2016年10月6日木曜日

病理の話(5)

生命科学研究の片手間に病理診断のまねごとをしていた大学院時代、すぐ近くに、「病理診断こそわが使命」と、研究そっちのけで診断に邁進する同僚がいた。後輩に実験の手伝いを頼みながら(要は実験をサボっている)、代わりに後輩が悩んでいる難しい診断をばんばんこなしていく女医さんであった。「もちつもたれつよねー」。そう言ってカラカラと笑っていた。

そういう人がいたから、「病理診断を一生の仕事にすること」がだいたいどんな感じかというのも、まあわかったつもりではいた。


「朝から晩まで病理診断をする」ということは、「朝から晩まで新しくがん症例を見つけ出す」ということに近いな、と考えていた。20件の生検標本をみれば、少なくとも1件、多ければ10件以上のがん症例が新たに定義される。5件の手術検体をみれば、およそ4件はがん症例であり、「このがんは、およそ3年で命に危険を及ぼすだろう」「このがんはどうやら人を殺さなくて済みそうだ」という判断をすることになる。病理診断とはそういう仕事なんだろう。



この日、ぼくが診断するプレパラートは100枚程度だった。患者1件につきプレパラート1枚というわけではなくて、たいてい複数のプレパラートがあるので、おそらく30~40件分の診断をしたと思う。

全部に目を通して「1次診断」を書く。1次診断とは、プレパラートを最初に見た人が書く診断のことだ。

1次というからには、2次診断もある。同じ標本を、ぼくとボス、2人が順番に見ることになっている。

病理診断は、患者と医者の双方に対する発言力が非常に強い。誤字脱字を含めた小さなずれも含めて、間違いが許されない。したがって、病理医が複数いる施設であれば、たいてい「ダブルチェック制度」をとる。1次診断をぼくが書いたら、ボスが「チェック診断」をし、2人の目で間違いを減らそうと試みる。

ぼくが1次診断を書き終わるまでに2時間半かかった。続いて、ボスがチェック診断を行う。1次診断の段階で診断文、解説文ともできあがっているので、ボスのチェック診断は基本的にぼくよりもだいぶ早く終わる。

しかし、この日、ボスのチェックは2時間ほどかかっていた。いつもより少し遅いな、と思った。

チェックを終えたボスがぼくを呼んだ。

ぼくの1次診断に問題がなかった症例は、ボスの「印刷して、電子カルテ送信してね」の一言で、診断修了。

診断が難しかった症例については、集合顕微鏡(複数人で一緒にのぞける顕微鏡)で、一緒に細胞を見ながらディスカッションをする。

今日は、診断が難しい症例はそんなに多くなかった。

代わりに、がん症例が多かった。

ボスは、チェックのとき、「がんがあったプレパラート」については、ぼくの1次診断が合っていようとずれていようと、必ず一緒に顕微鏡をみる。この日、一緒に顕微鏡をみる症例が、とても多かった。


「この人も、がんだね。ちょっと進行してそうだなあ」

「これもだ。よく見つかったねこれで」

「これもがんだ。うーん、この人はちょっと、若いなあ。かわいそうになあ……」



この日のことをぼくがやけに覚えているのは、ぼくがはじめて

「ああ、ボスは、プレパラートを見てるんじゃなくて患者を診ているのか」

と気づいた日だったからだ。



「このがんだと、バイパス手術じゃないとだめだろうねえ。しんどいなあ」

「これは見つかってよかったねえ。ちゃんとdeeper cutした甲斐があったねえ」

「この人は前回の検診でひっかからなかったのかなあ。どうしてかなあ」


ボスは、もの言わぬプレパラートさんと、会話をしているように見えた。




「朝から晩まで病理診断をする」ということは、「朝から晩まで新しくがん患者を見つけ出す」ということに近い。20人の生検標本をみれば、少なくとも1人、多ければ10人以上のがん患者と新たに出会う。5人の手術検体をみれば、そのうち4人に対して、「この人は、およそ3年で命が危険を及ぶだろう」「この人は、どうやらがんで死なないですみそうだ、よかったなあ」という診断をすることになる。病理診断とはそういう仕事なんだろう。