2021年11月30日火曜日

怒りで線を引く

日曜日の午前中だけ出勤して、午後は家で本を読んだ。翌朝出勤すると、まだ1日経っていないのにメールがいっぱい届いていて、ん、どうした、昨日の午後に限って、みんなメールをしたい気分だったのか、と驚き、ぶつぶつつぶやきながら返事をしている。1時間半ほど経つがまだ終わらない。職場にいないとメールが見られない状態なので、ときにこういう渋滞が起こる。

ぼくは仕事のメールを家で見ない。というか見られない。職場で使っているメールアドレスは、職場のサーバを介してしか送受信ができないタイプで、この不便さに閉口して多くの職員はGmailを使っている。でもぼくは「家でメールを見たくないときに見なくていい」のが便利だなと思って、14年間職場メールを大事に使い続けてきた。不便を便利に反転させたのだ。

そこまでして守っていた自宅、仕事が入り込めなかったはずの自宅に、FacebookやSlackが少しずつ侵食をしはじめているので、メールアドレスによる抵抗もそろそろ無意味になりつつある。休日も夜間も関係なくアプリの通知がブンブン鳴る設定にしているのが悪いのだけれど、鳴らさないと着信に数日気づかなかったりするのであぶなくていけない。「そうやって休みの日もずっと仕事のことを考えているのはよくない、公私を切り替えたほうがいい」と言われる。しかし、ぼくはとにかく線引きが苦手なタイプだ、何につけても。メールで線を引いて壁を作ったはずがうまくいかなかった。境界はとろけてしまった。



最近は見なくなったが、昔は「仕事中にTwitterするなんて不真面目だ」というクレームを見た。これに対してぼく自身は、「休日にも仕事しているんだからバランスとしてはちょうどよいだろう」と思っていた。仕事をしている時間、プライベートの時間、これが9時5時できっかり分けられる仕事とそうでない仕事がある。飛行機のパイロットや電車の運転手のように仕事中にプライベートを持ち込むと猛烈に怒られるタイプの仕事と、病理医のように仕事とプライベートの境界がそもそも存在しない仕事が……あっいやこの一般化は少し乱暴だったか。

それにしても人の働き方に怒る人というのはなぜ存在するのだろう。どう考えても他人事のはずなのに。


怒りという感情。


怒りは無理解によって増幅される。理解する能力が足りないというよりは単に機会が足りないのだ。知ろうと思わなければわかれないことが世の中に満ちている。チャンスとやる気さえあれば人間の高度な脳はたいていのものをきちんと読み込んでくれるが、人は誰もがそこまでヒマじゃないので、知らないままの領域を無限に抱えている。知らないはずのものを自分の知っている範囲で判断しようと思うと、背景の複雑な文脈が読めないから、モノとモノのつながりが不合理に思えて、なぜだと怒りが湧いてくる。

使い古されたフレーズに、「自分でも説明できない怒り」というのがある。でもこれは言わずもがなである。説明できるならば怒る必要がないからだ。説明できない部分の理不尽に直面したときに、感情を爆発させて爆風によるガードを展開する、それが怒りだ。怒る人というのは常に何かが見えていない、あるいは、「一部しか見たくない」からこそ怒る。


こういうことを言うと、「正義の名の下に怒ることだってあるだろう」というおしかりが飛んできたりする。でも正義を定義できると思っている時点で無理解だろう。世の中の構造が見えていない。自分の中での正義を守るために必要なのは怒りではなく説明であるし、世の中の正義を守るという言葉は妖精を守るとか背後霊を守るというのと一緒である。我々の理解が及ばないところにあるかもしれない(ないかもしれない)メカニズム。正義という言葉はそういう言葉だ。これに対して怒りを発動する、その精神構造がわからないわけではない。ここでぼくが使った「わからないわけではない」は、知らないはずのことを自分の知っている範囲で判断しようとする誤謬の第一歩なので、あまり先に進めないほうがいいと思う。メールの話だったのにずいぶん違うところまで歩いてきてしまった。怒りこそは線を引く行為そのものなので、まあ、違わないという考え方もあるのだけれど。

2021年11月29日月曜日

病理の話(601) 生検のむずかしさ

胃カメラや大腸カメラを受けたことがあるか? ぼくは胃カメラだけある。大腸はやったことない。今43歳だから、そろそろ大腸がん検診を受けに行く。みなさんも、40を超えたら大腸カメラをやりましょう。いったん大腸の中を見通して、なにもなければ、大腸の場合は必ずしも毎年検診をうけなくてもよい、と言われています。アメリカなら10年後とか5年後にもう一度やろうねとおすすめされる。日本だと、次は2年後あたりどうですか、くらいの話になる。年齢や状況にもよるけどね。


さて、今日はそのカメラ……内視鏡検査の細かい話である。


さっきからカメラ、カメラと書いてきたが、昔は「ファイバースコープ」と呼んだ。今はファイバーとは言わずに単純にスコープと呼ぶ。ぐにゃぐにゃと曲がる、かなり細身の望遠鏡をイメージするといい。ヘビ的な。デジタルハイビジョンの高精細な画像で、消化管の粘膜をきれいに映し出してくれる。


そして、何か病気があったときに、スコープの先端に空いた穴からマジックハンドがのびる。スコープの中にはカメラや光源とともにトンネル的に穴が空いていて、この穴の中に、術者(医者)や内視鏡看護師が手元からさまざまな便利道具をつっこんで、スコープの先端から飛び出させて、マジックハンド的に何かの作業をすることができる。


このマジックハンド操作が……難しいのだ! 近くで見ていると息を呑む。


スコープはぐにゃぐにゃ動かせるのだが、完全に「自在」であるとは言いがたい。術者の手元にあるスイッチやダイヤルなどで動かしているだけなので操作性には制限がある。特に、「もうちょっと奥に伸ばしたい」とか、「左手前に向かってぐいっと旋回させたい」みたいな動きには苦労する。


みなさんも想像してみてほしい。それこそマジックハンド的なものを頭の中で持ってくれ。それを使って、そうだな……えーと……


1.部屋のカーテンをしめます。

2.カーテンの裏に、カーテンをたばねるバンドみたいなやつ(あれ何て言うの?)がありますよね。

3.2メートルくらいのマジックハンド(ただし先についているのは爪切りくらいの可動性しかない、小さなつまむ道具)を使って、自分は一歩も動かずに、カーテンの裏のバンドの表面をつまんでください。


わかる? これ想像できる?


まずカーテンを力任せにグイ―ってやったらだめですよ。そんなことしたら患者は絶叫するからね。丁寧にスッスッって避けないとだめ。


あと自分は動いたらだめ。もうすこし角度が……とかそういうのは手元の微妙な動きで考えてください。


さらに爪切りでバンドをつまむとき、あまり勢いよくグッと爪切りの先端をとじると「スルッ」ってすべってうまくつかめませんよ。歯がきちんと立つように、ある程度、ゆっくりと動かさないとだめ。でもあんまりゆっくりだと、


カーテンは風に揺れて動くから気を付けてね




いきなり風が吹いたのでおどろくかもしれないが、お腹の中でも、胃や腸はつねに「ぜん動」をしているのでうにょうにょ動いている。これを止める薬もあるのだが、ま、限度がある。ままならぬ動き、うにょうにょの動き、そしてマジックハンドの難しさ……。



こういったものを乗り越えて、ようやくつまみとってきた小さな小さなカケラを、病理検査室で病理医が、顕微鏡で見て診断をする、それが病理診断なのである。マーほんと、採取してきたやつが偉いよ。あと、検体採取の最中、じっとガマンしてくださっている患者さんたち、いつも本当にありがとうございます。うまくつまんでとってこられたなら、あとは病理医におまかせください。

2021年11月26日金曜日

教授の上

とある教授から連絡があり、おりいって相談があるとのことで、いつものクッタクタなパンツではまずかろうと思いスーツで出勤したのだが、職場に着くとメールが届いていて、

「すみません上からの指令があり、急遽仕事しなければいけなくなったので、今日の会合はなしにさせてください」

とのことだった。ドタキャンであるが別にかまわない。ぼくが大学に行くこと自体は大した手間でもないし(むしろ気分転換になってありがたいくらい)、向こうが忙しいのはわかっていたことだからまた向こうが次の予定を提示するのを待つ。


それよりも、教授なのにさらに上があんのかよ、という感想のほうが大きい。でもまあたしかに「教授の上」は存在する。ぼくもよく耳にする。ただし実感しているわけではない。なぜならぼくは教授ではないからだ。そのあたりのニュアンスは感じ取りづらい。やっぱり当事者じゃないとちゃんとはわからないと思う。


同年代、あるいはぼくより若い医者が、ぽつぽつと教授になりはじめた。大学教授というのは基本的に50代、そして60代がメインの仕事であるが、まれに、異常に業績がすごい人とかが30代、40代で教授になる。そういう人たちはすぐ、「教授と言ってもみんな同列じゃないんですよ、私はまだまだ新米、かけ出しですから……」と謙遜をする。つまりは教授になってゴールではない。まだまだ上がある、ということなのであるが、この「上」をあまりに多くの人が口にするので、まあ本当にあるんだろうな、と実在を信じている。


