2016年10月17日月曜日

病理の話(8)

ぼくらが見る顕微鏡標本、プレパラートには、2枚のガラスが使われている。スライドガラスとカバーガラスだ。皆さんも、小学校の理科の授業で習ったことがあるのではないか。

2枚のガラスの間に、検体を挟む。その厚さは、一般的に、4マイクロメートル。1mmの4/1000。髪の毛の太さが100マイクロメートルくらいだといわれる。つまり髪の毛の25分の1だよ。4マイクロメートルの厚さでモノを切る、というのは、はっきり言って特殊技術だ。薄切(はくせつ)という。鋭角な響きがかっこいい。

ミクロトームという特殊な「かんな」で、検体を向こうが見えるほどに薄く切る。薄く切ったものをスライドガラスに載せ、ヘマトキシリン・エオジンなどの染色液によって色を付け、カバーガラスをかけて、ようやくプレパラートが完成する。

この、たかだか4マイクロメートルの厚さしかない検体を、顕微鏡で見ていると、「厚いなあ」と思うことがある。

それは、たとえば、結核菌を探しているときだ。

結核菌は、ほんとうに探すのに骨が折れる。長さは2マイクロメートル程度、太さは0.3マイクロメートル程度しかない。グラム染色では見えてこない。チール・ニールゼンという特殊染色を用いて、わずかに薄い赤色に染まる。

長さが2マイクロメートルだと、対物レンズ20倍や40倍程度ではかなり見づらく、見落としてしまう可能性が高い。対物レンズを最強レベルの60倍にして(学生用の顕微鏡にはついていないレベル)、視野すべてを丹念に探していかないといけない。

ベースとなる接眼レンズが10倍、対物レンズが60倍。あわせて600倍。最高にズームをかけた状態で、検体すべてを見るのは、とても時間がかかる。

しかも。厚さ0.3マイクロメートルしかない菌に比べれば、検体の4マイクロメートルという厚さも、かなり厚い。4マイクロメートル「も」ある検体を、浅層から深層まで、ピントを微妙に変えながら探さないと、菌は捕まらない。ピントを上下にくるくるずらしながら、検体すべてをなめるように観察する。

結核菌は、「ほんのちょっと」しか含まれていない事が多い。1つの検体内に、「菌2,3個しかない」ということもある。2×0.3マイクロメートルの物体が、ばんそうこうのガーゼ部分くらいの大きさの検体中に、たった2、3個!

気の遠くなるような作業である。


***


かつて、結核菌を見つけ出すのがとてもうまい病理医がいた。大学院時代、ぼくがプレパラートを必死で探して、とうとう見つけられなかった結核菌を、彼はほんとうに「一瞬」で探し出した。うわっ、すげえ……と思うよりも、その人並み外れた検索能力に、「むしろキモい」と思った。

数日後。

彼は、とあるプレパラートを手に持ち、太陽光にかざして、「これ、Crohn病じゃないかな」と言った。まだ顕微鏡を見ていない。ぼくはびっくりしてしまった。ぼくが1時間以上かけてようやく診断した標本だぞ、それを、レンズを覗くことすらせずに、診断するなんて……。結核菌を見つけるのが早い人の目ってのは、いったいどうなってんだ! 

驚くぼくに、彼はこう言った。

「見てみ、これ。遠目にかざすと、このように、壁内にリンパ濾胞がぽつぽつ分布していることに気づく。これなら見えるだろう?」

見える。しかし、それが何なんだ。

「腸管の壁内に、こうやってリンパ濾胞が散在するタイプの炎症というのは何種類かある。加えて、この人、ここに裂孔潰瘍(非常に幅が狭く、深い潰瘍)もある。こういう所見は、どちらかというと、顕微鏡の強拡大でみるよりも、ルーペ像で見た方がとらえやすい」

プレパラートを光にかざしたことなんて、なかった。

おどろくぼくを前に、彼は言った。

「うーん、驚いてるようだけど、ほら、ぼくも、顕微鏡はちゃんと見るよ。でも、ほんとうにものが見える病理医ほど、プレパラートを作る前の段階……、採ってきた臓器を目で見ているときに、すでに診断がほぼ終わってるね。まあ今回、ぼくはこの方の肉眼診断してないから、かわりにプレパラートを光にかざしてみたんだけど……意外とわかるもんだよ」


***


今回のエピソードを書き終えて、自分自身の「病理に対する印象」というのが、また少し見えてきた気がする。

ぼくはやはり、顕微鏡を細かく見る仕事をどこか、
「自分だけがわかっていればいい、人にわかってもらえるとは思えない、マニアックな技術」
だと思っており。

逆に臓器を肉眼で見ることや、臨床医と同じように患者の情報を加味して判断することなどを、
「医療者としてのおもしろさがある、人にもわかってもらえるだろう、普遍的な魅力をもつ技術」
だと思っている。

ぼくは、「マニアックすぎる病理の話」を避けて、「実は一般受けする、病理の話」を書きたがっているのだろうか?