2020年3月11日水曜日

鼻毛萌え

友人からのLINEにあったのだが、なんで鼻毛って抜くと痛いんだろうなということを考えていた。この話は「病理の話」でやってもいいんだろうけれど、くだらないのでこちらでやる。

たぶん「抜かせたくない」んだろうな。

今のところそういう結論になる。「誰が」抜かせたくないかというとそれは……ええと……自然の摂理というか……遺伝子にとってそっちのほうが有利だったというか……

ここまで書けばピンとくる人もいるだろう。鼻毛を抜いても痛く感じない人類と、鼻毛を抜いたら痛い人類が昔いたのではないかと思う。なぜその2つにわかれたか? いや、2つだけじゃなくて、きっといろんな人がいたのだ。ちょっと蚊に刺されるだけでも激痛で動けなくなってしまうタイプの人間(?)もいたと思うし、髪をぜんぶひっこぬいても平気な顔をしているタイプの人間もいたんじゃないかな。

でもそういう人たちはみな、生き残るうえでちょっとだけ不利だったのだろう。あくまでちょっとだけだ。でも長い時間をかけてそういう「ちょっと不利な人」は淘汰された。

髪の毛がないからといって直ちに生命に危険が及ぶモノではないということは、世の中にこれだけ坊主頭の人やはげ頭の人が平気で暮らしている事実を思えばだれもが理解できるだろう。それでも、長い年月の中で、「髪の毛を抜くことに抵抗感のない人類」は、ちょっとだけ生き残りにくかったのではないか。

それは頭部に対する物理防御的な意味かもしれないし、あるいは、保温とか保湿とか、顔面を含めた頭部のメンテナンスの意味でも不利だったのではないかと思う。常在菌、体感センサー、いろいろな意義があったのだと思う。別にかみさまが意図を持って生やしたわけではなくて、生えていることでけっこう有利なことが「結果的に」多かった、というのが現代の科学が考えている「説」である。

で、ま、鼻毛も、できればそのまま生やしておくべき機構だったのだ。だから抜くことはあまりいいことじゃないんだよという意味でアラームセンサーを残しておいたのだろう。





しかしこのことをさりげなくツイッターに書いておいたら一通のクソリプがきた。

「痛みだけではなく涙も出るのはなぜでしょう?」




……知らない……わかんない……たしかに、鼻毛を抜いたときの痛み、さらにはほかの痛み(小指を机の角にぶつけるとかひじをテーブルの角にぶつけるとか)も、痛いだけではなくて涙が出るね。あれはなぜだろう。

悲しいから泣いているというわけでもないよね。

痛み刺激が加わったときに涙が出てくるのはなぜ? 単に顔がゆがむから? うーん。それにも実は合目的な理由があるのだろうか? 痛いと涙が出る人の方が、歴史の中で生存しやすかったとでもいうのだろうか?



痛くて涙を流している人に対してほのかに浮かぶ「萌えの感情」みたいなものが、あるいは、社会を存続させていく上では有利だった、とか……。

わかんないけど……。