なお、いま63歳くらいの教授であっても「上からのお達し」という言葉を使うので、教授の言う「上」というのは単に年齢の話だけを意味しない。教授を退官してからも学会などで影響力を持つ、院政を敷いている元教授みたいなのもいるのは事実だ。ただしニュアンスはそれだけではない。


教授たちが「上」という言葉を使うときには、ぼくがうがちすぎなのかもしれないが、


「教授だからさすがに自由にいろいろ仕切れるかと思っていたけれどそうでもない」


という心の声がにじんでいるのではないかと思う。


トップダウンで強権ごり押しが許された時代でもない。部下や隣の講座や学会の関係者一同などに気を遣い続ける「調整役」としての自分にあらためて気づく教授も多いようだ。大学教授というものが医師のキャリアの一端の頂点であることは間違いないにしろ(一端、と書いておいたのだからあまり考えなしにここで沸騰してつっかかってこないように)、やっている業務の性質は中間管理職である。連絡、調整、均衡、分配。整地、配置のくり返し、最後は税率0%でメガロポリス! ……最後のは『シムシティー』の攻略本のフレーズなので気にしないでほしい。でも、なんだか、教授と市長の仕事って似ているのかもしれないなとふと思う。市長になりました、それで位人臣極めました、なんて言わないだろう。教授もたぶんそういう仕事なのだろう。他人事だけれども。


最近仕事でご一緒する教授たちはみんなすごくまじめな人ばかりだ。基本的に敬語しか使わない。准教授以下のひとたちのほうが無闇にタメ口を使う印象がある。ここは偶然ではなくたぶんそういう戦略があるのだと思う。「教授だからって偉ぶりやがって……」と思われるリスクを回避する上で敬語というのは最低限のリスクヘッジだ。教授はみんなメールの返信が早い。教授は笑顔を絶やさない、まじめな案件で話し込んでいるときもしばしばふと笑顔になって「この議案は難しいですが、あなたに敵意も不満もないしこうしてご一緒できていることがうれしいです」というメッセージを伝えてくる。そしてみんな仕事ができる。それは当たり前だろ、と思うかもしれないが想像を超えるほど仕事ができる。資料の取り寄せとか文献の要約とか、部署への周知徹底とか予算の管理といった、普通の医者が「それは事務の仕事だろ」とか言ってないがしろにしがちな部分であっても教授はしっかりとこなす。「雑用に強い」のである。その上でなお、思考が深い。学術的な部分でも、あるいは(医者の場合は)臨床的な部分でもだ。


そういう教授が、日常会話の中で使う「上」という言葉にはおそらくまだまだ含みがある。こういうのはたぶんぼくのように下とか中にいるまま働き続ける人間にはわかりきらないところでもあるだろうし、教授ほどではないけれど中間管理を必要とする身としてはきちんと覚えておかなければいけないなと思う部分でもある。敬語と笑顔に関してはほんとうに勉強になる。この二つを欠いたままで「仕事ができるから許される」なんて人は、おそらくこの先はだんだん減っていくのだろう。居丈高で不機嫌なまま、処理能力だけ高い人というのは本当は存在しないのかもしれない。世間との均衡を保つ情報処理能力が低いから、人は虚勢を張ったり不機嫌さを隠さなかったりするのかもしれない、と、さまざまな教授陣を見ていてふと思う。はー優秀な人が性格いいとしんどいなー。

2021年11月25日木曜日

病理の話(600) きりのいい数字なので数字をかぞえてみる

病理の話が通算600回。ときどき同じ内容を書いているけれど、少なめに見積もっておそらく300くらいの話題は書いてきたことになる。


しかしそれはまああたりまえなのだ。なぜなら病理が扱う「病気」の数はもっと多いからだ。


病気のうち、仮に「がん」だけに絞ったとしてもけっこうな数がある。TNM分類という国際的な分類では、がんをまず29種類にわける。これは、どの臓器に発生したかでわけている。また、Wikipediaの英語版、list of cancer types(がんの種類のリスト)を見ると……


https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_cancer_types


なんと148種類の「がん」が項目立てされている(※自分で数えました)。しかしこれでもまだすべてではない。日常診療で分類している「がん」はこれよりさらに多いというのが、項目を見ていてもあきらかにわかってしまうのだ。


たとえば上記の148種類の中に、gastric cancer(胃癌)というのがある。しかしこの胃癌、WHO分類の「青本」と呼ばれる教科書をみると、さらに6種類に分類されるし、この6種類の中にもまた細かく区分けがあるのだ。


この作業は、まんま、動物や虫を分類していく作業に似ている。オニヤンマとシオカラトンボはどちらもトンボだが、住んでいる場所も好きな食べ物も違う、みたいな話と構造は一緒なのである。オニヤンマでひとつ、シオカラトンボでひとつ、ギンヤンマでひとつ絵本(「かがくのとも」など)が描けるように、がんも一つ一つに物語がありメカニズムがあるので話が尽きない。


そして当然のことだが病気というのはがんだけではない。だから「病理の話」はまず書き終わることがないのだ。ただし、病気や治療の話がいかに話題豊富だからと言って、それらをおもしろく興味深く書けるかどうかはまた別問題である。山本健人はえらいなあ。

2021年11月24日水曜日

思わせぶりな書き方をしましたが十四代ではないです

夏前に弟からもらった一升瓶をようやく昨日あけた。

本当はもう少し早く飲みたかったのだが、一升瓶は大きくて(四号瓶ではないので)冷蔵庫にうまく入らず、野菜室に入れると家族の邪魔だし、クローゼットにしまっておくにしてもいったんキャップを開けると夏はなんだか酒が悪くなりそうで、とりあえず涼しくなるまで待っていた。

札幌は今、朝方は4度くらいまで気温が下がっている。4度というと冷蔵庫だ。自然に冷蔵庫の機能が備わるまで待ったのだ。

もらった日本酒はかつてマスコミなどが取り上げて一時的にすごく手に入りづらくなった有名な酒である。最近はブームが落ち着いてわりと買いやすくなったけれど、それでもまだ、買うには多少の気合いが要る。自分では買わない。だからもらってよかったなと思う。飲んでみるとアルコールの臭さがなくて米の香りがきちんとする。妻は米の香りが強いタイプの日本酒が得意ではないので、これはぼくがひたすら飲むことになる。うまい酒だ。ポテチとは合わない。サッポロポテトなら合うかもしれない。


うまい酒を飲む機会などなくなってしまった。飲み会がないことは快適でしかないが、ひとりで外で飲む機会が減ったことは少し悲しい。こうして身の丈に合わない一升瓶を大事にちびちびと減らすことにハレを感じる。


先日、「しゃべくり007」を見ていたら、三代目J soul brothers(ひどい名前だ)のめんめんが、「最近はぜんぜん酒を飲まない」と口々に言うので、ヤンキーのカリスマとして受け入れられている人たちがテレビでこのようなイメージ戦略をとるのかと思ってびっくりしてしまった。月の服代が1000万円以上、毎晩クラブでオールのイメージではもはやTikTok文化で生き残れないということなのかもしれない。ザブザブ酒を飲むのがかっこいい風潮が、こうして廃れることになんの哀愁もわかないけれど、ではかつてそこにあこがれてやっていた人たちは今の三代目を見てどういう気持ちになるのだろうと、他人事でしかない興味を一瞬だけかきたてられた。三代目の中でたまに「体育会TV」で野球をやっている一人は朝起きると白湯を飲んで散歩をすると言ってスタジオの笑いをとっていた。本人も笑っていた。その笑いが全く引きつっていないのでとても感心した。人間、ここまで笑う技術を極められるものなのか。

2021年11月22日月曜日

病理の話(599) 病理組織でフライデーしてもしょうがない

Twitterなどを見ていると、ときおり、病理の画像を1枚貼り付けて、「○○病の原因があきらかに!」と宣言しているツイートが流れてくることがある。


ここでいう「病理の画像」というのは、顕微鏡でのぞくプレパラートの写真であることがほとんどだ。H&E染色で色鮮やかに染まった細胞たちが、400倍くらいの倍率で撮影された写真の中に並んでいる。


でも、このような写真1枚で、「○○病の原因があきらか」になることは100%ない。断言していい。だからこの写真は多くの場合、「釣り」の画像である。それ自体にはあまり意味がないのだけれど、見栄えで視聴者たちをひっかけるためのエサだ。




たとえば病理の写真に「病原体」が写っていたとする。「いやーこれが写っていたらさあ、さすがに原因はこれだってわかるジャン!」というのは早計である。

その写真に写っている病原体は、ほんとうに病気の「原因」か?

たとえば火事でボンボン燃えている家のすぐ横に、ライターを手に持ちタバコを吸っている人がいたら、それは必ず放火犯か?

