2018年1月31日水曜日

病理の話(165) CPC劇場

医療はひとすじなわではいかない。

臨床医が考え込んでいる。画像診断にたずさわる診療放射線技師が悩む。臨床検査技師がしっくりこないと首をひねる。看護師たちがいつもと違うといって悪戦苦闘する……。

病気は複雑だ。

ときにわからないことがある。納得できないことがある。

病理診断は確定しているけれども、その後の経過が典型的ではない。

そもそも病理診断自体が確定しないなんてこともある。



そんなときどうするか。



臨床病理検討会というカンファレンスを開く。

英語になおすとクリニコ・パソロジカル・カンファレンス。略してCPCという。

診断や治療に悩むとき。あるいは、悩んだ後に。

臨床医と病理医ががんがんやりとりをしたい、と思うことがある。そんなときにはCPCだ。



……けどまあ実際には、多くの多忙な医療者たちを一箇所の会議室に集める手間、さらには時間調製のモンダイがあるので、えー、CPCは普通は定期開催である。建前と本音というのがある。



CPCをはじめよう。

まずは、悩みの深い症例を担当したドクターが、「プレゼンテーション」をする。

症例プレゼンテーションというのは、だいたい以下のように行う。

・ID(患者の名前、年齢、性別)

・主訴(しゅそ)。患者がそもそも病院にかかった理由

・現病歴(げんびょうれき)。患者が今回悩んでいる症状、そこに至る経過を説明する

・生活歴。飲酒や喫煙の状態、ふだん元気でぴんぴんしているのか、それとも寝たきりなのか。渡航歴(最近海外に行ったかどうか)。ペットを飼っているか。最近引っ越しをしたか

・既往歴。過去に大きな病気にかかったことがあるか。そして、その病気をどのように治療したか、あるいは今もしているか。どんな薬を飲んでいるか、どんな手術をうけたのか

これらはいずれも「患者の歴史」みたいなものだ。ドクターのプレゼンを聞いて、患者の姿がありありと見えてくれば、まずは成功である。




続けて、ドクターがどのように患者に介入したのかを説明する。

・診察したときのようす

・血液検査

・CT・MRI・超音波・内視鏡など画像診断の結果




これらを説明したあとに、問題点を述べる。「何が気にくわないのか」ということだ。カンファレンスでみんなに聞いてもらいたいということは、何かがしっくり来ていない、ということだから、それをしっかり説明する。

「CTの画像があまりみたことのない形態をしていた」とか。

「おそらく細菌感染しているはずなのだが感染場所がはっきりしない」とか。

「がんの転移した場所はわかったのだが、もともとがんがどこから来たのかがわからない」とか……。




これらの長いプレゼンによって、会場のみんながドクターと同じ気持ちになる。

なぜだろう。

ふしぎだ。

むずかしい。

そこで、今度は病理医の番となるわけだ。あたかも、答えを与える役のように。




でも本当のことをいうと、疑問すべてに、病理医が答えられるわけではない。

たとえば、血液検査の異常については、病理医がとくに臨床医より詳しいとは限らない。病理医というとあらゆる検査に詳しい印象をもっている人もいるかもしれないが(たぶんフラジャイルの影響で)、実際にはプレパラート診断以外は苦手な病理医も多い。

病理医は、「すべてを知るもの」ではない。

それでも、臨床医の役に立つことができる。



病理医のプレゼンテーションは、主に、「病気が確認された場所」や、「病気を構成している細胞そのもの」、また「病気によってどの臓器が壊されているか」などを説明する。

特に、がんをめぐる医療においては、病理医がみたものに非常に多くの情報が含まれている。



*



実は、病院・施設ごとに、CPCの「盛り上がり方」は少し異なる。

CPCが盛り上がらない病院というのは実際にある。なんとなく慣例で開催されるカンファレンス。人数があまり集まらない会議室。看護師も技師もカンファレンスに興味がなく、担当医のプレゼンはおざなりで、疑問点ははっきりせず、病理医もまた臨床の疑問に興味がない。「病理からいえることはこれだけです」。疑問が解決したのかしてないのかもわからないままに、それではまた来月……。

