2020年3月25日水曜日

病理の話(427) 苦手な臓器の診断を担当しなければいけなくなったら

病理診断医の仕事はいたってシンプルで、臓器をみて細胞をみて、診断名を決めて分類をして、臨床医と会話してキャッキャウフフしてればいい。

あ、でも、病理医と呼ばれる者の中には、細胞を顕微鏡でみて診断するのではなく、もう少し学者的な……細胞を研究して病気の理(ことわり)を解き明かすほうが得意な医者もけっこういる。そういう人たちはそういう人たちで、実験室でキャッキャウフフしている。

どちらもキャッキャウフフしていることにかわりはない。……ただし。

細胞を顕微鏡で見る派の病理医と、実験室で細胞を相手にする派の病理医は、外面が同じキャッキャウフフに見えても、やっていることがまるで違う。

IT企業で営業をやるのと、青果卸売り業者で営業をやるのとでは、同じ営業といってもノウハウも人脈も飲み方もまったく違うだろう。それといっしょだ。





今の例では、病理医を「細胞の診断が得意なタイプ」と、「細胞の実験が得意なタイプ」にわけてみた。病理医にもいろんなタイプがいる。

顕微鏡診断と基礎実験を両方やろうとする、二刀流タイプにあこがれる学生もいる。実際に両方やっている病理医も多い。ただ、顕微鏡と実験を両方やろうという人は、実はある裏技を使っていることが多い。それは、

「得意な臓器のときだけ顕微鏡をみて、自分が苦手な臓器の診断はそもそも担当せずに人に任せてしまう」

ということだ。

マジで多い。

というか現在の病理医はほとんどこうである。マンガ『フラジャイル』の野球回(なんのこっちゃと思うかもしれないがそういう回がある。温泉回の次に酷……人気がある)でもこの話が出ていた。




人間の知性には限界がある。病理診断は複雑化しすぎていて、ひとつの臓器のひとつの病気を勉強するだけでも人生が終わりかねない。まして、顕微鏡診断と、遺伝子解析を両方やろうなんて……。

だから専門ごとにきっちり分けていけばいい。

というかそうせざるを得ない。実際そうやって今の診断は回っている。

ここでの問題は、専門ごとに病理医を細かく割り振るほど、病理医の頭数が足りない、ということにある。

専門ごとに病理医を細かく分けてしまうと、現場で病理診断をする人の数が足りなくなっていく。胃の病理の専門家は大腸をみません、とか、肝臓を専門にやっているので子宮はみません、だと、まるで日常の仕事が回らない。

臓器の種類だけ病理医がいては困るのだ。もう少しかけもちをしてくれないと。

おまけに、「ぼくは肝臓の中でもがんじゃない肝臓の病気が専門です」みたいな病理医も実は多い。肝炎にめちゃくちゃ詳しいけれど肝臓がんの診断はそこまで詳しくない病理医。肝臓だけで何種類の病理医が必要なのだろうか!




と、まあ、この構造というか問題点はほとんどの病理医はよく理解している。そこで、すでに改善点も考えられている。

1.自分が専門としていない臓器の診断であっても、専門家に正しくつなぐべきケースを見極められるように、あらゆる臓器に対して最低限度の勉強をしておく。自分でも診断できそうな「典型例」と、自分だけでは診断が難しそうな「非典型例」を見分けられるようになる。

そもそも「病理専門医試験」では全臓器の病理知識が問われる。つまり、病理専門医の資格を取るくらいの勉強をしていれば、少なくとも一度は全臓器の病理を覚えたはずなのだ。

まあ人間はすぐ忘れるから、がんばって勉強をし続ける。そうすると、絶対に専門家じゃないと診断できないような難しい例を除けば、だいたいどんな臓器でも診断できるようにはなる。

……スキルとして求められるのは、「絶対に専門家じゃないと診断できないような難しい例」を見極める能力だと思う。自分が無知のあまり、「なーんだかんたんじゃん」とてきとうな病理診断を下してしまう超難解例、みたいなのがあるとめちゃくちゃ問題になる。「珍しいものを珍しいというための知識」を集めておかないといけない。


2.オンラインを駆使して専門家と常に横の繋がりをたもち、自分がわからない臓器の診断がきたらすかさず得意な人に丸投げする。

このほうが現代風でよさそうに聞こえるだろう。ただしこの方法には大きな弱点がある。自分の仕事を他人にばかり投げていたら、そいつはいったい病理医として雇われている価値があるのだろうか、ということだ。他人に頼るためには自分も誰かに頼られなければならない。「全臓器をみないかわりに、一つの臓器・病気についてはいつでも頼ってもらえるくらいすごくなる」ことが必要なのだ。これってけっこうプレッシャーだと思う。





最近の病理医はだいたい1と2を併せ持っている。ぼくは市中病院に勤務しているが、1と2を併せ持たないと、医学の進歩においていかれて診断で重大なミスをしてしまうだろう。とにかく自分が成長する。そして人に頼りまくる。おまけに人から頼ってもらう。そこまでやってようやく「顕微鏡診断で中堅どころ」といえるくらいのポジションだ。

もはや基礎研究についてはコメントできない。ジェネラルな病理医を目指してはいたが、いつのまにか、病理学の一部については全くついていけなくなっているのである。なかなか悲しいことだ。まあ勉強は続けるけれども……。