そうとはかぎらない。ちょっと怪しいな、とは思うけれど(火事場でタバコ吸うなよ……)。単なる野次馬かもしれないし、周囲の住人が驚いて見に来ただけかもしれない。


これと同じ事が病理診断にも言える。「そこに写っている何か」を、病気を引き起こした犯人と決めることはできない。「ただいるだけ」かもしれない。それがいかに「レア」な病原体だったとしても、である。火事場にマツコデラックスやタモリがいたら周りは騒然とするだろう。なぜこんなところに!? でもレアだからといって「あやしい、犯人かも」なんて普通は考えない。なのに、病理の写真になると、とたんに人びとは騙されがちになる。


ある物体が病気の原因であると決めるには、「モノを実際にみる」以外にも複数のプロセスが必要だ。それは統計学・疫学だったり、「健康なヒトにそれを加えてみて、本当に病気が起こるかどうか証明する」実験だったり(これって人体実験なので、そう簡単にはできないよ)、逆に病気のヒトからそれを取り除いて「ただちに」病気がよくなるかどうかを確認したり、さらにはその物体のまわりで「たしかにこいつが病気の原因であると思わせるような、生体の挙動」がいくつも起こっていることを確認したり(状況証拠とでも言うのかな)、そして最後には「どのようなメカニズムでそれが起こるのかをきちんと説明」したりしなければいけない。


よく考えると当たり前のことなのである。だって、裁判だってそうだろう。現行犯逮捕! のあと、逮捕した人が即犯罪者になるわけではない。まずは「被疑者」として取り調べが行われる。裁判だってときには何度もやる。そこまでやってはじめて「被告を○○の刑に処す」となるが、これが冤罪ということだってある。それくらい難しいのだ。

話は、一緒である。そこに犯人ぽいやつがいるからって即座に「犯人確定!」とやる作業が通じるほど、人体は単純ではない。少なくとも「現場の写真1枚」で裁判をやるやつなんていない。だから逆に、H&E染色のような「見栄えがする写真」を選んでツイートしている人はちょっと信用できなかったりする。週刊誌の写真ひとつで人生を狂わされた無実の人だっている、でも、人間はすぐこういうわかりやすいネタに心を持っていかれるから、ままならない。せめて知っておかなければ。

2021年11月19日金曜日

ときどき考えときどき存在

ブログに書くことがない日というのはない。なぜなら考えていない日というのがないからだ。ただし、この記事をどれだけの人が楽しく読んでくれるだろうか、ということを考え出すと、とたんに「書けない日」が出てくる。

何かを書ける、書けないという切り分けをするにあたって、人の目線、他者からの圧力みたいなものが決め手になる。

いや違うぞ、他人はどうでもいい、うちなる自分がその文章を良いと思うかどうかだ、みたいな話もあるだろう。そういう人は自分の中に「自分を客観視するもうひとつの人格」を作っている。でも、内部に自作の他者を用意してそこからの目線と圧力をバネにものを書いているわけで、うん、別に、たいして変わらないんじゃないかな、と思わなくもない。

厳密なことを言えば、自分が用意した「内にいる他者」は、偶発的に飛びかかってくる予測不可能の「外の他者」とは異なる。所詮は自分が作り上げた他者なんて、自分の想像の範囲内におさまることがほとんどだろう。そこがつまらないなと思う。「自分が自分の文章を良いと思うかどうかだ」などというセリフ、一見高尚なことを言っているかのようにも聞こえるけれど、なんだかたいしたことがない気もしてくる。自分の予測が及ぶ範囲で納得できればいい文章だなんて。

本を作る上で、編集者に伴走してもらうことの必要性は、こういうところに端を発しているのだろう。

ところで唐突だが「日記」の話をする。日記は他者はおろか、内なる他者、すなわち自分自身が「つまらんな」と思いうような内容でも一切かまわない。「書くことがあるかどうか」だけがポイント。人間が考えない日というのはないので、日記を書けない日というのは存在しないことになる。

しかし「日記的散文を載せているブログ」となると話は複雑になってくる。「どう読まれてもかまわないしそもそも誰も読んでいなくてもよい、誰かに何かを与えることも考えずにただあったことを書いているだけだ」という文章が持つ、「見られたさ」みたいなもののことを最近よく考える。誰も見ないのを良いことに、あったことと考えたことを好き勝手に書く、という「恣意」には多くの人が気づいている。他者の反応を受け入れませんよ、という宣言のわりに、他者のニーズに応えませんよ、という看板のわりに、日記的散文というのはしばしば他人からの反応をもって変節していく。どうもこのあたり、人生だな、と雑にまとめたくなってくる。

ところで、Twitterの可能性は「日記」ならぬ「秒記」にあると感じる。つぶやくという単語の根底にあるニュアンスは日記のそれに近い。そして、人間に「考えていない日」というのがないように、じつは「考えていない秒」もないとすると、そこから漏れてくるものを書けるものなら書こうかなと思う人がTwitterにハマっていくのだろう。ツイートを人に見せて商売がどうとか、反応をもらって引用RTしてどうとかいうのは、日記を切り売りするということに近い。






ポール・ヴァレリーという人は、デカルトの「我思う故に我あり」に皮肉をぶつけて、「じゃあ私はときどき考えているからときどき存在しているよ」と言ったという。元ネタをどこで読んだのか忘れてしまったが10年以上前、ぼくはTwitterという秒記の存在意義は「ときどき考え、ときどき存在」にあるのではないか、と考えていた。今ふと思ったけど「秒記」とは「病気」と同じ発音である。

2021年11月18日木曜日

病理の話(598) がんばれお医者さん

医者になって5年目とか7年目とかになると、「論文」を書かなければいけない。


……いや、ま、書かなくてもいい。毎日患者と向かい合って真摯にベッドサイドで奮闘していけば、それで医者としての最低限の仕事は果たせる。……たぶん。おそらく。


でも本当はそれじゃだめだと思う。医者は、患者に真摯に向かい合う「ために」論文を書かなければいけないのだ。


なぜなら、あらゆる医者は、「他人が書いた論文(や、教科書)」の御利益ではたらいているからである。




すっかり有名な言葉になってしまった「エビデンス」という言葉。まるで古代ローマのコロシアムみたいな雰囲気の単語であり、重厚・絶対のニュアンスを感じるわけだけれど、エビデンスというのは別にカミサマが用意してくれた石板に書いてあるわけではない。ぜんぶ、先達(せんだつ)の医者たち・研究者たちが、しっかりと研究をして、論文を書いて、その結果をさらにまとめあげて教科書などにして、歴史とともにできあがってきたものだ。

たとえば、ある病気を医者が見抜くために、いくつもの身体診察、血液検査、CTなどの画像検査を行うわけだけれど、このときに、


「お腹をおして痛がったらこの病気かも」


とか、


「血液データでこれとこれの値が異常だったら要注意かも」


とか、


「CTでこの臓器に何かができていたらあるいは……」


みたいな話は、全部、本当に全部、誰かが過去に論文にしている


だから医者は安心して、「過去の論文によれば、この血液データとこの血液データが異常なこの患者に、こういう所見がとれたら、こう診断して、こう治療をすると、けっこうよくなる」ということを言える。


論文になっていない医学などあってはいけない。

数千、数万、数十万、ときには数千万人という規模の「過去の医者」が、とっかえひっかえ苦労して編み出した手法を受け継いでおくことがどれだけ大切か。仮にその病気の患者を過去に診たことがなくても、医者が先人達の知恵を使って戦うことができることの、尊さたるや……。



というわけですべての医者は論文や教科書をきちんと理解して診療に臨むのだが、このとき、論文という専門の文章を読むにはけっこうエグいコツがいる。


情報量がとても多いし、クセがあるし、難しい言葉や概念も用いられている。だから、「論文を読みながら医者として働き続ける」にもけっこう訓練しなければいけないのだけれど。


この、「論文を読むための訓練」として、おそらくもっとも有効なのが、「自分でも論文を書いてみること」なのである。フラジャイルの岸京一郎も宮崎に同じことを言っていた。「何本か論文書いてみればわかるよ」と。




過去の医者が、どういうプロセスで、どういうデータを集めて、どう考えて論文にまとめたのか。その表と裏の部分。ひだとひだの間に隠れたニュアンス。現場でしか体感できない空気のようなもの。これらをまるっと理解しようと思ったら、早いうちに論文を書くに越したことはないのだ。だから、医者になって5年目とか7年目とかになったら、「論文」を書かなければいけない。多くの指導者はそう思っている。



まあ人生が一番忙しいころでもあるんだよね、5年目とか7年目というのは。長い学生生活を終えて初期研修、後期研修と終わって、ようやく収入が安定しつつあるころだ。もっとも若くても31歳、それまでのキャリア次第では30代後半とか40代なんてこともザラ。ふつうの企業人だとそろそろ仕事も任されまくっているころなのかな、とか妄想をふくらませながら、医師免許をとって5年以上が経っているのにまだ上司に言われて論文を書かなければいけないんだから、たいへんだ。でも、これをやるのとやらないのとでは、「その後の伸び」がだいぶ違うと思う。がんばれお医者さん。

2021年11月17日水曜日

太ももがむちむち

集合写真を撮った。病理診断科のスタッフ、病理医3名、技師5名、助手1名の合計9名がスマホのカメラに写る。となりの検査室からスタッフを1名借りてきてシャッターを押してもらった。


撮られた写真を見てみると、辺縁の部分が魚眼レンズ的に少し湾曲していた。スマホの設定を風景用などに変えておくべきだったかもしれない。まあ、用途はしょせん「大学の基礎講座に送って教室だよりに載せてもらう」だけなので、これでもよかろう。


