2016年10月27日木曜日

病理の話(12) 病理診断がわからないときのこと

「極めて難しい病理診断」を担当する機会が、たまにある。これには、いくつかの種類がある。


・診断そのものが決まらない。

これが一番困る。採取されてきたものが、腫瘍なのか、腫瘍ではないのか、それすらわからないときが、ある。

例えば、「胃炎」なのか、「胃癌」なのかが、わからないとき。「胆管炎」なのか、「胆管癌」なのかが、わからないとき。「肝臓の限局性結節性過形成」なのか、「肝臓癌」なのかが、わからないとき。

胃炎なら飲み薬その他で完治できるかもしれないが、胃癌だと飲み薬では治せない。がんか、そうでないかでは、ご存じの通り、対応が真逆である。臨床医も、患者さんも、一番知りたがっている情報なのに、確定できない。

なんのための病理か、となる。



・診断の方向性は決まるが、詳しい分類がわからない。

これもたまにある。

例えば「悪性リンパ腫」であることはわかるのだが、「T細胞が豊富なB細胞性リンパ腫」なのか、「T細胞性リンパ腫」なのかの区別が難しいとき。「膵臓癌」であることはわかるのだが、「通常型膵管癌」なのか、「腺房細胞癌の亜種」なのかがわからないとき。

臨床医にまず電話をかける。「がんはがんなんですよ。ただ、どのがんかがわかんなくて、ちょっと待っててください」。

がんならみんな同じ治療をするわけではない。がんのタイプによって治療も、推測できる将来像も、全く異なる。これが決まらないとなると、やっぱり、

なんのための病理か、となる。



・診断、その分類も決まるが、病気の「範囲」や「どれだけ進行しているか」が決められない。

テクニカルだが、これも多い。

例えば「胃癌」であることはわかるのだが、「胃癌がどれだけの範囲に広がっているか」がわからないとき。主に手術で採ってきた検体で問題となる。

多くのがんは、正常の組織との境界を決めやすい(逆に言うと、正常との境界があることが、がんである根拠のひとつとなる)のだが、たまに「正常組織の間にとろけるように広がるタイプのがん」がある。こういうタイプは、そもそも手術前の検査の段階で、各種の画像検査(CTとか、内視鏡とか)を使っても、どれだけがんが広がっているかわかりづらい。だから、事前に、病理にも「範囲がわかんないんすよ」と連絡がされている。

よし、あとは病理にまかせろ!と言えればどれだけラクか……。なんのための病理か。



・採取された検体の量が足りない、あるいは検体がぼろぼろである

生検(つまんできた検体)のときによく経験される。きちんと採取された検体なら診断もできたろうに、ぼろぼろになっていてよくわかんねぇな、ということである。

例えば「気管支鏡を使って、肺から採取してきた検体が小さい」とき。「内視鏡を使って、胃から採取してきた検体がぼろぼろ」なとき。子宮内膜を削ってきた検体。膵管から拾ってきた細胞。どれもこれも、診断に十分な量が常に採取できるわけではない。

だったら、病理としては……「もっと採ってくれ!」そのひと言で終わらせればよい? いや、実はそう簡単ではない。そもそも、病気の人から、小指の爪の切れ端よりもさらに小さい一部分を採ってくるというのは、言うほどラクな作業ではない。たとえば、世の中にはけっこうな割合で、血液をサラサラにする薬を飲んでいる人がいて、こういう人は「どこかをつまむと、それだけで血が出やすい」というやっかいな副作用がある。いっぱい検体を採ると出血してしまうから、小さくしか採れない。

無理してなんとか採ってきた検体なんだよ、頼むよ、なんのための病理か。



こういうときの病理診断は、「100%」を出さなければならない。しかし、その「100%」の意味を間違えてはいけない。

「100%、正しい診断」を出せる人間はいない。また、その時点で100%正しくても、時間経過と共に正しくなくなることもある。病理学的には正しくても、臨床医や患者さんにとっては100%の答えではないことだって、ある。

難しい病理診断をするときに、ぼくらが目指す100%は、「こういう情報があり、こういう検討をして、このように考えた」という思考のプロセス、そして、今後医療側は何をすべきかという方向性を、「あますところなく共有する」ことだ。

「今回の診断は極めて難しい。なぜなら、背景に炎症があり、それに伴う細胞異型が出現しているからだ。がんの可能性はある、しかし、通常のがんほどはっきりした所見をとれない。臨床画像で見ているこの点と、この点は説明できるが、こちらとあちらは説明がつかない。今後、この検体に対し、AとBという追加検索を行うが、○○%くらいの確率で診断がここまでしか確定できない。だから、患者さんにはこのように伝えて、追加の検査を行うかどうかを相談してほしい。あるいは、この結果までをもって、ここまでなら臨床対応を進めることができる。どうでしょうか。あなたは、どう考えますか。相談をしましょう。会話をしましょう。ぼくが見たものを、シェアしてください」



病理医が出す100%の中には、「ある妥当な理由があって、わからない。」という文言が含まれてよい。

「わからない? だったら、なんのための病理か」

と聞かれたら、それに答えて、

「なんのためだ」と、

「誰のためだ」と、説明するところまでが、100%だと思う。


岸京一郎は「10割出しますよ」と言う。同じ彼は、「わからない」と言った宮崎に、「はい 正解 その答えでいい」とも言う。彼は、常に、100%を出そうとしている。