応援して尊敬して深呼吸したらいいと思う。ぼくはそういうことをかつてつぶやいたのだけれど、あまりに、あまりにも、批判と軽蔑と怒声が多いのではないか、と思ったのだ。
そしてこれはもっぱら自戒なのである。
ぼくは10万人近くの人々をツイッターでフォローしている。これはひとつの町くらいの規模だ。テレビを見ながらタイムラインをぼうっと眺めていると(特に表示を選別しないサードクライアントがいい)、たいていのテレビ番組には誰かが反応している。人気スポーツの国際試合があれば多くの人が。マニアックなアニメを見ていても少数の人が。
だからなんとなく社会の縮図を見た気にはなっている。けれどもそれは間違いだ。
ぼくがフォローしているアカウントの大半は、「フォローされたこと」をきっかけにぼくからフォローを返している。
ということは、少なくともぼくがフォローしている人というのは、ぼくことを一瞬でもよいと思った人ばかりなのだ。
タイムラインが荒れているということは、かつてぼくの性質と近いものを感じた人が「荒れている」状態を指す。
そこが荒れているならば、ぼく自身も、いつ荒れてもおかしくない。
ぼくが「応援と尊敬と深呼吸をしたらいい」と思うとき、それは、ぼくに向かって言っている。ぼくの何かを反映した人たちにそれが必要だと思っているのだから。ぼくのことばはいつでもぼくに向けられている。
それを見て「そうだな」と思う人が、主にぼくをフォローしているはずなのだ。自戒すればおそらく人の役にも立つだろう。
そこまでである。そこまででしかない。