出張先で爪切りを買った。キータッチのときに爪が引っかかるのがいやで、普段からこまめに切っている。爪のメンテナンスについては、元をたどると子どもの頃に呼んだ「エルマー」か何かのなかに、「指というのはもっとも相手に近づく場所なのだからきれいにしておかなければいけない」という一文を見つけたことが大きい。それ以来、なるべく爪を伸ばさず、人を傷つけないようにしようと肝に銘じている。
「肝に銘じる」んだなあ。脳とか心に銘じるわけではないのだ。なぜ肝なんだろう。腹部を損傷して死亡したときにまろび出てくるからか? 脳は頭蓋骨に、心臓は肋骨に覆われていてうまく出てこないから……。いや、肝臓だって靱帯に支えられているからそう簡単には出てこないはずである。
「胴体を袈裟斬りにしたときによく見えるから」みたいなざんこくな理由ではなくてもう少ししっくりくる理由があるはずなのだ。なぜ肝なのか。肝心、とか、肝腎、とか、あるいはキモなどと呼ばれるが、昔の人からするとやはり肝臓というのは「心が入っているわけではないのだがなんかめちゃくちゃ重要な場所なのだろう」ということを思わせる臓器だったわけだ。鉄分の含有量が大きくてしっかり詰まっているから、いかにも何か強い仕事をしている臓器に見えたということだろうか。それとも、馬や豚などのキモを焼いて食べると滋養によいということが薬膳的に知られていたからなのだろうか。それにしても「銘じる」とはどういうことか? この言葉はほかには墓碑銘とか刀剣に名前を彫るという意味でしか目にする機会がない。肝臓の表面に何かを刻印する? そんなことがイメージ的にあり得るのだろうか?
逆に考えると体の中でひとつ「何かの銘を刻む」臓器を探すとしたらたしかに肝臓が一番よいのかもしれない。腎臓は後腹膜に包まれていて見るのがむずかしいし、胃や腸はふにゃふにゃしていて何かを書き込める気がしない。脾臓も表面はわりとシワシワだ。肝臓だけがつるっとして、つやっとして、彫刻刀でなにかを彫り入れても大丈夫そうなイメージがあるにはある。
もしくは……肝臓にはときどき肋骨の痕がへこんで残ることがある。コルセット・リバーと言って、コルセットのようなもので長く体を締め付けていた人、あるいはそもそも痩せ型の人は、肝臓が肋骨に長時間押さえつけられることで表面に溝状のくぼみができてしまうのだ(健康に悪影響はない)。あるいはそういうのを目にした人が、「肝臓にはなにか、人生が刻印されているのだなあ」と感じた可能性もある。
と、ここまで書いて、そういえばググってないなと思っていくつか調べてみたけれどパシッとはまるエピソードなどは見られなかった。唯一、「古今集(?)には銘肝という言葉がある」というくだりを見つけた。「此琵琶の秘曲を銘肝し侍る」……でもこれでもう一度ググってもうまく出てこない。真偽は不明である。
琵琶をかき抱いて弾くとき、琵琶はちょうど肝臓の前にやってくる。ガリガリに老いた僧が琵琶をつま弾きながら衰弱して死んだあと、朽ち果てていくむくろを見た人は肝臓のあたりに何かが刻まれていると想像したのだろうか。