2023年4月20日木曜日

途上とうたかた

パソコンや車がちょっとずつ古い。ジャケットもパンツも少しずつヨレている。経年劣化の真っ最中。いずれ、いずれも、買い換える。それまでの間の、少し不安な、不安定な時期を、一番長く生きている。

整った身なり、十全な道具、なにもかも満たされた状態で生活することはまずない。仕事するときも、いつだって中古品や劣化品をそれとなくうまく使いこなしながらやりすごす。遊ぶときも寝るときも、めしを食うときもだ。それはあたかも、ぼくらが24時間満腹であることがないのと似ている。ご飯を食べた直後以外に腹が膨れきっていることはない。まだがまんできるか、もうペコペコか、そういう状態のほうが、1日の中では圧倒的に多い。



対外仕事をひとつ終えるたびに、「実績」と書いたエクセルファイルに、日付と場所と、講演や発表や論文のタイトルなどを書いてまとめている。どれもこれも、発表の当日まではずっと緊張していて、必死で取り組んできたものばかりで、世に出した瞬間に一瞬だけ満足して、その後は急速に、感情が空腹へと向かって突き進む。

「めしにしましょう」の中で、小林銅蟲の化身である青梅川おめがは、「原稿ってすごいですよね、完成以外の時間は全部未完成なんですよ」という意味のことを言った。ぼくはこれこそが真実だし人生だなと思ったのだ。満たされていない時間が99%。できあがった瞬間に一瞬だけ満たされて、また次の充足へ向かって「途上」をやっていく。



「鬼滅の刃」がジャンプで連載されている間、「これがいつか終わってしまうのが惜しいなあ」という気持ちがあった。「ちはやふる」も「阿・吽」にも同じ気持ちを感じた。今は「ワンピース」に対してそういう気持ちでいる。人におすすめするときに、連載中のマンガをすすめると、「終わったらまとめて読むよ」という人がいて、その感覚はぼく自身もとてもよくわかるのだけれど、「完結したマンガ」では味わえない類いの感動というのがある。「いつか終わるけどまだ終わっていない状態」のみによって刺激される報酬系がある。それはたとえば野球の試合を再放送で見る人がほとんどいないこととも似ているかもしれない、つまりは「同じ時間を生きる」ということの尊さなのだろう。しかし、一方で、ぼくらはつまるところ、最高の感動や最高の満足の「途中」ばかり消費していると言うこともできる。いつか○○するために、と目標を立ててえっちらおっちら道すがら、その途上で人生の99%を過ごしていることに、もう少し自覚的であったほうがいいのかもなと、今となっては……なんだかある程度のところにたどり着いてしまったのかもしれないと感じる日が増えた今日のぼくは思う。『これ描いて死ね』が連載している間にみんなも読んでおいたほうがいいと思うよ。