2020年3月31日火曜日

病理の話(429) わずかな引っかかりに心を止めて診断するということ

顕微鏡をのぞく。

これは胃生検だ。胃カメラを用いて、胃の粘膜をつまんでとってきたものだ。

「なぜ、消化器内科の医者は、ここをつまもうとしたのか?」

まずこの違和感をきちんと抱えておく必要がある。何もない胃粘膜をつまむことは(「シドニー分類評価」や「潰瘍性大腸炎の上部消化管フォロー」などの特殊な目的を除いては)基本的にない。

理由なくつまんでくることはない。

だからぼくは、消化器内科の医者が病理医に向けて書いた依頼書の文章を読む。

「つまんだ理由」がいろいろ書いてあるからだ。

・そこだけ色が違った

・そこだけ盛り上がっていた

・そこだけわずかにへこんでいた

・そこを中心に引きつれていた

・そこを中心に引きつれていて、さらに引きつれの周りにぼんやりと色調の異なる領域がみえるように思えた

……どれもこれも似たようなことを書いているように思えるが、この文章をみた時点で、思い浮かべる「顕微鏡像」の種類が変わる。




たとえばこんなかんじだ。

・そこだけ色が違った
 →粘膜の中にはうっ血があるのではないか?
 →あるいは粘膜の中に炎症細胞が詰まっているのでは?
 →あるいは粘膜の中に炎症細胞以外のものも詰まっているかも?

・そこだけ盛り上がっていた
 →粘膜が分厚く変化しているはずだ
 →粘膜の中の何が分厚くなっているかはともかく

・そこだけわずかにへこんでいた
 →粘膜の成分のいずれかが失われているのだろう

・そこを中心に引きつれていた
 →粘膜や粘膜の下に、「線維」があればそこは硬く、厚くなり、引きつれてくる

・そこを中心に引きつれていて、さらに引きつれの周りにぼんやりと色調の異なる領域がみえるように思えた
 →まわりと比べてなにか違うものがそこにはあり、さらに「線維」もできているのではないか……?




このように、依頼書に書かれているものから、あらかじめ「どのような顕微鏡像が出てきうるか」を考えて、脳内に仮想顕微鏡風景みたいなものを浮かべておく。

そしてあらためて顕微鏡をみる。




そこで出てくる違和感こそがほんものだ。絶対に逃がしてはならない。






たとえば、依頼書は「へこんでいる」と書いてあるのにもかかわらず、顕微鏡をみると粘膜の中に何かが増えているように見える場合。

それが仮に、一見して、がんのような「やばいもの」ではなさそうに見えても、予想したものと現実に見えたものの間に違和感があれば、そこは必ず言語にして突き詰めておくべきなのである。



「粘膜のへこんだところを採ったのに、つまり、へこんでいるというからには成分が減っているはずなのに、なぜこの粘膜の中には、ある種の細胞が均質に増えているのだろう……?」

「ある種の細胞はぱっと見、リンパ球、すなわち炎症細胞だ。炎症があってへこむこと自体はあっていい。だって、炎症があれば粘膜は削れることがあるからね。でも……ぼくは今、この顕微鏡像をみて、いつもの炎症とは異なる印象を得た。なぜかわからないけれど、リンパ球がただあるンじゃなくて、すごく増えているような第一印象だった……。」



「なぜぼくは違和感をもったのか?」




「ああ、そうか、均質すぎるんだ。普通の炎症であれば、リンパ球はほかの炎症細胞、たとえば好中球とか好酸球などと一緒に出現しているはずなのに、ここにはリンパ球ばかりが見える。」

「しかも、粘膜のへこみから普段採取されるときのリンパ球の出方じゃなくて、なんとなく、周りの粘膜成分よりもあきらかにリンパ球の方が優勢な見え方をしている。これが普段だとあまり出てこない違和感の正体だ」




「よし、免疫染色を追加して、この違和感の正体を徹底的に探ってやろう。」






と、だいたいこのようなかんじで、病理診断は進んでいく。ちなみに今の例は、胃の悪性リンパ腫(なかでも消化器内科医がリンパ腫とは気づかないことがあるタイプ)を想定して書いたフィクションである。








さて本日の記事の中に、違和感をいれておいた。1箇所だけ、「ん」が「ン」になっている場所があった。気づいた人もいただろう。ぼくは普段、ブログではそういう書き方をしない。

病理医になってまだ日が浅い人は、顕微鏡で見つけた違和感を、「なんかここだけカタカナだなー、なんでか知らんけど」で流してしまいがちである。

病理医になっていろいろ経験していくと、「なぜここに突然カタカナのンが出てくるんだろう。何か理由があるのか?」と、周りに目を向けたり、日頃のぼくの書き方を思い出したりと、思考をさまよわせて、自分のつまづいた違和感を放置しないようになる。




思い込みで一心不乱に思考をするときほど、病理診断がうまくいかなくなる。

わずかな引っかかりに心を止めること。

違和感を言語化して、なぜ自分がそこに引っかかったのかを追い求めること。

これは病理医にとっての必須能力とすら言える。うそだと思うなら周りにいる病理医に尋ねてみるといい。






周りに病理医なんていねえよ、とつまづいた人はぜひ、思考をさまよわせてみたらいいと思うのだ。