写真に写った自分を見る。椅子に座って太ももの上に拳を置いている。太ももが少しむちむちしている。写真の写り方の問題、というよりは、パンツの素材のせいかもしれない。GUで買った3000円しないパンツだ。


写真なんてめったに撮らないのでこういうときにあっしまったなと思う。




写真のためにみんな一瞬マスクを取った。しかしシャッターを押される寸前に、今のこの時期を記録に残すためにマスクをしたままでもよかったかもしれない、と少しだけ思った。そして次の瞬間には、「こんなもの記録に残してやるもんか」という意地のようなものがムクムクと湧き上がってきた。そして、よく考えるとおそらく今後病院では一生マスクを外すことはないので、この時期もなにも、今に限った話じゃないんだろうな、と思い直した。


新型感染症対策のために手洗い・マスクを遵守し、患者の面会を謝絶した結果、院内で発生する肺炎の数が減って驚いたのは、もう1年くらい前のことだ。結局は、今まで、持ち込んでいたのだろう、さまざまな感染症を、人が。そういうことがわかってしまった今、病院に勤める人間がマスクを外すことは、一部の必要な例外を除いてありえない。マスク以前とマスク以後は完全に分かたれた。


とは言え、ケアの現場では医療者の表情を伝えることが実益に結びつくこともまたよく理解できる。決めてかかることはないのだろう。50年もすればマスクも手洗いもありがたみが薄れてくる……のかもしれない。どうだろうな。防災意識くらいには残るのだろうか。


シャッター音が響いて、みんながそれぞれの仕事に戻り、ぼくはしばらく考えていた。「今を残すこと」とはなんなのだろう。変わっていく未来に、変わらぬ止め絵を贈る行為とはいったいどういうことなのだろう。たとえば10年後にぼくが今より痩せていたとして、この写真を見て、太ももを見て、マスクを付けていない顔を見て、そのとき何を感じるのだろう。写真ひとつにぶつぶつとものを感じるのも今だけの価値観なのかもしれない。あらゆる細胞が入れ替わり、おそらく考え方も変わっている10年後のぼくは、果たしてぼくと言えるのだろうか? 言うしかないにしろ。

2021年11月16日火曜日

病理の話(597) 病理医になる方法

1.まず大学の医学部に行きます。全国どこでもいいです。病理医になれない大学というのはありません。ただし、なかには医学部がさらに「医学部医学科」と「医学部看護学科」などに分かれている場合があります。「医学部医学科」を出ないと病理医にはなれません。

(※例外:歯学部を出ると口腔病理医になれる。獣医学部などを出ると獣医病理医になれる。けどその話は今日はしません)


2.医学部に入ったらほかの学生と同じように勉強します。6年間あります。卒業時に国家試験を受けて合格しましょう。医師免許が手に入ります。


3.医師免許を手に入れたら初期研修(2年間)をはじめます。内科、外科、麻酔科、救急診療、産婦人科、地域医療、精神科、小児科など、ひととおりの科を巡って病院とはこういうところなのだ、医者とはこうして働くのだということを頭に刻みつけてください。


4.初期研修の最中に、先輩病理医たちを探しましょう。大学にいるかもしれません。ふつうの市中病院にいるかもしれません。いないところでは教わることができません。教わらなければ病理医にはなれません。じつは、病理医は独学では絶対にたどり着けない資格なのです。なぜなら、病理専門医になるためには「解剖経験」が必要で、解剖は本で読んでもできるようにはならないし、そもそも死体解剖資格という国家資格を持っている人がついていないと執刀できないからです。だから病理医の先輩がいないとそれ以上先に進めません。


5.病理医がいるのは大きな病院が多いです。目安として200床くらいの規模から病理医が常勤している可能性が増します。300床を超えたらたいていはいます。500床を超えて病理医がいなければその病院は精神科や循環器科がメインのやや特殊な病院なのでしょう。初期研修を大きな病院でやる必要はないですが、その後のことを考えると、さいしょから大きめの病院で研修しておいたほうが、病理医を探しやすいかもしれません。


6.病理医を見つけたら相談しましょう。電話かメールで連絡し、あるいは院内で直接話しかけるなどして、アポイントメントをとって、空き時間に進路の相談をします。現場で働く病理医はたいてい、複数の病院の病理医や大学病院の病理部と連携しているので、どこで研修すればよい病理医になれるかという情報を持っているものです。そういう情報を持っていなさそうな病理医もいますが、少し話をするとだいたい区別がつくと思います。


7.初期研修(2年間)が終わったら、いよいよ病理医としての「後期研修(3年間)」をスタートさせましょう。令和3年現在、後期研修先としては基本的に大学病院がおすすめです。市中病院だと取れない資格や経験できない診断があるからです。市中病院から大学に通って教えてもらうのは慣れていないとけっこうハードルが高いです(うまく調整してくれているなら別)。でも、大学で研修をしながら、ときどき市中病院に出張したり勤務したりするのはわりと楽なのです。本社から支部に出張するのは気楽、支部から本社に出向くのはプレッシャー、みたいな雰囲気はあります。


8.というわけであなたはどこかの大学病院、あるいはそれに類するレベルのでかい病院の病理部(病理診断科)に無事就職できました。言い忘れましたが初期研修も後期研修も給料は出ますので安心してください。まず、後期研修の開始時に、日本病理学会に入会します。年会費は自分で払うものですが、病院によっては科が研究費で出してくれることもあります(でも最近は少なくなりました)。日本病理学会に早めに入らないと、病理専門医という強い資格の受験要件を満たせませんので注意してください。


9.後期研修では主に3つのことをやります。

    1)基本業務を覚える:切り出し、顕微鏡の使い方、一次診断の書き方

    2)臨床各科とのカンファレンスに出てしゃべる方法を覚える

    3)解剖の経験を積む

    4)論文の書き方を学び、実際に書く

    5)本を読み、論文を読んで、講習会などに出て勉強をする

3つのことと書きましたがリストアップしたら5つありました。このすべてを「好きな順番にやる」のではなく必ず全てやる必要があります。1)だけで後期研修を終えるとあとあと全然働けなくなりますので注意してください。2)カンファレンスでの病理医の仕事をきちんと学ぶ機会は今後訪れません。3)解剖経験は大学にいる間に積み上げないと、病理専門医の受験資格にたどりつけません。4)論文を書かないと病理専門医にはなれません。5)勉強をしないとあなたが医者である意味がわかりません。


10.年によって受験資格が微妙に変わるのですが、後期研修の3年間が終わったあたりで、うまくいけば病理専門医の受験資格が揃います。ただし、人気の研修先だと病理解剖の症例を研修医同士で分け合うために、解剖経験数が足りないことがありますので注意が必要です。病理専門医資格はなくてもしばらくは働けますが、ないままだと晩年の就職が厳しくなりますので、医師10年目くらいまでにはとっておきたいものです。


11.この間、診断をしたり(すべての診断は上司がチェックしてくれます)、解剖をしたり、カンファレンスで奮闘したり、論文をがんばったりしますが、おそらく同時に「出張」も経験することになります。大学病院以外の関連病院の病理検査室におもむいて、現地の病理医といっしょに診断をします。大学とはひと味違った経験ができますのでやっておいたほうがよいでしょう。というか、大学でだけしか働いていない病理医はキャリアの中盤以降に働く場所を探す上でけっこう苦労するので基本的に出張経験はあったほうがいいです。


12.学会・研究会にはなるべく出席しましょう。「そういうのに出なくても、いい病理医にはなれるよ」という人は99.9%の確率で少なくとも臨床医からはいい病理医と思われていません。というか学会や研究会に出ないとふつうに勉強が足りなくなるので病理医として働く上で不都合が生じます。交通費や宿泊費などは、施設の研究費でまかなえないこともあり、自腹になるとけっこうな負担で年間軽く数十万は使うことになります。でも最近はZoomでいくらでも無料で出られるようになりました。かつて、「自腹で行くなんて意味がわからない」などとブツブツ言っていた人たちは、無料になってもZoom研究会に出席していませんので、結局は勉強する気が無い人たちだったのでしょう。


(補遺: 「わりと長い時間、勉強し続けられること」が医学部を出て医者になった人間の唯一自慢できる点だと思っています。一夜漬けで医学部に入れた人はほぼいないでしょう。積み重ねの先に医者になったことを自覚し、医者になってからも「積み重ねる能力者」、すなわちツミツミの実を持つものとして研鑽しながら実戦する、それ以外に医者が、特に病理医が給料をもらって働く価値はありません。)


13.無事、病理専門医になってから、やることはまだまだあります。大学で基礎研究にも興味がわいたら大学院に進学して実験論文を多く書くのもよいでしょう。また、診断に打ち込みながら臨床医と組んでさまざまな臨床論文を作るのもありです。留学を考える人もいます。大学の関連病院など、市中病院に籍をうつして、いわゆる「普通の病理医」として給料をもらいながら医療のために診断を続けることもできます。ただ、個人的には、「病理専門医なりたて」くらいだと市中病院でひとりで診断を引き受けるにはまだ経験が足りていないことも多いと思います。不安も多いでしょうから、大学のコネを使いながら、あるいはネットのコネなども駆使して、複数の病理医がいる施設で引きつづき勉強を続けましょう。


