このブログを書く直前に、仕事のメモを見ていて、「そういえばあの講演のスライドまだ作ってないなあ」くらいの、プチストレスがかかった。
プチで済んだ。
「プチで済むようになった」というのは、年の功的なやつかもしれない。
昔だったら、「抱えている仕事の進捗状況を間違って把握していた」、という状態は「近年まれにみるストレス」「最悪の年と言われた2010年に匹敵するストレス」みたいにボジョレー化して表現されていただろう。
今はもう、ボジョレー化しない。
経験したことがあるストレスについては、何度も回数を重ねていくうちに、感覚がマヒしたのか、対処法が身についたのかはともかく、自覚症状が軽くなったように思う。
経験したことのないストレスについて語ることは難しいが(なにせまだ経験していない)、この先どういうストレスがかかっても、「まあだいたいこれくらいつらいだろうな」と予測できてはいる。
今なら、10代のころほど、経験してもいないストレスについて必要以上に煩悶することはないだろう、と思う。
こうやって、大丈夫大丈夫、自分はわりとストレスを飼い慣らせるようになってきたぞ、というイメージを文章化して、自分に言い聞かせる。
だって中年だからさ、というもっともらしい理由をきちんと添える。
ここまでが一連の技術である。中年の持つ技術である。
ほんとうは何も変わっていないかもしれないけれど、「中年だ、年の功だよ、経験値の差だから、それくらいはね」と、口に出すことで、本当に変わっているんだよと、自分に思い込ませる。
これを年の功と呼ぶのだと思う。