2017年7月28日金曜日

そうかんたんにわかるんですか

パソコンのキーボードが削れている。

特に、「K」と「M」と「N」と「A」のあたりの劣化がすごい。「O」もなかなかだ。

「S」に至っては完全に穴が空いてしまったので、「|」(画面右上にある縦棒)と入れ替えて使っている。




この記事を作る前、ほかに記事を3本書いた。3本目に至っては、

「この記事を作る前、2本記事を書いたが、消してしまった。あなたがこの記事を見ているということは、3本目の記事が消されずに残ったということである。」

なんていう書き出しでスタートしていたのだが、結局消してしまった。

今日は、アウトプットが荒く、自分のために、自分のためにと書いては消し、書いては消してしまっている。




キーボードを見ながら、ときおり、

「キーが削れるくらい発信してきたんだなあ」

と少し天狗になることもあった。

けれど、よく考えたらぼくは、書いた物をすぐ消してしまう。ブログの記事に至っては、公開する前に、2回に1回くらいのペースで全部消して書き直している。

キーが削れたほどには発信していなかった。

失ったもので得たものを量ることは出来ない。




アウトプットの量を多くすればクオリティが上がるだろうと内心思っていた。けれど、雑なアウトプットは全体の精度を上げてくれない。手癖で書く文章、反射で引っ張り出す構文、脳の大半を休ませたまま、惰性で産み出される劣化コピーのようなものばかりがころころと脳の隅に転がっている。

そういうときはインプットだよ。

アウトプットがうまくいかないときはインプットがいいんだ。

そうだそうだ、手を大きく振ってKindleに籠もり、インプットを繰り返す。

インプットの量を多くすれば何かのクオリティが上がるだろうか?

あるいは、やはり、何か別のキーが摩耗するのだろうか?



いろいろ摩耗するなら、たまにはアウトプットもインプットもしないことを選ぶ。

ただ、脳がパソコンと違う点がひとつあって、それは、「アウトプットもインプットもしていない時間に、膨大なメモリを食いながら、内部で思考が循環する」ことだ。

アウトプットもインプットもしていなくても、脳の場合は、どこかでキーが削れているということである。

興味深いことに、失ったもので失ったものを量ると、相関に気づくこともある。

相関と因果はまた別の話であるが。