※本日のブログは最後にかなり実践的な話になりますが、前半だけなんとなく読んでいただければ……伝えたいことはほぼぜんぶ前半に書いてます。
WITCH WATCHというマンガがあってかなり好きである(作・篠原健太)。この中に出てくる真桑先生というのが、推し絵師(注:自分の教え子)に向かって長文の感想DMを送り付けるタイプの堂々たる隠れオタクなのだが、DMを読んだクック(教え子)がひとこと、
「黒っ」
と言うシーンがある。
画面が文字で(特に画数の多い漢字で)埋め尽くされた様子を「黒い」と呼ぶのは、わりと頻用される表現だと思うし、ツイ市民にはわりとよく認知されている。ただしこれがまったくピンと来ない人というのもけっこういる。特に……医者。なんでそんなに画面まっくろにしちゃうの? えっこれ市民向けポスターだよね? 情報つめこめばいいと思ってるの? 何度目を疑ったことか。
いや、ま、情報のつめこみは必ずしも悪ではないというか、ニーズにもよるし、喜ばれることもあるけど、これ、一目見て黒いよ? ポスター真っ黒だよ? 黒渦アップ現代だよ?
うーむ情報をいっぱい叩き込めばいいってもんじゃないんだけどな。叩き込むことがエンタメになる世界もあるけど、そこはTPOだと思うんだよな。
そもそも、「病理医」という単語からして四角くて黒い。宅配伝票を書くとき、「病理診断科」をボールペンで書いていると最後の「科」以外がぜんぶ黒くて四角くてげんなりすることがある。内科、外科あたりはまだいいのだけれど、腫瘍内科とか肝胆膵内科とかだともうほぼ暗黒である。小児アレルギー科は癒やし(?)。緩和ケア科は前半が真っ黒で後半は白い。
専門用語ってのはとにかく黒い。見やすさよりも正確性と情報量を重視している文化圏で漢字が増えるのは当たり前といえば当たり前なのだが、それにしても、である。
で、えー、ここからは病理診断報告書、すなわち病理レポートの話をする。
(※「病理診断報告書」という単語を、「病理レポート」にするというのも黒さを嫌うムーブである。)
病理レポートを読むのは患者(シロウト)ではなくて主治医(プロ)だ。したがって、文章の黒さがどうとか、読みやすい長さで書けとか、漢字を開けとか、そういうことは考えずにとにかく推論過程と結論をエビデンスにもとづいてあますところなく書き切ることが重要だと指導する病理医は多い。でも、ぼくはやっぱり、病理レポートも読みやすいに越したことはないと思う。
なぜならレポートを読む主治医も医者である以前に人だからだ。文章が硬くて黒いとがっくりする。がっくりするけど仕事だからいちおう読む。その「いちおう読む」は、ときに見逃しや読み違いの元となる。
医学は厳密であればあるほど尊い。しかし、医療というのは学問にコミュニケーションをプラスしなければ成り立たない。
「レポートの読みづらさ」によって、患者のよこで電子カルテをひらいた主治医がピクッとなって、伝達にアワワとなってしまってはいけない。
病理レポートを書くときには、黒さを調節する必要がある。ぼくがよくやるのは、
「断端は陰性です」
という言葉を、
「断端は陰性(-)です」
と書く方法だ。陰性 or 陽性の区別は疲れた目には負担であるが、(-)と(+)は(フォントのサイズ的にも)違いがわかりやすい。
漢字に加えて英語を併記することもある。日本語でまっくろになったレポートの中に突然英単語が混じると、そこに目が惹き付けられるだろうと思ってのことだ。「類内膜癌と診断します」、ではなく、「類内膜癌 endometrioid carcinoma と診断します」、と書く。あらゆる診断で英語名を付けるのではなく、「この領域って似たような文字数の診断が多いよなー」というときにあえて付ける。
そして、ひとつのレポート内で、前半に簡潔なまとめをいったん書いておき、後半で詳細を述べるという配置の工夫をすることも多い。今日のブログの冒頭に「※」で書いておいたような注釈を、ぼくは病理レポートでもやっている。たとえばこんな感じだ。
後述する理由により○○○と診断します。詳細は組織所見については後半部をご参照ください。
【規約事項】
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【組織所見の詳細】
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レポートが長くなるなーと思ったらこの書き方をする。
以上のような調節は、病理医が全員やるべきだとまでは思わないが、たぶん、そういうとこに気を配ったほうが普通に主治医からのフィードバックが多くなって、結果として病理医にとってのメリットも増える……気がする……ので、なるほどと思って下さった病理医の方はぜひお試しください。