2020年3月18日水曜日

病理の話(425) 病理医になるにはどうしたらいい

……という質問をぼくが受けることは、実は少ない。あいつ病理医じゃないから、ツイッタラーだから、くらいの立ち位置なのでしょうがない。ツイッターにはほかにも病理医がいます。

でも、ちょっと書いておく。今日は覚え書きっぽくする。最近、病気の話を直接書きまくっていたので、箸休めだ。かるーく書こう。



【病理医になるにはどうしたらいい?】



1.病理医になりたいと思うその気持ちはなんなのか。そこを深く考えると病理医じゃなくてよくなってしまう。なぜなら、病理医のやりがい、生きがいは、他の仕事をしていると絶対に感じられない類いのオリジナリティあふれるものではないからだ。だから考えないでほしい。どうかそのまま。ふわっと病理医にあこがれていてほしい

2.ああ、もうこの1つめで、えっ、病理医ってそこまで特殊な職業じゃないの? とか、あるいは病理医ってそこまでおすすめされない職業なの? とか、考えて迷ってしまった若者がいるかもしれない。申し訳ない。先に言っておこう。この仕事は、迷わない人にはおすすめできない。常に思考が何かに衝突して、どうしよう、なぜだろう、どうなってるんだろう、どうしたらいいんだろうと考え続けるタイプの人にこそ向いている職業……いやまあ向き不向きはそこまでがしっと決まってるものじゃないからどうでもいいや。今の文章は読まなくてもいいです(先に書け)。

3.でも、まあいったん向き不向きの話をしてしまうとまずはそこを気にしてしまう人もいるだろう。大人はすぐに「向き不向きじゃないんだよ」とかいう。でも多くの人が気にしてるってことは、やはり「向き不向き」という話に何か人を惹き付ける命題みたいなものがあるんだと思う。だからやっぱり、病理医に向いているキャラクタというのは何か、というのをおおまじめに考えることにしよう。そのキャラクタとは、たぶん、「おおまじめに考え続けることができる」ということだろう。実際、病理医は臨床医と組んで、ヤマイの理(ことわり)をずっと考え続けていくポジションである。病理医は将来AIによって駆逐されるのではないかという都市伝説をたまに聞くのだが、AIは答えを確率で提示してくれるだろうけれども、臨床医と共に考え続ける相方の役割まで果たす日がくるとしたらそのときは世の中に先にドラえもんが爆誕しているはずだ、そこまで現行のAIに期待するのは酷である。当座、AIは話し相手にはなりづらいはずだ……まあ今でもすでにSiriと対話することは可能だけれど、それにしてもだ。というわけで、病理医はまず対話の相手として重要だ、という前提を共有してもらいたい、かつ、ここに職能としてもうひとつ加えなければいけないものがある。それが「考え続ける」ということ。相方として役に立つためには、病理医はとにかく考え続ける必要がある。だってそれこそが役割なのだ。そしてこれは、病理医が病院の中ではほとんど唯一といっていい「患者に手を施さなくてよい医者」であり、「手技をしなくていい分ずっと考え続けることを許された職業医師」だからこそ可能になる職能でもある。職業の性質として考え続けることが可能になる。今ぼくがシレッと「可能」と書いたところをもう少し深掘りしたい、そのためには、古来より問われ続けている次の命題、「考え続けることは才能だろうか」を先に解く必要がある。考え続けることができるというのは才能だろうか? ぼくはそうは思っていない。むしろ考え続けるために必要なのは才能よりも環境のほうだと確信している。そもそも、考えるヒマもなく何かをこなしていかなければいけない人は、どれだけ才能があろうとも考え続けることはできないのだ。人は誰もが考え続ける能力を持っているが、それなりの環境に置かれないと、「考えるための環境整備努力をすることに疲れてしまい、思考が停止する」のである。災害時などに頭が真っ白になった経験はないか? 死ぬほどめんどうな事務作業をこなしているとだんだん脳が平坦になっていく感触を覚えたことはないだろうか? その点、病理医は非常にめぐまれたポジションにいる。細胞のことを勉強したり、病気のことを勉強したり、診断や分類のことを勉強したりすることがそのまま給料に結びつく特殊な仕事。傷を縫わなくて良い、電子カルテにサマリーを書かなくてよい、患者と話さなくてよい、抗がん剤を選ばなくてよい、手術をしなくてよい、ここには考えるための環境が整っている。さあ病理医、存分に考えたまえ、という場所でぼくらは毎日顕微鏡を見たりパソコンをバカスカ打ったりツイッターに魂を売ったりできる。ここにいれば、さほど大きな才能がなくても、誰もが考える環境を手に入れることができる! ああそうかつまり、自分で書いていて思ったが、この職業に向き不向きなどやっぱりないのだ。必要なのは圧倒的に「この環境に収まる覚悟」。「考え続けることがどういうことなのかを想像しながら、考え続けることができる環境を選んでそこに足を踏み入れること」なのだ! ああ、そういうことだったのだ! ぼくは長年の疑問がひとつ解けた気がする。ぼくは向いているから病理医になったのではなかった。めぐりめぐってこの環境に流れ着いたから考え続けることができるようになったのだ! ではどうやってこの環境に流れ着いたかというと、

4.医学部に入って考えた。そしたら一定の割合で、ここに流れ着く。偶然であった。