ここまで、医学部6年+初期研修2年+後期研修3年+専門医受験のための追加勉強1~3年でだいたい高校卒業から12年~15年くらいが経過しているはずであり、医師免許を取得して6年~9年目くらいのことが多いです。


しかしここまでの話をぜんぶひっくり返すようなことを言うと、病理医になるには他にもさまざまなキャリアがあります。たとえば大学時代から基礎講座に出入りして病理の人たちと仲良くなって、初期研修の最中からなんとなく病理ムードをムンムン漂わせているとか、逆に医学部ではない大学を出て、社会人になってから医師になろうと思って再受験(社会人ワク)して、そこから医者になって病理医になるとか、いちどはほかの臨床医になったんだけど10年目で病理医に転向した、みたいなパターンもよく聞きます。なのであまり型にはめた考え方をする必要はないのですが、ひとつだけ言うとすると、「どんなルートをとるにしろ、日本病理学会に入会したら一生勉強する気持ちでやっていくしかない」のと、「大学をはじめとするハブ空港的機関を活用し、前後左右に多くのコネを作りながらやっていかないとルートが見づらくなる」ということだと思います。ひとつだけと言いながらふたつ言ってしまいました。

2021年11月15日月曜日

5案の中から

かつて『病理医ヤンデルのおおまじめなひとりごと』(大和書房)という本を出したときの話。担当編集者のWさんが「帯文、どなたかに書いてもらいましょうね」と言ったので、「どなたかというのはどなたがいいんでしょうか」と答えたところ、「そうですね……先生と縁のある人なら誰でもいいと思いますよ」みたいなことを言われた。


なるほどなあと思ってふたりで考えた結果、糸井重里さんにお願いしてみてはどうかという話になり、こういうのってお願いしていいのかどうかもよくわかんないな、と思いながら編集部から一報を入れて頂いたところ、快くお引き受けいただいた。なんかちょっとすげえなと自分でも思った。


で、今日書きたい話はそのくだりではなくてそのあとの話だ。以前にもブログで書いたことがある気もするがたぶん切り口は違うだろうからかまわずに書くと、糸井さんは帯文を、


「5種類」


送ってくださったのである。しかもそれぞれについて「この文章はこういう意図がある」とか、「これだとこのように読まれるのではないか」とか、「私はこの順番でおすすめする」というように、解説やふんわりとした序列がついた状態だった。ぼくは愕然とし、かつ、とても感心した。


このようなやり方がいわゆるコピーライティングとか広告プレゼンの場で行われている一般的な手法なのかどうかはよく知らないし、知ったところで活用する機会もないのだが、本を読んで帯の文章を書いてくださいとお願いした相手が1つ文章を練って送ってくださるだけでもうれしいのに、複数考えて送ってくださったのでなんというか撃ち抜かれた思いであった。


それ以来、果たしてぼくは今後このように、「ひとつの依頼に対して複数考えて提示して相手に決めてもらう」ような仕事をする機会があるだろうか? と、ことあるごとに考えるようになった。


たとえば、臨床医に「学会で発表したいので病理の写真を撮ってください」と頼まれたとき、写真を撮るだけではなくパワポに組んで解説を付けて渡すところまでは毎回やっていたのだが、ここでさらに、「発表する時間に応じてこの写真はカットしてもよい」などのサービス……というか、写真を受け取ったほうが選べるような仕事をできるものかとだいぶ考えた。主治医に頼まれて病理の写真を撮るという仕事は、消化器の研究会を除くと250例を突破したが、消化器系はさらにその倍以上あるのでたぶんこの14年間で700~800回くらいは臨床医の依頼に応えてきたことになる。年間50例とすれば週に一度のペースということだ。まあ市中病院の主任部長としては多くも少なくもないくらいだろう。で、「帯文事件」のあとで担当した100例くらいは、相手が写真を選べるようなシステムにしてみた。糸井システムを採用したのである。ただし、臨床医もヒマではないので、「いいから病理医のほうで決めてくれよ~」という気分になることもあるようなので、それこそ糸井さんがやったように、「おすすめの順番はこうだよ」と仮組みして提示するのがよい。このやり方だと、ただ病理の写真を2,3枚撮ってホイと渡すのに比べて臨床医の満足度が違う。結果的に、学会や研究会でどのような発表をしたのかをあとで教えてくれたり、そのまま共同研究に誘ってくれたりと、めぐりめぐってぼくの得になるようなシーンも増えた。なんだかんだで論文業績も増えており、ぼく自身の勉強にもなるので一石多鳥である。


ただしこのシステム、当然だが1案出すよりも時間はかかる。忙しい中で毎回どっぷり時間を使えるわけではないので理想と現実の落としどころが問題となる。しかし、「もてなし」的な気持ちは、秒単位であっても取り入れることが可能なのもまた事実だ。「やれるときはやろう」と気に掛けておくだけでもだいぶ違う。たとえば、新しいモノを2つ、3つと考え続けることまではせずとも、準備中に思い浮かべて最終的には棄却した「代案」みたいなものを、「メインのアイディアがあるからサブはいいや」と引っ込めるのではなく、そちらもある程度精製して相手に提示し、「いちおうこういう第2案も考えたけど第1案のほうがいいとは思う」みたいにプレゼンしてしまう。これは丁寧にやると相手にとって選択肢を増やすことになるし、思考を追体験してもらってよりよい第3案を生み出すきっかけになったりもする。


かといって、「あのとき5案をくださった糸井さんと同じようになりたい」と、本と末を転倒させるような目標設定では真に相手のオファーやコンサルタントに答えたことにはならないとも思う。相手の依頼によっては1案に絞って強めに提示したほうが全体が引き締まることもある。3000文字の原稿依頼がきたときに、相手が選べたほうがいいだろうと言って記事を5本書いて「この中から選んでください」というのはやはり違うような気もする。さまざまな案の中からひとつに絞り込むためのプロ意識というのも時と場合によっては必要だ。


世の中には「選択」という言葉があふれすぎていて、まるで人間は選択ばかりくり返す生き物みたいな気分になる。実際にはもっと「A or Bでは片付かない、AとBの中間付近で微調整をくり返すやりかた」がいっぱいあると思うのだけれど、それでも、人はありとあらゆる現象に対して無限に思考を続けられる脳を持ってはいないので、ときには事象を簡略化して、「ヘリ」の部分はそぎ落として、A or Bという選択でビシッと物事を前に進めたくなるときもある。選択か、微調整か、そのあたりのニュアンスは、あるいはぼくらの人生に、交互に訪れるくらいでちょうどいいのかもしれないなあと思う。思い返してみると、「5案を提示するけれどこれらにはふんわりとした序列があり、そしていろいろ調整してみていいよ」というのは、選択だけでも微調整だけでもない、絶妙のバランスの上に成り立つ仕事のやり方だったのではないか、と今さら腑に落ちるのである。なお、ぼくはその後いくつかの本から帯文を書くように頼まれたが、どれに対しても必ず5案ずつ提案した。長々と書いてきたがこういうところはわりと正直に真似していく。

2021年11月12日金曜日

病理の話(596) そこに菌はいますか

日ごろ、病理検査室の奥にいて、患者と顔を合わさずにこっそり楽しくやっている病理医のもとに、臨床医がやってくることがある。電話ではなく直接顔を出すからにはそれなりの理由があって、いくつかのパターンがある。困惑気味の顔でわからないことを聞きに来るとか、お調子者の顔で教科書や論文を借りに来るとか、使命感に満ちあふれた顔で共同研究の相談をしにくるとか、ぼくのデスクに常備してあるアメが目的とか。

そして、「あきらかに切羽詰まった顔」でやってくるドクターもいる。月に何度か経験する。



「先生、○○菌は見つかりましたか?」



○○に該当する菌はそう多くないが、ここでは書かない。大事なのは、これが何菌の話かではなく、「あとで病理診断報告書に書かれた『ある・なし』を見ればわかる程度の質問を、あえて病理医を直接訪れて聞き出したくなるくらい、臨床医がハラハラドキドキしている状態」のほうだからだ。



まず、この医者は、患者の不調の原因となっている「病原菌」が見つけられていない。あらゆる検査を駆使しているのに、だ。あらゆるというのはたとえば血液検査だったり、培養検査だったり、PCR検査だったりする。質量分析などのマニアックな方法もある。菌を見つける検査はいっぱいあるはずなのに、何をやっても菌が見つからないというならば、つい「菌が原因ではないからだろう?」と考えたくなるところだ。

しかし、ここが現場の医療の難しいところでもある。「何をやってもなかなか引っかからないが、じつはどこかに菌が隠れている」というパターンの病気は実際にある。このとき、菌が見つからない理由はいろいろである。


1.血液に菌が影響をおよぼしづらい

2.PCR用の検体を採取できる場所にその菌があまりいない(他の場所にいる)

3.体のどこかから検体を培地になすりつけて、菌を培養しようとはしているのだが、じつはこの菌は培地に生えて目に見えるようになるまでに何週間もかかる(発育が遅いのでそれを待っていられない)

4.レアな菌すぎて普通の病院だと検査法がない

5.そもそも菌が原因の病気ではない


「そもそも菌はいない」というパターンは最後に書いた。何かの菌にやられたときに似た症状を引き起こす、「菌が原因じゃない病気」というのもある。しかし、「菌がいるけれど見つかりづらいだけ」という、クライムミステリーみたいな状況もありうるのだ。これだから医療は難しい。