一方、CPCがとても盛り上がる病院もある。そういうところではたいてい、担当医が事前に病理部に足をはこび、カンファレンスではこのような疑問を提示したいと、事前に病理医に情報を出してくれる。カンファレンスは喧嘩するためにやるのではなく、これからみんなで難しい症例を解決しようと意気込んでやるためのものなのだから、事前の打ち合わせはいくらあってもいいのである。的確な疑問が提示され、十分に準備された病理のコメントが出ると、カンファレンスはいやおうなしに盛り上がる。やがて、出席する医療者たちは、単に情報を共有するにはとどまらず、担当医の「感情」をも共有することができる。この患者はたいへんだったろうな。自分が担当していたらどう考えたろう……。




CPCがおもしろくなる条件。それは臨床の医療者たちが、病理と連携してくれることだ。

CPCがつまらなくなる条件。それは病理医が、臨床の疑問にちっとも答えずに核とか細胞質の話ばかりして終わってしまうことだ。

有用なカンファは臨床のおかげ。クソカンファは病理医のせい。

ぼくはわりと本気でそう信じている。

2018年1月30日火曜日

建前と前立腺ってよく考えると兄弟

ごっそり消して書き直したものが今日の記事である。

「建前」についてつらつら書いたら、いろいろ透けて見えてしまった。タイトルはそのなごりである。




具体的に書かないと伝わらないだろう。多少具体的に書こう。ぼくは消す前の記事で、本の「謹呈」とか「献本」についてのあれこれを書いていた。

今までこういうことでお世話になったから本を送りたいとか、今後一緒に何かをしたいから本を送るとか、前に本を送ってもらったお礼だとか、そういうことを、本を送る人、送らない人、ひとりひとりについてずっと考えていて、そこにまつわるあれこれを、ダラダラと書いた。

できあがったものを一端寝かせて、時間をおいてから読みなおした。いいわけだらけだった。

うーむとうなってCtrl+Aで全選択して消した。




誰にメールを送るとか送らないとか、文面をどうするとか、そういうことを気遣わなければいけないのは社会人のたしなみであり、摩擦を減らして交流をスムーズにするための技術である。

でもぼくは、この技術を使うことがしばしば「目的」になっている。

本来は「手段」でなければいけないメールや手紙などの技術を知るうちに、いつしか、「気づかいが行き届いている自分が気持ちいいからこれからも気づかいをしようと思う」みたいに、技術が目的にすりかわっている。




建前をぶつけられる相手の気持ちになってみればいい。

その建前、発する自分は思いやりのつもりなのかもしれないが、めんどくさくて重い槍となって相手につきささっている。




仲の良い人、会ったことのない人。

仕事でつきあいがある人。遠くでみていただけの人。

会ったことがないから、会って話をしたら幻滅されてつらいかもしれない人。

会ったことがあるけど、あまりよくわからない人。





さまざまな人との会話をふぁぼって終われるツイッターこそはぼくにとって最高のツールだった。

メールや手紙の文化に戻らなければいけないことは、けっこうなストレスであるなあ。

2018年1月29日月曜日

病理の話(164) 人はなぜだいたい決まったサイズになるのか

背の高い人もいれば低い人もいる。身長は主に骨格によって決まる。

体重もバラエティにとんでいる。ざっと世間を見渡して、成人男性だけを比べてみても、55キロと110キロくらいならすぐ見つかる。軽く2倍くらいの差があるわけだ。

だったら、脳のサイズだってもっと多様であってもよかろう……と思うのだが、成人男性の脳のサイズはそこまで大きな違いがない。男性であればだいたい1500グラム弱と決まっている。人によって頭蓋骨の大きい小さいがあるにも関わらず、脳の容積はせいぜい100グラム程度の差しかない。

「総体としてのヒトのサイズ」は多様であるが、「内臓もそれぞれも好き勝手なサイズで楽しんでいる」というわけではない。よく考えるとこれはふしぎではないか。



ふしぎだけどあたりまえのことでもある。

たとえば肝臓という臓器が、たまたまある人においてはふつうの3倍くらい大きかったとしたら、限られたお腹のスペースを占拠してしまい、腸とか膵臓とかがせまくてしょうがないだろう。

