あとから追い掛けて追い掛けて、しばらく追い掛け続けてはじめて「前に走ってる人のすごさ」に今さら気づくことがある。
第一印象でうわぁすごいなーと思っていた人を長年フォローしているときに、しばしば起こることだ。
最初気づかなかったすごさが後から後から湧き出てくる。いつまでも感動を更新することになる。
すごい人のすごさに、初対面ですべて気づけるわけがない。
当たり前なのだけれど、知れば知るほど感心してしまう。
人間だれしも、長く付き合えばその人の見えていなかった一面がどんどん増えていく。もっとも悪いところばかりどんどん見えてしまうケースも多いとは思う。
いいところを探そうと思ってずっと見続けていると、いいところばかりが目に入ってくる。
悪いところを探そうと思っていると、どんどんその人のことが嫌いになる。
好悪それぞれ順繰りに増えていくということはまずない。どちらかに偏る。
人間が何かをみるときには、その対象の一側面しか見えない。だから、一度見始めると、どこまでも片面ばかりを見てしまうのだろう。
サイコロを3面以上同時にみるためには、鏡のような道具を使わないといけない。6面いっぺんに見通すことはできない。
この、「できない」ということに自覚的ならばまだいいのだが、人間というものは、
「3面見られれば十分だよ、だってサイコロは、反対側にある2つの面の数字を足すと必ず7になるんだから。2の裏は5。1の裏は6だよ。全部みなくても大丈夫」
という言い訳を用意しがちだ。そして、サイコロの目をぜんぶ確認することを怠るようになる。
そこにある立方体の3面に、それっぽい○がいくつか穿たれていたとして、それがサイコロである保証などない。
でもぼくらは無数の情報に囲まれて生きているから、自分が目を向けた方にある物体の一側面以外を見て回る余裕なんて、本当はないのだ。
昔ドラえもんに書いてあった問い。
「なぜ人の目は前についているかわかるか?」
これの答えとして、のび太の学校の先生はこう言った。
「前へ前へと進むためだ」
のび太はジーンとする。
「なぜ人の目は前についているかわかるか?」
「いっぺんに全部はみられない、だから片方につけておく。目がついている方を前とする。それで納得して進めるならいいじゃないか」
うん、のび太の先生のほうが教育的だな。さすが先生だなあと思う。医者はそういうところを見習ってもいいのかもしれない。先に生きると書くくせに、おいかけてばかりだ。