2020年3月5日木曜日

非日常って雑な言葉ですよね

あらゆる出張がなくなっているのでちまちまと論文を書いたりしている、それでもまだ時間は空くのだ。思ったよりも外出するタイプの仕事が多かったのだな、とあらためて気づく。

これだけ家にいる時間が長くなったらブログなんていくらでも書けそうなものだが、いつもと暮らし方が変わってしまったせいか、ブログの書きためストックはぐんぐんと減っていく一方だ。ひまだから書けるというものではまったくないらしい。そういうのは作家のサボりの言い訳だと思っていた。ぼくは作家ではないのに同じ気持ちを味わうことができる。一種のVRだ。違うけど。

ぼくはそもそも書く職業ではない、と言うべきなのかもしれないが、病理医というのは結局のところ文章で人を納得させる仕事なので、一周回って本職は書く仕事だと言い切っても差し支えない。先日、先輩と話していて、ぼくはおそらく1か月に10万字くらいの文章を作り続けているという話になった。まあそんなものだろう、この仕事をしていれば。とにかくキーボードを壊す。

医師免許を取ってもうすぐ17年目の春がくる。博士課程の4年間を除けば、病理医として没頭して13年目だということだ。干支が一回りするくらい書き続けているのだから、そろそろ、脳がいやよいやよと言っていても指が勝手にブログを書くくらいでちょうどいいはずなのだけれど、そうはならなかった。たぶんこの先もそうはならないだろう。本職は書く仕事だ、しかし、本能で書く人間ではないのだ。そんな人がどれだけいるのかぼくにはわからない。書く仕事と隠し事とは同じひらがなで作られているのだな、もう10万回くらいどこかで言われてそうな話だけれど今知った。

時間と内容に制限がかかっているときのほうが何かをきちんと書ける。時間は空いているし何を書いてもいいよと言われても立ち往生だ。立ち往生している最中の気持ちと向き合うことはけっこうおもしろい、だからだろうか、こうしてブログのような場所をずっと設けている。ホームページ・ビルダーの時代からだ、かれこれ20年くらい、句読点の打ち方と改行の仕方がわからないままに、

えんえんと誰にほめられるでもない文章を書いている。



世にはそこそこな割合で、Twitterを気持ち悪がる人がいる。誰にともなくつぶやいて何になるの、などと言われる。けれどもぼくはブログのほうが、ホームページのほうが、魔法のiらんどのほうがずっと気持ち悪かったのに何をいまさら、と思う。いまさらTwitterなんかを揶揄しているのか、世の人々は、遅れてるな。一方的に破裂して散っていく文章を直視しないから、その程度の浅い語彙で気持ち悪がっていられるんだ。見くびって欲しい。