「ジャイアントキリング」というサッカー漫画に、佐倉監督というキャラクタがいる。
彼は、小学校・中学校・高校とサッカーをやってはいたものの、運動センスがなく、リフティングもまともにできず、高校の途中で受験を言い訳にサッカーをやめてしまった。
小学校時代。パスをもらってもトラップすらできず、ボールを踏んづけて転んで後頭部を打ってしまった佐倉はベンチに下がる。そのときコーチに、
「トラップくらいできないと試合には出せないけど、あそこにいたのはよかった。君は、サッカーを見る目はあるんだな」
ということを言われる。
サッカーを見るのは好きだった。細身のメガネは、国内外のサッカーを見ながら分析をする。すごい選手の動きや考え方をトレースしながら、なぜあんなところにパスが出せるのか、なぜそこに飛び出せるのかと驚嘆しながら、サッカーを見て、サッカーにのめり込んでいく。
サッカーをやめて何年も経ち、大学の同期はそろそろ就職活動が忙しいというころ、彼は何かを考え、そして何事かの行動を起こす。
詳しくは書かないが、下積みからスタートし、サッカーにプレイヤーとしてではなく指導者として携わるようになる。
「ジャイアントキリング」の、このエピソードを軸とした回は、とても好きだ。
佐倉がサッカーに再び関わり出す直前に、ある試合を観戦し、ある言葉を絞り出す。
ぼくは、指導者になってからの泥臭くも輝かしい数々のエピソードと同じくらい、あるいはそれ以上に、「達海猛の試合を見た佐倉が自分の心に気づいた瞬間のセリフ」が好きだ。
読みたい人もいるだろうから書かない。
「自分が好きなものの理由をうまく語る能力」は、オタクの必要条件でも十分条件でもないと思っている。
そもそも、オタクであることに条件も素質も必要ない。
ただ、「自分が好きなものとの距離を知ってしまってから、それでもそこに関わる理由を見つけ、関わろうとするオタク」は、今も昔もぼくにとってのヒーローなのである。
サックラーはオタクでありぼくのヒーローなのである。