脳がたまたま3000グラムくらいまで育ってしまったとしたら、限られた頭蓋スペースでおしくらまんじゅうされてつぶれてしまって、けっこうまずいことになるだろう。

臓器のサイズは「ほかの臓器との関係」とか、「腹膜や胸膜、ホネなどの仕切り板との関係」によって、限界が決まってくる。



だったら、臓器というのはそのサイズ調整をどうやって行っているのだろうか? 誰かが目で見て指示を出しているわけではない。ここまで育ったらストップ、みたいな信号をどうやって与えているのか。

実はぼくはこれに対する確固たる答えをもっていない。いろいろ調べてみても、途中まではわかっているようなのだけれど、最後のところがいまいちわかっていないように思う。



*



自然現象を思い出す。

トリがいっぱい空を飛ぶとき、なぜかきれいな編隊を組んでざぁっと飛ぶことがあるだろう。

サカナが群れて、大きなカタマリとなって、自分より大きなサカナから身を守るシーンが記憶にある人はいないか。

外国のどこかで、ホタルが木に群れて、まるで同期しているかのごとく一斉に明滅する場面を知っているだろうか。

アリが隊列を組み、ハチが巣を作る。

あれは別に神様がああ並べと命令しているわけではない。

動物の生態とか行動科学を研究している人はいろいろ詳しいだろう。

個別の虫や鳥や魚たちは、全体のことを考えてよかれと思って動いているわけではない。

自分の周りを見ながら、自分はこうしようと、なんだか流されるように本能のままに動くだけで、総体がなにかの形になっていくのだ。何かがシンクロしていくのだ。



きっと細胞でもそういうことが起こっている。

ぜんぶは知らないのだけれど。

パラクライン。間質誘導。栄養の上限と細胞増殖活性。増殖帯の分布。血管新生。

これらが好き勝手に動いた末に、なぜか脳のサイズが決まり、肝臓は腹の右上に落ち着く。

病理医が細胞1個をみていてはわからないことがある。マクロの目線とミクロの目線を交互に用いなければわからない構造がある。がんは秩序を打ち壊す。秩序を知り、混沌を知るために、ぼくらは何を見ていけばよいのだろうか?

2018年1月26日金曜日

脊髄だけが旅をする

葉物野菜を煮て食べたところ、ほどよく歯ごたえがありほどよく柔らかかった。おいしいおいしいともりもり食べた。

ヒトの味覚というのはもともと、自然界にあるもののうち、食べて良いものを美味と感じ、食べてはいけない毒を苦いとか酸っぱいと感じるように進化してきたんだと漠然と思っていたのだが、「ほどよい歯ごたえ」に至ってはそれがどれくらい体のためになるのかわからない。硬すぎたら消化できないというのは理解できるが、柔らかすぎて体に悪いことがあるわけでもなかろう(アゴが弱るとかそういう話はいったんおく。自然界に生きていて柔らかいものだけを連続で食べる機会などないのだから)。

しゃきしゃきとしてそれでいて噛みきれる快感、なんて、進化の過程で副次的に得られたバグみたいなものなのではないか、と思わなくもない。それが何の役に立つのだ。



そういえば先日、「マツコの知らない世界」でウメボシのことを取りあげていたのだが、翌日ある人と話をしていたら、

「うちの子供がさあ、ウメボシ見ても口の中に唾液が出てこないっていうんだよ」

といわれて思わずのけぞった。そのお子さんは小学生くらいだったと記憶しているが、生まれてこのかた、おにぎりに入っているウメボシも弁当にたまに入っているウメボシも、そこまですっぱいと思って食べたことがないらしい。あれか、はちみつに漬けたタイプのウメボシが全盛だからか。お弁当用のウメボシはときに甘めに調製されているとも聞く。

ウメボシがすっぱいという経験をしないままに小学生くらいに育ってしまうと、ウメボシを見てもパブロフの犬的な反射が発動せず、口の中に唾液をためることもない、ということなのだろう。

こんなことでジェネレーションギャップを感じることになるとは思わなかった。




そのことを思い出して、そうか、しゃきしゃきおいしい野菜なんてのは、もしかするとぼくが今までの人生において「このしゃきしゃき野菜を食べると、味付けとか、一緒に食べているものの味とか、ビールとか、いろいろおいしいなあ」という記憶を積み重ねてきた末に、「このおいしい野菜を食ってるときにはときおりしゃきしゃき感じるなあ」というあたりがパブロフ化して、ついでにいうと途中の複雑な過程を忘却した結果、「しゃきしゃき野菜=おいしい」という連想につながっているのかもしれないなあ、などと考えた。ウメボシを見て唾液がたまるように、しゃきしゃき野菜を噛むとおいしいという感情がたまっていくのではないか。




