2020年3月6日金曜日

病理の話(421) 膵管生検を見る

先日小学生に取り囲まれた。「おいちょっとジャンプしてみろ」と言われたのでジャンプした(チャリンチャリン)。「何かおもしろいこと言え」と言われたので一人で四千頭身のコントをやった。すると何が気にくわなかったのかはわからないが拳や足でめったうちにされた。そのあとアンパンマンに出てくるカバオのマネをしたら少し許してくれた。

つまりはそうやっていじめられていたのだが、一人の子どもが「医者なら体の中にある全部のナイゾウを今から言え、言えなければ靴紐をへんな結び方にする」と極めて残虐なことを言った。そこで頭頂部から足のつま先までを思い浮かべながら考えられるすべての臓器を口にしたら小学生たちはちりぢりになって逃げていった。世に言う長坂橋の戦いである。なお靴紐はひそかに解かれていた。

さてこのとき、子ども達が「おおー」と反応した臓器としては、下垂体や副甲状腺などがある。逆に、心臓や肺は驚かれなかった。腹の中にあるたいていの臓器のことはみな知っていた、小学生はなかなかあなどれない。胃とか肝臓などと言うと、つまんねえと殴る蹴るの暴行に及ぶなどした。しかし、あまり知名度がなかったのは膵臓(すいぞう)。あることは知っているが何をしているかはしらないという子どもが多かった。膵臓にはロマンがあるらしい。

膵臓はかなり強力な酵素を作る臓器である。また、酵素とは別にホルモンも作る。専門的な用語でいうと、外分泌臓器と内分泌臓器がフュージョンしている。……今の一文の中ではフュージョンという言葉がもっとも専門的に見えるが実はこれはぼくがちょっとかっこいいかなと思ってまぜた非医学用語なので気を付けて欲しい。専門的なのは外分泌と内分泌のほうだ。フュージョンは天下無敵の合体おとうさんである。……その話は今日はしない。

膵臓が作る酵素は、タンパク質を消化するはたらきがあって、膵液(すいえき)というサラサラの液体に含まれている。体の真ん中、胃の後ろやや下側に位置する膵臓は細長くて、小樽にある「かま栄」で売っているある種のカマボコにやや似た形状であり(わからない人はわからないまま人生を歩んでください)、中身がしっかりと詰まっているが内部には直径2~3 mm程度の膵管(すいかん)と呼ばれる管が貫通している。まあたいていの臓器には何かしらが貫通している。なぜかというと、カタマリを作っている臓器が作り出した物質を外に出すための通路が必要だからだ。肝臓の中にも胆管が貫通しているし、副腎の中には血管が貫通しているのである。ちなみに貫通している、と書くと医学めいてくるので専門的な文章が書きたい人はひたすら何かを貫通させるとよい。よくない。



膵臓は十二指腸という臓器に頭から突っ込んでいて、膵液を作っては十二指腸の中に流し込む。もちろん、膵管を通じてだ。大変に重要な臓器だが、低確率でがんが出現する。たいていのがんは膵管から出てくる。なので、膵臓のがんの検査を進めるときには、膵管の中から細胞を採取してきて、病理医にみせる必要がある。ようやく病理医が出てきた。



さて膵管というのは先ほども書いたが直径が2 mmそこそこしかない。

そこに極めて細いマジックハンドもしくはブラシ的なものをつっこむ。膵臓自体をぶち壊さないように気を付けて。そして採ってくる細胞……これが……そうそういっぱいあるわけはないのだ。

イメージでいうと、インスタント珈琲を飲み終わったあとにカップの下に沈んでいる沈殿物があるだろう。あれを指でそっと触る。そしたら指先に粉っぽいものがいくつかくっついてくる。だいたい膵管から採取してくる細胞なんてのはああいう粉に近い。たまにでかい粉もある、くらいのものだ。粉ごときで、がんか、がんでないのかを判断しなければいけない。そういう仕事がある。

で、その粉を、ただガラスの上に載っけて顕微鏡でみる細胞診という検査もあるのだが、病理医は粉をさらに斬鉄剣でうすぎりにして、ペラッペラにしてから断面を見るということをする。こちらの断面観察のほうが一般的だ。

ちょっとしか採れてないから細胞の性状がわかりにくいこともある。すると、病理医はときに以下のようなレポートを書かねばならない。

「不十分な検体(insufficient material)。診断できません」

でもね、患者からすると、苦しい思いをして膵臓から細胞を採ってきて(膵臓まで到達する際に、胃カメラを十二指腸まで押し込んで、十二指腸から膵臓に向かってアプローチすることが多い)、その結果が「不十分」と言われるとくやしいではないか。

実は内科の主治医もくやしいのである。くやしいどうしがぼくのほうを見て、すねを蹴ってくる。

だからここで病理医は必殺技を使うのだ。これは本当に強力だから覚えておくといい。まあ病理医以外が覚えたところで活用する機会はないけれど。

それは、「再度斬鉄剣」である。

「斬鉄剣リターンズ」だ。

「斬鉄剣 2nd season」でもいい。

要は、プレパラートを作り足すのだ。




粉のように細かい標本を斬鉄剣で斬って断面を見る、といった。しかし斬った粉がそれで完全になくなってしまうとは限らない。粉がさらに粉微塵になったものがまだ残っている。それをさらにプレパラートにするのである。Deeper serial section(深切り連続切片)などという。

粉を再度斬ったところで粉じゃねぇか、と思うかもしれないが、細胞というのはそもそも直径が数ミクロンしかないものなので、粉を切り直すだけでもけっこう様相が変わるのである。そうやって病理医は必死で、微小な検体から情報を増やす。「もし、がんがそこにあるのなら、絶対に見逃さない」ために。

限界はある。しかし限界を決めるのが我々であってはいけない。




靴紐を結びます。