このようにさまざまな理由で「菌が見つからない」とき、医者はどうするか。究極的な答えがひとつある。それは、「菌探しをやりつつ、それはそれとして、今ある病気の状態に対処する」ことである。

もちろん、患者に悪さをしている「原因」がわかればそれだけ効果的な治療ができる。しかし、原因そのものが見つかりきらなくても、今起こっている症状に対して治療をぶつけていくことはできる場合がある。これは「原因探しをあきらめる」という意味ではない。原因は探し続けるが、その間、患者に何もしないでただ延々と苦しませているのはよくない。そして、「治療を入れることで結果的に原因までわかってしまうケース」も考慮する。俗に「診断的治療」という言い方もする。治療することが診断にもつながる、という逆説めいた言葉である。


「○○菌はまだ見つかっていませんが、○○菌の感染とみなしてこの薬を使います。もしこの薬がよく効いたら、検査では見つかりづらいタイプの○○菌感染であったとあとからわかるでしょう。」


推論としてはスジが通っている。ただし、「みなして」の部分では患者はもちろん、医者も緊張する。


こういうとき、主治医は慎重になり、よく歩く。細菌検査室の技師に「検査の雰囲気」を聞きに行き、外注検査会社に新しい検査が出ていないかをたずね、そして、病理医にも話を聞きに来る。

どこか1箇所、だれかひとりでも、「菌の正体」に肉薄している人はいないかと、チームのすみずみに目をくばって考えるのだ。そこまでしてなお、「現在の医療では誰がどう調べても○○菌が見つからないが、しかし、○○菌が引き起こした病気かもしれない」というケースだと考えたときに、主治医は患者とよく相談してから治療を開始する。




さて、このような相談を受けた病理医はどのように答えるべきか。

「○○菌ですか?

→ いました。
  いませんでした。」

のように、いた・いないの2択で返事してよいものか? 

よい。それが仕事である。しかし、それだけでは終わらないのが医療というものでもある。

「菌は見つかりませんでしたけれど、今、どのようにお考えなんですか?」と主治医の相談に乗る。これはおそらく、病理医としてやったほうがいい仕事なのだ。同じ国家資格を持ちながら、違う部門で働くふたりの医師が、それぞれの視座から考えていることをぶつけ合う。あるいは、もっと単純に、「困っている臨床医の話を聞くことで、臨床医の頭の中を整理するのに付き合う」くらいでもいい。



「病理医はいる・いないしか答えられないんだからあまり頼られても困るヨ」みたいなことを言う病理医は、医者としての給料をもらうべきではない。もっと親身になるべきだ、仮にも医者なのだから……くらいのことをぼくはときどき考える。でもこれは言葉が強すぎるので、なるべく言わないし、書かないようにしている(書いちゃった)。

2021年11月11日木曜日

マクロの波動関数

バスを待っていた。ぼくは中学生だった。塾の帰りであった。道を挟んで向かい側にもバス停がある。人はいなかった。その向こうに建物が並んでいて、ひとつはマンションを仲介する会社、もうひとつは……なんだったか忘れたがレンタカーかタクシーか、そこはさほど重要ではないのだが、とにかく会社のビルが並んでいた。そのふたつのビルの前にはある共通点があった。

各ビルの前にはひとつずつ、地面に立てる縦長の電光掲示板のようなものが置かれていたのである。そこには縦書きの文字がおそらく流れていて(車道に向かって表示されているので、向かいのバス停からは何が書かれているのかはよくわからなかった)、おのおのの電光掲示板の上にはそれぞれ明滅する赤いランプがついていた。ランプのサイズはパトランプくらいだったが灯りは回転するわけではなく、雰囲気としてはクリスマスツリーの電飾に近くて、点いては消え、点いては消えをくり返すものだった。

バスを待つ間、ぼくはそのランプをよく見ていた。どちらもチカチカと周期的に光って消えてをくり返すのだけれど、両者はわりとよく似たデザインなのに、点滅するタイミングは微妙にずれていて、それらはときどき一緒に光ったり、あるいは完全に「裏拍」で光っていたりした。BPMが違う音楽同士がときおりグルーブしてはまたすぐにずれていく。ぼくはそれを飽きもせずにずっと眺めていた。

ときおりシンクロする二つのランプには意思が感じられるように思った。彼ら、あるいは彼女らは、なんらかの理由で異なるリズムを体に刻まれてしまっているのだが、それでもときおり、示し合わせたように一緒に光って喜んで、またじわじわとタイミングをずらされていくのだ。


公園に置いてある、鎖の長さがなぜか異なるブランコ。


田舎の家に置いてあった、秒針と合わない振り子時計の振り子。


自動車のコンパネに映ったウインカーの表示を後部座席から延々と眺めている。シートに横になって、座面に押しつけているこめかみの、血管の拍動とウインカーとが毎回少しずつずれていた。


そう言ったことをぼくは塾の帰りによく考えていた。ときどき思い出す風景なのだがブログを書こうとPCに向かったタイミングで思い出したのは今日がはじめてである。これもひとつのシンクロではある、そう書いて締めようと思ったときに昔のぼくがしゃべった。


「それはシンクロじゃない。」


そうなのだ。シンクロではない。でもぼくはそれがシンクロっぽく見えることに、なぜだか静かに落ち込んだり少し興奮したりを周期的にくり返していた。そんなことをずっと考えていた。

2021年11月10日水曜日

病理の話(595) どこまで細かく検索をするか

今から50年くらい前の話。

旧・築地市場の目の前に建っている、国立がんセンター中央病院病理部(当時の名称)では、「早期胃癌」の発生メカニズムを解明するために、猛烈な熱意で研究が行われていた。

胃癌の患者から、手術で胃がとられてくる。

胃には、見てわかる大きながんがある。そのがんを、こまかくスライスし、プレパラートを作成して、顕微鏡で詳しく検索する。

これは今も変わらず行われている「病理診断」だ。しかし、当時はこの検索に加えて、さらに追加で手間がかけられていた。

「がんのない粘膜」もすべて、プレパラートにされ、検索の対象となったのである。



たとえ話をする。

火災が起こったときに、燃え落ちた家やそのまわりに建っている「火の粉が及んだ家」に入って現場検証をするのは大事なことだ。火の出た原因を明らかにすれば、今後の防災にも役に立つだろう。

しかし、「火災が起こった町内のすべての家を家宅捜索」することに、意味はあるだろうか? それはさすがにちょっと、やりすぎではないだろうか?



「がん」のない粘膜を調べるというのは、この、「燃えた家以外もぜんぶ家宅捜索する」ということに似ている。異常な手間がかかる。胃ひとつを全部プレパラートにすると、その枚数は(胃のサイズにもよるが)200枚にも300枚にもなってしまう。切るのも大変だし、顕微鏡で見るのだって膨大な時間がかかる。

しかし、結果的にこの、「燃えた家以外もぜんぶ見る」ことが、その後の胃癌診療の発展に大きく寄与した。

これによって、「まだ進行していない、早期の胃癌」というのがときおり見出された。「ボヤ」が見つかったということだ。さらには、「胃癌の発生している胃に、ずっと進行していた病的な変化」もいろいろとわかってきた。「火の不始末がありそうな町内」であるということを確認できたのである。



胃の研究はすすみ、今では、切除された胃を毎回すべて切らずとも、胃カメラの段階で、あるいは病理医が胃を目で見るだけで、どこにどのような異常が生じているかをほとんど見分けられるようになった。「全割」と呼ばれる、採ってきた標本すべてを切りまくってプレパラートにするやり方は必要なくなった。


それでも、この「とことん調べる」という手法は、今もまだ有効である。とくに、まだメカニズムの解明されていない新しい病気や、まれな病気を検討する際には、採ってきた臓器を細かく切って多くのプレパラートを作り、網羅的に解析することが行われる。


「まだメカニズムの解明されていない新しい病気? そんなの、現代にまだ残っているの?」


と疑問に思う人もいるだろうか? いや、たぶん、いないだろう。新型コロナウイルス感染症だって「新しい病気」だ。この世の中に、まだまだわからない病気がたくさんあるってことは、医者でなくても、みんながなんとなく知っている。いつもいつも細かい検索をすればいいというものでもないのだが、いつでも細かい検索をできるように心の準備をしておく、そういう姿勢も病理医には求められていると思う。

2021年11月9日火曜日

ザッカーバーグはそのへんわかってんのか

「おちつけ」のピンバッジと「騒ぐと損」のキーホルダーとをデスクの横にかざっている。これらを見たからと言って、落ち着けるわけではない。そんな御利益はない。

ただし、「これらを見る、というムーブを思い出す自分」であれば、すでにそれは比較的落ち着いているということだ。

あれよあれよと移り変わっていく仕事の激流の、中州で孤立しているときにふと、「デスク横にこんなものを飾ってみた日もあったな……」と、自分の出演する動画の「時間軸バー」を戻す余力さえあれば、自分の力でなんとか落ち着きを取り戻すことができる。





「おちつけ」と「騒ぐと損」の向こうには、ROROICHIさんのボールペン画や幡野広志さんの写真が飾ってある。これらはいずれも、顕微鏡を見て考えるときにぼくの目が思わず泳ぐ先に配置してある。目の前が暗くなるほどものを考えているとき、光と影の正体をなんとなくわかっている人によって作られた視覚の魔法が視界に紛れ込むことで、交感神経の興奮はそのままに、副交感神経も活性化する。なんとも形容のし難い、ありがたい状態。天秤を天秤ごと持ち上げてしまうような。




自分を落ち着かせるためのセッティング。デスクトップの背景、スマホのロック画面のイラスト、これらにこだわっていたころもあった。でも、モニタの中に興奮したり困惑したりしながらさらにモニタの中で癒やされるというのは、ぼくはどうもあまり得意ではなかった、というか向いていなかったようで、いつしか、電脳の守備範囲外にアクセントを置くやりかたになっていた。カレンダーもそうだ。サボテンもそうだ。ふと、こういうのを本当の意味でのメタバースと呼ぶのではないかという気がした。ネットワークの喧噪に浮かれた人たちは、最近、「現実にも存在している仮想現実」を忘れているように思う。インターネットの中にしかイメージを転がすヒントがないなんて、それはわりと見識の狭い話だとは思わないか?