なーんてことを書き連ねているうち、ブログ投稿欄のスクロール・バーが50%より短くなってきたので、そろそろ書き終わろうと反射的に思った。これもまたパブロフ的ななにかなのだろう。ぼくはときどき脊髄反射で生きている。

2018年1月25日木曜日

病理の話(163) キャーのび太さんの

ぼくらが細胞をみるとき、一番頻繁に用いるのはHE染色だ。ヘマトキシリンという青紫色の色素と、エオジンというピンクっぽい色素を使って細胞を染め上げる。

世界中の病理医や研究者がHE染色をもっぱら用いる理由は、数ある細胞の染め物の中で、

「HE染色が一番、細胞の中にある核という構造が見やすい」

からだ。

きれいだからとかあざやかだからという理由だったらおもしろいのだが、役に立つからという理由。まあほんとに役に立つんだからしょうがない。

ヘマトキシリンは、細胞の核に染まる。核という構造をただべっとりと塗りつぶしてしまうのではなく、核の外周である核膜と、核の中にあるクロマチンというDNAのカタマリが丁寧に染まり、輪郭とか形状を評価することができる。

細胞の核って小さいものだと2~3μmくらいなんだけど、その2μmの中にちゃんと模様が浮かび上がるのだ。しかもDNAだよ、DNA。

なんと! HE染色を使うことでぼくらはDNAをみることができるのだあ!

……ただしクロマチンとはDNAが様々なタンパク質とからみまくってごっちゃごちゃになってダマになってしまったカタマリなので、それほどすごくよく見えるわけではない。もちろん塩基配列がわかるわけもない。けれどそれでも十分役には立つ。

核が青紫色に染まってハイライトされる一方、それ以外の構造……細胞質とか、細胞と細胞のあいだに存在する液状のものとか、線維とか、血管とか、筋肉とか、とにかくあらゆる「核以外のもの」は基本的にエオジンというもうひとつの色素によって染まる。

核だけを特別扱い。ほかはぜんぶ、ピンクの濃さで見ようという染色。それがHE染色だ。エオジンで繊細に描かれた水墨画のあちこちに、ヘマトキシリンで画竜点睛。核だけは特別扱いである。ちょっと1枚写真を出そう。



これが何とはいわずにとにかく1枚。

「なんだかピンクと白と、あとにごった紫でできているなあ」と思って眺めたあなたは何も間違っていない。病理医だって同じことを思って眺めている。

ただし、病理医の場合は、

「核が青紫で特別扱いだ」

という格言が、あなたがたよりもう少しだけ強く、脳と目にしみついている。写真をみるときには無意識に「青紫の登場頻度」を数えている。

核の数とか、密度。どれくらい核があるだろうか。核の形は。DNAの量がどうなっているのか。

その上で、ピンク色の部分を、あぁーただピンクだなぁーで終わることなく、濃いとか薄いとか、筋張っているとか何かを取り囲んでいるとか、水墨画に秘められたメッセージを読み解くように、細かく見極める。

おまけで、染色液にさんざんつけ込んでいるのに白い部分というのはつまりなんなのだろう、そういう目で、白い部分も見る。

一般人と病理医とでは、つまりこの程度の差しかない。ちょっと学べば誰でも顕微鏡像を見て考えることができるようになる。



……なんかプレパラートの見方みたいなものをまともに説明したのはじめてな気がする。

ぼくは日頃、マクロ(肉眼で臓器をみること)や、各種の画像診断と病理の対比みたいな話ばかりをするので、顕微鏡で400倍とか600倍に拡大した組織像のことはめったにしゃべらない。

けどほら、実は、いまさらだけど、こういうミクロの世界も好きなんだよね。マニアックでオタクな変態って思われたらいやだから今まで言わなかったけど……すでに思われてるからもういいかなって……。

