たいそうよく売れていた。浜崎あゆみ、TRF、Globe、ミスター・チルドレン、B'z、GLAY、スピッツ……。もちろん、ぼくも聞いていた。口ずさめるほどに、よく聞いていた。
けれど、これらの音楽が、「たいせつな思い出」には、なっていない。
これらの曲は、そしてアーティストたちは、どこか心根の根本が「安定」していたからだと思う。
甘く切ない青春を歌っていても、若い日のあせりを歌っていても、はかなさを歌っていても、さみしさを歌っていても、彼らは決して仏頂面ではなかった。泣き顔には見えなかった。ぼくは、子供心に、それが何かずるいなあと思っていたのだ。シングルが100万枚も売れていた頃の話である。どれだけ稼いでいるんだろうと、そっちがセットで気になった。
これだけ売れてまださみしいとか悲しいとか言えるのはよっぽど、「精神が根本的に泣きたがっているタイプの変人」であろう。すなおに、そう思っていた。
商売がうまく行こうが、泣きたい夜はあるだろうさ。そんなこと、子供のぼくだってわかってはいる。けれどぼくは、音楽番組にミスチルの桜井君が笑顔で出演して、タモリか誰かと楽しそうに会話をしたあとに、平気でマシンガンをぶっ放せとか歌っていたとき、心のどこかで
「この大嘘つき野郎!」
という気持ちになってしまったのだった。
ミスチルは今でも一通り覚えている。音楽家が嘘つきだからって、その曲が嘘ばかりだからと言って、ミュージックそのものを嫌いになるわけではない。
けれど、ぼくは、自分の人生の何かつらい部分とか、ふわふわ浮いた部分とか、もしゃもしゃとしてかきむしりたい部分とか、そういった、どこか陰を背負った青春の記憶を、「当時の音楽」とされる売れ筋の曲を聴いても、一向に思い浮かべることができない。
先日、ネットの友人に、「君はどこか、不安定感とかエモみがある音楽を好むよね」と言われた時、そういえばぼくは、人生がほとんど大失敗しているようなバンドの音楽ばかり好んで聴いていた時期があったなあ、何なら今でもそうだけれども、と思い至った。
そうか、ぼくの青春は、いわゆるインディーズに近いバンドミュージックと共にあったのか。
そう思って、iTunesの古いバンドを片っ端から聴いてみた。そうすれば、あの青春時代を少しでも思い出すことができるのではないか。
思い出されるのは、自室のCDラジカセの前に座って、ヘッドホンを両手で抱えて、目をつぶり、ずっと音楽を聴き続けていたときの、あのごわごわとしたカーペットの「尻触り」ばかりだった。何も変わらない、ぼくは音楽を何か思い出とセットにして聴くのが、元来苦手なようだった。ミスチルには悪いことをしたなあと思う。