2020年11月24日火曜日

病理の話(477) 運動不足解消のために医局に向かいます

「医局」という言葉にはいろいろな意味があるのだけれど、ぼくのように市中の中規模病院に勤めている場合、およそ2つの意味で使っている。

1.自分が所属している大学の科名のこと。

2.勤め先の医師休憩スペースのこと。


【1.自分が所属している大学の科名】
たとえばA大学の第一外科、略して一外(いちげ)出身で、B病院に勤めている外科医がいたとする。直接大学で勤めているわけではないのだが、一外の教授が人事権をもっていて、B病院で数年はたらいたら次はC病院に行きなさい、みたいに命令をされる。外科医の人生としてはよくあるパターンだ。さて11月も半ばをすぎて、一外の秘書さんからメールが届く。

「12月○日には医局の忘年会です」

この場合、「医局」という言葉は、外科医が所属する「第一外科」という科名そのものを指す。「あなたの/ぼくの所属先」くらいの意味だ。

この外科医は医局の忘年会に出席し、他病院でがんばっている友人や先輩たちと飲みながら、「今後の医局の動向」についてこっそりと話し合ったりもする。



【2.勤め先の医師休憩スペース】

なぜこちらにも医局という言葉を当てるのかよくわからない。ナースの詰め所のことをナースステーションというように、医者の詰め所のことはドクターステーションと呼べばいいような気もするのだが、必ずといっていいほど「医局」と呼ぶ。昔の中規模病院は、科ごとに医局がある(消化器内科と外科と産婦人科はそれぞれ個別に休憩スペースがある)ことが普通だったようだが、今では総合医局と言って、ひとつの大部屋に休憩スペースがあり、パーテーションで個人のデスクが仕切られていることが多い。

ぼくの勤める病院も総合医局制。初期研修医・後期研修医あわせて20名をのぞくすべての医者(120名くらい)が大きな部屋の中でパーテーションに仕切られて過ごす。もっとも、医者が医局のデスクにいる時間はあまり長くない。病棟にいることも、外来にいることも多いからだ。

医局には個人のデスクのほかに、20名くらいなら一緒に過ごせる程度のソファやテレビが置いてあるスペースもある。メジャーリーグで日本人が大活躍しているとか、オリンピックが盛り上がっているとか、大規模災害など、昼間っからテレビがうるさいときには医局のテレビ前に医者が集まっていることもある。コーヒーメーカーやポットが置いてあり、電子レンジも冷蔵庫もある。ただ、電子カルテ端末が複数設置されていることもあり、休憩スペースでダラダラすごす医者はあまり多くない。なんとなく仕事モードのまま小休止をする感覚だ。





ぼくは「医局」で過ごす時間はほとんどない。なぜなら、病理検査室の中にデスクがあり、そっちがメインだから。したがって医局のデスクは倉庫にしている。版が古くなった教科書や、学会が発刊する雑誌など、めったに読み返さない本を整頓して医局の本棚に並べる。あと、郵便物は基本的に医局に届く。

ぼくが医局を訪れるのは1日に1回、郵便をチェックしにいくときだけだ。もし、郵便物が病理のデスクに直接届けられるならば、ぼくは医局に顔を出さなくなるだろう。基本的にいつも病理にいるほうがラクである。

ただ、医局に顔を出さないと、他科の医師とのコミュニケーションチャンスが減ることもまた事実だ。医局の自分の机には、名刺を磁石で貼り付けて、横にメモを置いて、「基本的に病理にいます 市原」と書いておく。とにかく居場所をみんなに教えておく。そして郵便回収で医局に行くときは、さりげなく通りすがるドクターの顔を見る。何か言いたそうにしている人がたまにいる。そこで立ち止まって「はい」と声をかける。するとたちまちスルスルとそのとき困っている症例の話を教えてくれたりもする。



最近思うのだが、病理医のスキルとしてもっとも大事なのは「謎の存在にならないこと」ではないか。ふとしたときに相談できる関係でありたい。「そういえば病理にあいつがいたな……」と連想される人間でありたい。コミュニケーション能力と言ってしまうと大雑把すぎる気がする。ウェイ系のノリは必要ない。ただ、「あ、ちょっと相談してみっかな」までに相手の心を柔らかくする工夫というのはいるだろう。医局に郵便を取りに行くのは運動不足解消のためだけではない。一人でも多くの医師に「そういえばあの件……」と話しかけてもらうチャンスを、こっそり仕込んでおくということ。