2021年11月8日月曜日

病理の話(594) 盛り上がり方に違う名前を付けてみる

達人というのは自分の仕事のすべてを言い表せない人のことである。無形の技術、言外の技、手だけが覚えている熟練のテクスチャー。

その上でなお言うけれど病理診断というのは「できうる限りのすべて」を言語化しないとだめである。もちろんどうやっても言葉にできないニュアンスというのはあるが、それを「感覚的にさあーこれはどう見てもがんだよね」とか言い出したら職業的には敗北宣言だ。

なぜか?

それは、病理診断という仕事が、病理医の頭の中でだけ完結するものではなくて、依頼者である主治医と情報を共有してはじめて成り立つ類いのものだからである。

「がんです」だけでは、主治医が受け取る情報が少なすぎるのだ。もっと描写し尽くさなければいけない。なあに、大丈夫、微細な感情を言語化しろと言っているんじゃない。病気にまつわるエトセトラをとことん言葉にしなさいよ、というだけの話だ。




というわけで細かい言葉使いがいろいろある世界である。今日はひとつ、「ポリープ」のことを考えてみる。

大腸などにできる「ポリープ」というのは、病変の「かたち」を表す用語である。つまりは「四角いなにか」とか「ぐにゃぐにゃした何か」的な言葉といっしょで、「ポリープ状」という形状の話しか意味していない。

したがって、「ポリープはがんだった」とか、「ポリープはがんではなく、過形成だった」とか、「ポリープは良性の腺腫(せんしゅ)だった」のように、ひとことで「ポリープ」と言ってもそこにはいろいろな病気が含まれている。



ではポリープとは具体的にどのような形を指すのか? ここもじつはかなり幅がひろい。大腸ポリープのことを勉強したことがある人が、まっさきに思い付くのは、「キノコの形」だと言われている。しかし、ポリープという言葉で言い表す病変にはほかにも、「たけのこの形」であったり、「グミの形」であったり、「こんぺいとうの形」であったりと、バリエーションがある。

大腸の粘膜から「盛り上がっている病変」があったら、まずは安易にポリープと呼ぶ。しかしこれだけでは情報が絞り込まれていない。だから、我々病理医、そして内視鏡医たちは、ポリープ、もしくは隆起した何かをもっと細かく呼び分ける。



盛り上がりの丈の高さはどれくらいか?

盛り上がりのへりに、くびれがあるか?

ふわっと盛り上がっていてどこからが「山の裾野」なのかわからないときと、「ここから明らかに盛り上がっている」というのが示せる場合とでは病気の種類が違うであろう。

盛り上がっているとして、それは、キノコのように茎を持つのか。

キノコと言ってもエノキなのか、椎茸なのか、マッシュルームなのか。

あるいは盛り上がりの部分に二つくらい山ができていたりはしないか。

みうらじゅんの描く目の飛び出た人の顔みたいな隆起だってあっていいのではないか。

海底にへばりつくサンゴのようにギザギザとうねる隆起と、日本庭園に置いてある庭石のようにゴツゴツと角張った隆起ではまるで意味が違う。

色はどうだ。色の話を忘れていた。周囲の粘膜と比べて、少し赤みがあるのか、それとも同じ色なのか。

どこか削げていたりはしないか。

いったん盛り上がってはみたけれど、やっぱりへこんでみようかな、みたいな形状のことだってある。



こう言った見分け・呼び分けを、個人の印象でやるのではなく、日本全国、あるいは世界中のどの医者が読んでも伝わるような表現で、病理診断報告書を記載する。

きのこたけのこ戦争などと言っている場合ではない。こちらは平和のために、見分けて書き分けていかなければいけない仕事なのである。

2021年11月5日金曜日

第6の味覚

タイトルを最初に決めてから、そのお題に合うように書く、というやつをやる。



一般に、味覚は5種類の成分によって成り立つとされている。

・甘み
・しょっぱみ(塩味)
・苦み
・すっぱみ(酸味)
・うま味

意外だがここに「辛い」はない、なぜなら辛さは温痛覚(あたたかくて、いたい)に基づくものだからである。先日ノーベル賞のネタにもなっていた。


「うま味」が明治期に日本で「科学的に定義」された味だというのはけっこう有名だ(ただし欧米がそれを認めたのはもっとずっと後のことだけれど)。「味の素」のモトを考えた人の伝記は本にもなっている。和食に欠かせない「昆布だし」を解明したかったというのが動機だともされているが、それはどうだろう。研究者というのは動機がなくても何かを見つけ出してしまうものである。京極夏彦が「動機のない殺人もある」と書いたとき、ぼくはとても納得した。……話がそれた。



この先、さらに味が発見されることはあるのだろうか?

たとえば、舌にさらに微弱な受容体みたいなものが発見される日がくるかもしれない。細胞の表面にあるタンパクはまるで解明し切れていないから十分にあり得る話である。細胞を構成する成分は、目で見てアレとコレとソレが含まれているなあと仕分けることができないくらいには小さくて複雑なので、いまだに見つかっていない成分だってまだまだいっぱいあるだろう。

……と、ここでWikipedia情報が手に入ったのだけれど、実際、「カルシウム味」や「脂肪味」、「デンプン味」などが、第6の味覚の候補として上がっているのだそうだ。でもこれらは名称としては流行らなさそうである。実際、「グルタミン酸(の)味」では和食の地位は上がらなかったであろう。「うま味」という納得の名称が対応していたからこそ、「第5の味覚」になり得たのである。たとえば脂肪の味は、昔からの言い方だと何に相当するのかな。料理人だとなんと表現するのかな。ソムリエはすぐオイリーって言うけど、あれは味覚というよりも舌触りにあたるものな気もする。油脂そのものの味に対応しているのかどうか。


ついでにWikipediaを流し読みしてしまおう。味覚以外の五感、たとえば嗅覚とか視覚が脳内で「味」に統合されていく過程を、基本味とはべつに「風味」と呼んでいるようだ。風味というのはそういうニュアンスだったのか、たしかに、舌で風味を味わうとは言わない気がする。



第6の味覚というのはまだ発見されていないかもしれないし、将来定義されるものなのかもしれないが、どちらにしても、「我々が毎日のように感じ取っていながら、言語にできていない部分」にそういったものが潜んでいるのであろう。あるかないかで言えば「ある」、しかしそれを「分ける必要があるのか」と言われてまた悩む。

今日の話はいつの間にか「分類論」なのだけれど、分類する理由を「必要性」にだけ求めるのもじつは少し違うかなと思うことがある。基礎研究や殺人が必ずしも動機を必要としない、というか「必要性を必要としない」ことがあるというのを、ぼくはわりと真剣に悩み考える。分類も「ついしてしまうもの」の筆頭である、自然とそういう考えに至る、考えようと思ってなかったけれど考えついてしまう、気がついたらその中にぽつんと取り残されたような状態になっている。りん、と風鈴が鳴る。

2021年11月4日木曜日

病理の話(593) ヒストロジーという耳慣れない言葉

顕微鏡で細胞をみることを、「組織学的検索」と言う。あまりタイムラインには流れてこない言葉だ。

ここで、「組織」という言葉が使われていることは、ふつうの日本人にとってはちょっと違和感があるかもしれない。「ん? 細胞を見ているんじゃないの? チームがどうしたって?」みたいな気持ちになりはしないだろうか。ぼくはかつて、なった。


顕微鏡で見るときに使う「組織学」は、英語のヒストロジー(histology)という単語に対応している。会社などで人が集まって作る組織をあらわす言葉はオーガニゼーション(organization)だから、そもそも違う言葉だ。つまり、英語だとまるで違う単語に、日本語で同じ「組織(学)」という言葉が使われていることになる。なんだか混乱してしまう。


でも、ヒストロジーに日本で「組織」という言葉を当てはめたことにも、たぶんちゃんと理由があると思う。


ヒストロジーは、「(顕微鏡で)なんらかの構造をさぐる学問」を指す。細胞ひとつを拡大して、核があるとかミトコンドリアが組み合わさってできているなあと「内部構造を探る」のも組織学だし、細胞どうしが織りなす”組み体操”、すなわち「細胞が構築する構造を探る」のも組織学である。


