2020年3月16日月曜日

病理の話(424) むずかしい病気を見る

臨床医が困り果てて、病理検査室に電話をかけてくることがある。

頻度としては月に2回くらいかな。最近みんな困ってないなという日が2か月くらい続くこともあるし、毎日誰かが顔に深いシワを刻んで考え込んでいる週もある。ならして平均すると月2回といったところだ。

先に言っておくけれど、あまりいいことではないよ。だって、臨床医が困っているということは、患者も困っているのだから。

そうとう、診断が難しい、ということだから。あるいは治療選択がナイーブすぎて悩むということもある。




臨床医は基本的に、病理診断をぼくらに依頼するとき、いちいち電話などしてくる必要はない。

ちゃんと「病理診断依頼書」というのがあって、そこに必要事項を書き込んでおけば、あとは患者から採取した検体をホルマリンに入れて(※ごく一部の病気の場合にはホルマリンに入れないで)病理検査室に届ければよい。会話する必要はない。流れ作業でいい。

それでも、なお、電話がかかってくることがある。どうしても伝えたい思いがあるのだ。あふれて止まらないのだろう。

停滞して鬱屈した思いを受け止めて、衝突した思考をどちらかに流して、再び臨床医の創意工夫が回転するように仕向けること。

これこそが、病理医の最も大事な仕事のような気がする。気がしただけです。




トゥルルルルル

電話が鳴る。

……今くらいの音が鳴るのは、ぼくがそうとう調子が悪いか、あるいは別に電話をとっているときだ。

普段はこう。

トゥルガチャ「はい病理市原です」。

ぼくのデスクの横には電話があるから、鳴ったらすぐとれる。昔の卓上電話というのは、鳴る前に「ン……」と少しなにか「予感」を漂わせるんだよね。中年ならわかるかなその感覚。ぼくはこの「ン……」で電話だとわかるのだが、そこで受話器をとると高確率で先方にキモがられるので、いちおうコールが1回鳴るまでは受話器を取らないようにしている。

というわけで。




トゥルガチャ「はい病理市原です」

臨床医「うわっもう出たキモ……あっすみません市原くんですね、今いいですか」

キモ「いいですよ(院内電子カルテを開いて、患者IDの検索画面を出しておく)」

臨床医「IDが、○○○○○○○……」

キモ「はいこちら、○歳の男性、受診契機が……ええと……」

臨床医「腹痛なんですよね。いろいろあってCTとったら全身に△△があるんですけれど、皮膚の△△は~~で、肝臓のほうはそうでもなくて、縦隔はたぶんべつもので。なんかしっくりこなくて……それで皮膚生検をすることにしました」

キモ「病名としては何を疑ってますか?」

臨床医「正直に言っていいですか?」

キモ「感情を込めて言ってください」

臨床医「……わ か ん な い で す(棒読み)」

キモ「俺に丸投げかよ」

臨床医「いや、感情の込め方がです。疑い病名はあります。しかし、しっくりこない。だからもう、病理で皮膚を見てもらった方が早いかなって」

キモ「ではその疑い病名聞かせてください」

臨床医「A……。あと、B……。そして、悪性のC……。」

キモ「……そのセットであなたが疑うシチュエーションということは、Dもかんがえておいたほうがいいのではないでしょうか

臨床医「あっ、D、そうですね、D、そうか、D……あれ? D……これ、Dか?」

キモ「それはたぶん皮膚生検でわかるでしょうね」

臨床医「あれ、Dか、だったら皮膚生検いらないな、Dですねこれ!」

キモ「いやたぶん皮膚生検はしたほうがいいと思います。だってCとDは結局生検しないと区別できませんよ」

臨床医「あっそうか、じゃ、やります。そういう検体が今日届くんで、よろしくお願いします」

キモ「……念のため聞きますけど」

臨床医「はい」

キモ「あなたそれぼくに考えさせて、病理診断を早く出させるために、芝居うってません?

臨床医「まさかーはははそんないやいや鑑別診断あげるのは臨床の仕事ですからハハハ別に市原くんにそこまで事前情報与えてどうこうしようなんてhahaha考えてました」

キモ「すごい感情籠もってた」






診断がむずかしい症例というのはある種のレアケースなので、特定の例をモデルに今の話を書いたと思われたくなくてあちこち伏せ字にしてしまったが、ぼくは実際に、「臨床医が芝居を打ちながら病理医を診断行為に巻き込もうとしたケース」を何度か経験している。実際にはこの会話ほどフランクではなくて、もう少し、コスい。あるいはテクい。おそらく臨床医は今日も、病理医に向かって「いつもお世話になっております」と呼びかけながら、その実、病理医をお世話している。病理医に情報を流して、病理医に顕微鏡やプレパラートだけを見てもらうのではなく、臨床医と同じ情報を違う視点から見る次郎冠者としての役割を担わせようとしている。



それにのっかるのが病理診断医の仕事のひとつである。ある意味、楽しくダマされるつもりでやっていったらよいのではないかと思うのだ。顕微鏡だけ見られれば病理医になれるわけではない。もっとも、顕微鏡すら見られない病理医には誰も用はないのだが。