この10年間、毎月釧路に通っている。釧路は、北海道の右側の方にある。一番右端では無い、それは根室。一番上にあるのは稚内。一番下にあるのは襟裳岬。
釧路は、食い物がうまい。全国津々浦々に出かけると、どの土地も少しずつ魚の種類が違ってそれぞれに楽しくおいしいと思うが、釧路と稚内は「別格」、ただひたすらに、何を食ってもうまい。
北海道のグルメとして有名なザンギは、釧路では「たれザンギ」というアレンジが加わっていて暴力的なうまさだし、シャリのかわりに蕎麦(!)を用いた「蕎麦寿司」は、まあ一度食べれば十分だけどしみじみする。鉄板にスパゲティを乗っけたものを名物と言い張ったり(しかし有名になるだけはある)、荒削りな日本酒が味わいを出していたり(福司は銘柄毎に味のばらつきが大きくて楽しい)、厚岸からの牡蛎、根室からのカニなど、近隣の海の幸がばんばん集まってくるし、おすすめできる料理が山のようにある。
そして、これだけ魅力があっても、人は少ない。何がいいって、それがいいんだ。釧路は、もはや、限界集落……ではないけど……限界地方都市である。
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特急・スーパーおおぞらで、札幌から4時間。毎月JRに乗って、釧路に向かった。往復で8時間ともなると、読む本のセレクトが重要となる。途中、疲れて眠くなって2時間くらい寝てしまうこともあるが、それでも往復で4時間。普段読めない本が、少なくても1冊、うまくいけば2,3冊読める。
おそらくだが、ぼくは大学院を卒業してからの10年間、「釧路があったからこそ、本を読めた」。
窓の外には終わりの見えない原野。出たり入ったりするトンネル。まぶしくてカーテンを閉めてしまう。指定席はだいたい50%の入り……帯広を越えると、3割?2割?せきばらいも聞こえない。隣にはまず誰も座らない。こういうとき、「ああ、田舎に行くんだな」と思うし、「最高の環境で本が読めるな」と思う。
古くはハイペリオン、最近でいうとペルディード・ストリート・ステーション、これらの長編SFは釧路行きのJRの中で読んだ。SFを好きな人にあこがれていたから、自分もSF好きになろうと、多少無理をして読む。ストーリー云々というよりも、設定に溺れ、整合性に震え、想像力に身を溶かすような本だなあ、と思う。時間がないと読めない。没入できないと、読んでいる甲斐がない。
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最近、2つのSFを読んだ。「アグニオン」と「横浜駅SF」である。どちらも、知ったきっかけはツイッター。そして、読んだ場所は主に……マクドナルド。
実は、今年の4月から、スーパーおおぞらに乗らなくなってしまった。
釧路の業務内容がハードになり、優雅で腰の痛くなる4時間の旅路を選択できなくなったぼくは、空路の時間割が変更されたことを機に、往復とも飛行機に切り替えた。プロペラ機で45分。上昇に15分、下降に15分かかるので、水平飛行は10分弱しかない。落ち着くひまもない。うとうとしたら着陸している。落ち着いて長編小説を読むような環境ではなかった。
こうして、本を読む時間が、あからさまに減った。
もう、しょうがない、腹をくくって、時間を作って、自宅で読もうと思った。しかし、どうも、参った、困ったことに、自分が一番落ち着くはずの座椅子で本を読むと、2分で寝てしまう。
なんだ、いつからだ。何に適応したんだ。ぼくの体は。最高に適応すると0.93秒まで短縮できるに違いない。
ユーザーの尻に対する優しさがゼロで、決して居眠りには向いていないだろう、と見込んだマックの椅子を選んだ(実際、期待通りだった)。クオーターパウンダーチーズセットで1時間半、これが、花も恥じらう中年男性がマックに居座れる限界である。3時間も4時間も座っていることなんて、恥ずかしくてできない。これを2日にわたって2回くり返すことで、アグニオンを読んだ(余談だが伴走者もマックで読んだ)。横浜駅SFも、マックで読んだ。
今回のエントリは書評目的ではないので(じゃあグルメ回かと言われても困るが)、秀作2つに対する感想を述べるのはまたの機会とする。本筋はどちらも最高だった。
ただ。
この2つの本を読む間ずっと、なぜか、共通のイメージに心を囚われてしまっていた。
曇り空の下、どこまでも続く湿原、そこを貫く単線をなぞる1本の列車、そして、車内でただ1人、靴を脱いでひざを抱えて、いつまでもいつまでも本を読み続けている中年男性の姿が、ストーリーなど無関係に、ただ設定だけ放り出されたような状態で、心のデスクトップの背景にずっと表示され続けており、その灰色が2つのSFの最下層レイヤーとして、ずっと鈍く、遠くに光っているのだ。