる?」のツールとは限らない。「さっきまで何してた?」というモチベーションで有名人のツイートを探しに行くことが可能だから。

けれども、ぼくは自分でも気づかないうちに、Twitterでも[LIVE]を重視しはじめていた。「今どうしてる?」どころか、「今ここにいるやつは何を言ってる?」という使い方に、どんどん偏っていく。





もちろんぼくだって、ラーメンズのお笑い動画や一流の落語、公式の音楽PVのように、何度も見て楽しめるコンテンツも、もちろん知っているし、たまに見ることはある。紅の豚のDVDを持っているし、水曜どうでしょうのDVDも持っているし、映像研には手を出すなのブルーレイも予約した。

一切ストック情報から足を洗ったわけではない。

けれども、脳のインデックスに溜まった「いい動画」を、だんだん覚えきれなくなりつつある。コンテンツが充実しすぎてかえって死蔵状態。





情報源に対する接続が過剰だと、結局どれも摂取できない状態になる。

HDDに大量にとりためた昔のお笑い番組の録画も、こないだすべて消してしまった。もう見ることもないだろうと思ったのだ。この先どうしても見たくなるほど優秀な作品は、いずれサブスク的にどこかにアップロードされるだろう。

「ばかだなあ、そうやって見られなくなった番組がどれだけあると思っているんだ」

そういうオタクの意見はとてもよくわかるけどさ、見られなくなった動画が無数にありすぎて、もはや覚えていられないんだよ。





「過去をみかえす」よりも、今この瞬間にどこかでやっているんだよと、[LIVE]の文字が躍る放送をみたほうが、なにか新鮮でうれしい気分になる。

世間を見渡してみれば、インスタライブなんてのはまさにそういうツールだ。

1日でデータが消えてしまう。ストックを一切考えない。

「たまたまヒマな人が同期して時間を共有する」。

「同期」がキモなのだと思う。




こういうことを考えるよりも少し前、ぼくが以上のことを言語化する前から、ぼくのツイート数は多くてさかのぼりにくいと文句を言われていた。

最近はそうでもないけれど。

「せっかくいいことを言っても、ほかのツイートが多すぎてさかのぼれないんですよ」なんてことを、よく言われた。

けれどもぼくがやりたいことはそういうことじゃなかったのだから仕方がない。

ぼくは[LIVE]の使い方をしてしまっている。




ああ、そうかそうか、じゃあ情報をどこかにストックするやり方もやらんとなあ、なんて思って、毎日ブログを書いてしまっている。複数のnoteを作ってしまっている。

……これじゃストック過剰なんだよな。あはは、結局、一番新しい情報しかアクセスされない。




ぼくはつくづく、ストックがマッチしないタイプなのだ。

となると情報発信で狙うべきは、毎日顔を見るけど、本人が大事な情報を放つわけではなく、しかし、その人が紹介したものがけっこう世の中に浸透するという、そういうタイプのポジションなのだと思う。





タモリか……。つまりテレビの覇者なんだな……。