今、ぼくは、組み合わせとか組み体操のように「組む」という単語、さらには、「織りなす」という言葉を自然と使っていた(マジである)。組むと織るで組織ではないか。なるほどなあうまくできているなあ。


で、この言葉をより鋭く追いかけていくと、病理医が顕微鏡で細胞を見るときには、単独の何かを見つけ出すという感覚よりも、組み合わせの妙や、織物的・タペストリー的なパターンを読み解く感覚に近いということもよく理解できる。たまーに不勉強な医者が「細胞ひとつ見たからって何がわかるんだよ」みたいなことを言っているのだが(近頃はめったに見なくなった、絶滅したのか)、病理組織学的な目というのは細胞ひとつを見るわけではない、というのも「組織」という言葉からニュアンスとしてにじんでくる。


ヒストパソロジー(histopathology)という言葉もある。ヒストロジー(histology: 組織学)と、パソロジー(pathology: 病理学)を合い挽き肉みたいにあわせた言葉だ。これだと、顕微鏡を使って細胞の織りなす姿から病のコトワリを探り出す学問、という意味になるだろう。じつに含蓄深い名称であり、国際病理学会(IAP)の英国支部が発行している歴史有るの雑誌のタイトルにも用いられている。


https://onlinelibrary.wiley.com/journal/13652559


たまには単語の話。たまにね。

2021年11月2日火曜日

航行の軌跡

思考がうねるとき、心が思考に翻弄されて浮ついてしまうことがある。思考は波であり、心は小舟に乗ってその上にたゆたっている。心がゆらゆらと揺れるとき、思考の水面も波立っている。思考の方向が定まって、決まった向きで流れ出すと、心を乗せた小舟もそれに連れて移動していく。黒潮のような思考の上で、親潮とぶつかるまで快適な旅が続く。


心はときに思考に向かって小石を投げる。波紋が立ってそのひとつが舟の側面にも打ち付ける。反射して干渉し、波は次第に消える。波が十分に消えたらまたひとつ小石を投げる。


思考が凪いでいるとき、心は落ち着いて周りを見渡し、舟に寝転がって空を見たり、海中に釣り糸を垂らしてみたりする。


思考は時に荒れ狂う。思考を乱しているのは思考自身ではなく、強く吹き付ける雨風の方だ。しかし、いつの間にか、波が次の波を連れてきて、ぶつかり合って、舟の上に降りそそいでいるのが雨粒なのか、砕けた波しぶきなのかわからなくなることもある。


このような思考と心の隠喩はどこまでも続けることができる。しかし、冷静に自分の脳を探ると、思考と心を分けることがそもそも可能なのかどうかがよくわからない。この場合の心というのは感情や情念のような「ままならず、あるもの」を指すのだろう、自分で書いておいて「指すのだろう」も何もないのだが、実際、そこにただそのようにあるものを、勝手に理屈で思考だの情念だの心だのと分類することがどれだけ正しいことなのかもわからないのだ。カラスをハシブトガラスとハシボソガラスにわざわざ分けることに何の意味があるか、鳥類学者以外にはわかるものではない。はるか上空から見下ろせば波も小舟もいっしょなのだ、ただそこには白く跳ね返る何かが見えるだけなのである。水平線は遠くて丸い。

2021年11月1日月曜日

病理の話(592) ヒト病理医がいないとだめだなと思う瞬間

病理学会が出したステートメント「人工知能AIと病理医について」はけっこう物議をかもした。


文字がちっちゃめ。要約すると、「AIができたからって病理医の仕事の重要性はかわりませんし、ヒトが病理医である意味はありますよ!」。

このステートメント、あえて誤解をおそれずに言うと、「こめかみに血管を浮き出させながら抗弁している文章」に読める。「必 死 だ な w」みたいに突っ込まれるんじゃないか。老婆心ながら気にかかる。でも、こういう文章を出したくなる気持ちもわかるので、無慈悲にツッコミするわけにもいかない。

現場でまじめに働いている病理医たちは、AIがどれだけ発展しようが自分たちの仕事がなくなることはないとわかっている。理由はこのステートメントに書いた以外にもいろいろあるのだけれど、たとえば、

「臨床医と、病理診断に関して電話でやりとりして、患者を救った経験」

が一度でもある病理医は、この先どれだけAIが発展しても、自分の仕事が奪われるとは思わない。AIは参考診断を出すことはできても、「病理診断報告書を主治医との間に置いて会話する」ことはできないからである。

もっとも、未来のAIが「ドラえもん並みに自律して思考する」ならば、話は別だ。仮にそんなAIができたら病理医どころかありとあらゆる仕事の意味が変わる。外科医も内科医もいらなくなって、薬剤師による患者への細やかな服薬説明、看護師による生活指導、ソーシャルワーカーによる社会的支援、リハビリ関連のもろもろ、などがあれば医療はほぼ成り立つようになる。医者だけが要らなくなる。でもそのためにはドラえもん型AIが必要だ。なお、ぼくはこのことを『いち病理医の「リアル」』(丸善出版)に書いたことがある。

話を戻そう。たいていの病理医は、「AIが発展しても自分たちの仕事の価値は減らない」とよくわかっている。そして、そのことは、病理医と仲良く仕事をしている臨床医たちもわかっている。つまり現場では「言わずもがな」だ。しかしSNSが発達して、あまり病理の仕事を知らない外野の人たちがいっちょ噛みできるようになり、状況が微妙に変わった。ものを知らない一般人が悪気もなくこういうことを言うようになった。

「AIが発展したら病理医なんて要らなくなるよなー」

無知から出る発言だからあまり目くじらをたててもしょうがない。病理診断の現場なんて一般の人にはわからない。こういうのはある意味、「煽りツイート」に似ている。芸能人があることないこと言われて叩かれるのと構図としては同じだ。でも、クソリプ耐性がないお偉方はそれを聞いてすごく怒る。真に受けてしまうのである。

「なんだと!? 病理医の仕事を知りもしないで適当なことを言うな!」

だからこういう血管ブチ切れ系のステートメントが出る。そしてくり返すがその気持ちはわからなくもない。実際、大学などに勤めていると、極めて優秀だが現場のことは知らない医学生が、「病理医には未来がないのかあ」と絶望してほかの科に進んでしまうことは経験されるようである。あのクソリプさえなければ病理医のタマゴが一人増えたのに! と憤懣やるかたないお偉方が、ステートメントと称して医学生の興味をつなぎ止めようとするのは理解できる。


ところで、たまに、病理医さえもが、「AIが発展したら自分の仕事はどうなるかわからない」と言ったりするので混乱に拍車がかかっている。誰かが「自分の仕事」と言ったらそれは文字通り「その人の仕事」であって、ほかの病理医はともかく自分のやってる仕事はAIでもやれる程度のことなんですよテヘへ、くらいの意味で読めばいいのだけれど……。



さて、このようないわくつきのステートメントを深く理解して、イメージイラストを描いてくださった方がいる。北海道大学医学部の学生なので、ぼくの遠い後輩にあたる。いまどきの医学生にはこんなことまでできる人がいるのかと、びっくりしてしまった。





北海道大学医学部 佐々木美羽さんによるイラストの解説:

私がステートメントを読んでひらめいたイメージを、イラストにしてみました。まず思い浮かんだのは、病理医がAIを従え仕事するという主従関係です。AI単独では診断を下すことはできません。病理医が仕事の一部でAIを使うことで、より効率よく、精度の高い仕事ができる。この関係は、人と警察犬や救助犬などの関係にとても似ていると考えました。そこで、AIを犬(ロボット犬)に見立てて、病理医が組織の中を歩きながら診断していくというイメージにしようと決めました。

病理検体を見る作業は「組織のなかをくまなく探検して病変を探していくこと」なのだなと思っています。ですから、イラストでも顕微鏡の中の世界で組織の上を歩き回り冒険し、AIとともに病変部を探していくような世界を表してみました。

AIを用いた病理診断は現在試用段階で、これから実践的に導入されて当たり前のものになっていくだろうと言われています。ですから、未来の世界をイメージするように、ロボット犬や空間に浮かぶモニター、パネル、最近増えている女性の病理医がスタイリッシュに仕事をこなすところ、そんな要素を詰め込んでみました。



うーんすばらしい。個人的には病理医とAIロボ犬が歩く組織の「フロア」、おそらく血球系の腫瘍を探しているのだろうと思われる点にぐっと来た。血球系腫瘍はAI診断との相性が、「まだ悪いけど、たぶん、この先すごく良くなる」と思われるジャンルである(アフォーダンス診断の精度が上がれば一気に弁別能が上がりそう)。このセレクトは意図的なのか偶然なのかわからないけれど、意図的だとしたら大したものだ。偶然だとしてもカンがいい。


こんなイラストを医学生が考えて描いてくれるってこと自体が尊い。ほんとうは日本病理学会公式アカウントにツイートしてほしかった、そうしたらいろんな人に届いただろう。でもまあ今回はぼくがツイートしてブログの記事にする、このような取り組みが今後も若い人の中から練り上がってくることを楽しみにしている。