ごめんあそばせ ってなんなんだ。あそばせ は遊ばせるってことなのか。語源検索に入る。「ごめんあそばせ 語源」→結果によるとあそばせ、は尊敬語で「しなさってください」だとそうな。いや、待て。そこは「してください」が正しいのではないか。しなさってくださいって日本語として破綻してるのでは? 気のせい? こうした言葉は「あそばせ言葉」と言われているとも書いてある。ほんとうか? 信用できない。丁寧で上品、という言葉を瞬間的にちぢめて「下品」に空目した。信用できない。
見間違いや空目による経済損失は専門家の試算によると年間5兆ドルだという。
こうやって書くだけでちょっと考えてしまうのが人間のつらいところだ。うそでもおおげさでも、まぎらわしいことでも、なんでもかんでもとりあえずいったん受け止めて信用してしまう。それがぼくを含めた多くの人間のかなしいところだ。今日、あなたの枕元に夢が降るでしょう。
ここまで5分。
いったん手を止める。
キータッチする指の、特に右手の薬指の爪がわずかにキーボードにひっかかるのが気になって爪を切った。
だいたい毎週爪を切っている。
ぼくの手の甲にはわりかし毛が多い。指とか。年齢相応にふしくれだって、指の関節の部分もだいぶ硬くなっている。見た目も肌質もだいぶ老いてきた。
それでも爪だけは頻繁に切るようにしている。
理由はキータッチのジャマだからだ。
でも、何度かブログに書いたことがあるかもしれないけれど、今でもちょっとだけ、昔から心に刻んでいることを思いながら爪を切っている。
元ネタは、『エルマーの冒険』だったろうか、もう忘れてしまったのだけれど、ある本で、主人公が祖母か誰かに、「爪はちゃんと切りなさい。誰かと話したり、握手をしたりするとき、相手に一番近づくのはあなたの爪なのよ。」と言うシーンがあった。ぼくはその場面の状況も、なんならセリフも忘れてしまっているので、今検索してもぜんぜん出てこないんだけれど、でもその「勘所」というか、「意気」の部分だけは40年くらい経っても覚えていて、爪を切るときに必ず「相手に一番近いところだからな。」と念じて切るのだ。
ほんとうはそんな本など存在しなかったかもしれない、あるいは夢で本物の祖母に言われたのだったかもしれないが、もはやそこはどうでもいい。爪を切ったあとにふと思ってこれを書き足した。息子はたまに夢に出てくるが、祖母はめったに出てきてくれない。これらはぜんぶ、信用できることだと思っている。