まあ他人のことはいいや。ぼくはAI関係の記事から少しずつ距離をおくようになって、まあでも読まないわけにはいかないんだけどそれはきっと首相動静とかダウ平均株価くらいにしか興味をひかないものになりつつある。では代わりに何を考えているかっていうと、もちろん、脳のことをずっと考えている。ウフフ、AIと脳は一緒だね。待て、違うよぜんぜん違う。脳も機械もほとんどいっしょなんていう意見をたまに見るけれど(カズレーザーあたりがすぐ言いそう)、脳にはグリアや液性因子による調節があるし、シナプスはそのままに神経伝達物質の種類を変えるなんていう荒技だってあるから、単純なゼロイチのオンオフシグナルよりももう少しアナログな運用をされているのでコンピュータとは微妙に異なるシステムのはずだと思っている。コンピュータの性能をまっすぐ上げていっても最終的に脳と同じものにはならないだろうっていう予感があるのだ。そこはだんだんずれていくんだと思う。肉体があるかないかが重要だっていう人もいるけどそこが本質なんじゃなくて、肉体という膨大な量のセンサーの閾値を常時アナログにコントロールしているバックグラウンドの負荷のでかさに本質があるのではないか。だったら、コンピュータにも大量のセンサーを取り付けてフィードバック機構を設けつつ、アナログな調整もいれればいいじゃんって? うーんそういう発想はたぶん20年以上前に「ファジー理論」あたりでけっこうやりつくしたんじゃないかなあ。今もやってるのかもしれないけれど、あまりよく知らない。そもそも、コンピュータと脳を同じにする必要がないので、人間の知能を再現したい一部の学者以外にはあまり興味を持たれていないようにも思う(それでも十分いっぱいいるかなあ)。それこそ、人の脳って決して完全なものではないし、コンピュータは狭い領域であればもっとずっと上のほうを目指すことができる、目指す方向性が違うんだから無理に寄せてこなくてもねえ。
ところで、哲学者がたまにAIのことを考えているようなんだけど、いまのところ、AIに対して正面から切り込んだ哲学者はあんまりおもしろいことを言えていない気がする。哲学者はほとんどの業種の人より確実に頭がよくて、たとえば医者あたりと比べるともう確実に優秀で、雲泥の差っていうくらいに論理的思考力が高くて、とうの医者であるぼくなんかはへこむしかないんだけど、でも、AIや医学に関する哲学者のしゃべりはごくわずかな例外を除いて「先行研究に対する勉強が足りなすぎ」と思うことばかりだ。なんか土俵にまるで立てていないように思う。それはまあしょうがないことなんだろうなと、今ならわかる。学問の種別を問わず、「すでにそれに取り組んできた人たちのあゆみ」を無視して新しいことを言うのは本当に大変なことなのだろう。学問の中心部で蠢いているのは試行錯誤の歴史なのだ。センスと才能で組み立てられない理論というものはあるんだなということをずっと考え続けている。
改行もしないで詰め詰めの文章を書いているけれど最近のぼくは実生活でもこんな感じらしい。同じ職場にやってきたよう先輩に指摘された。研修医などに教えるときの情報量が多すぎるのだそうだ。参ったなーもっと教え上手な人に来てもらわないと、当科では「普通の人」が育たなくなってしまう。知ったことではない。異常な人しか育てたくない。このままにします。