2018年1月24日水曜日

完全体になれさえすれば

医療系の雑誌の名前はもう少し何とかならんのかというくらいシンプルだ。「病理と臨床」とか「臨床病理」はまだいいほうである。「胃と腸」とか「肝臓」とか「胆と膵」。そぎ落としの美学であるな。正直ダサい。けどそこがいいともいえる。

思い起こせば、世の中でいちばん有名な科学雑誌のネーミングがNature(自然)とかCell(細胞)とかScience(科学)なわけである。これらの英文誌にあやかって日本の雑誌も真似したのかもしれない。

今届いたばかりの「胃と腸」の最新号を読みながら、そんなことをふわふわと考えていたところ、記憶のだいぶ下の方に埋もれている薄暗い情景のなかから、ぼうっと、とある「沖縄料理屋」の風景が浮かんできた。

うーむこの記憶はなんだったろう。

連想の理由がすぐには思い付かない。雑誌をめくる手をしばらくとめて、目を閉じて記憶を掘りにいく。




ネイチャー……サイエンス……。




あれはぼくがまだ医学生か、もしくは大学院生だったころだ。すすきのか大通か忘れてしまったが、沖縄料理屋があって、ぼくはそこでラフテーとかトウフヨウなどをつまみながら泡盛を飲んでいた。札幌にも沖縄料理屋があり、そこはベトナム料理とかロシア料理の店とおなじように異国情緒を売りにした店だったように思う。ぼくはひとりではなくて、誰かと一緒にいたはずだ。全く覚えてはいないのだけれど、そこに置いてあった一冊の雑誌を見てゲラゲラ笑って発した自分の言葉が、断片化した記憶の海からかすかに浮かび上がった。

「ネイチャーサイエンスてwwwwインパクトファクター高ぇwwwwwwwwww」

ぼくは確かにこう笑った。全部ではないけれど思い出した。

その沖縄料理屋には、沖縄の自然を特集する「ネイチャーサイエンス」なるタイトルの雑誌が置いてあったのだ。直訳すれば「自然科学」、別にどこに出しても恥ずかしくない雑誌名ではあるけれど、ぼくは当時、病理の大学院で研究する気まんまんの才気走りクソ野郎だったから、めちゃくちゃ有名なイギリスの科学雑誌ネイチャーと死ぬほど有名なアメリカの科学雑誌サイエンスのあいのこみたいな日本の雑誌名を見て大笑いしたのだ。

あれ以来、ぼくは本家Natureとか元祖Scienceの表紙をみるたびに、なぜか沖縄料理屋の風景だとか泡盛の味を思い出すように条件付けされる日々が続いたのだった。もう15年くらいの月日が流れて、最近はそんなことすっかり忘れていたけれど、なぜかこのタイミングで思い出した。




ほんとにそんな雑誌があったのかなあ。

Google。

ネイチャー サイエンス 沖縄

だめだ、出てこない。沖縄のコテージサイトとか、自然食品とか研究助成金の話しか出てこない。

もしかしたら英語表記だったのかもしれない。だから余計に笑ったのではないか。そう思って検索語句を変えた。

Nature Science 沖縄




まさか本当に出てくるとは思わなかった。国立国会図書館の、雑誌バックナンバーがひっかかったのである。
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I010146895-00



これをもとに検索語句を追加してみた。もはやどこの国の何のためのサイトだかわからなくなってきたが、この雑誌に間違いない。




雑誌「NATURE SCIENCE」は確かに存在した。なんと角川書店ではないか。「沖縄大特集」の日付は2002年6月号、ぼくが医学部を卒業したのが2003年の3月だから時期的にもしっくりくる。やはりぼくは、医学部の6年生もしくは大学院の1年目くらいに、「沖縄大特集」が掲載されたために沖縄料理屋の店主の目をひいて購入されたのであろうNATURE SCIENCE誌を確かに見ていたのだ。



検索して顔がほころぶのを抑えられなかった。読み終わっていそいそと「胃と腸」を読む作業に戻ったが、脳内メモリの半分くらいを「胃と腸」の読書にあてながらも、残りの半分、あるいはそれ以上の部分を使って、あの沖縄料理屋がなんという店名だったろうかと思い出そうとした。

すすきのでかつて何度か行ったことのある「星空料理店」だったろうか。細いビルの10階にあったこの沖縄料理屋は今も営業しているようで、食べログやホットペッパーのサイトで店内をみることができ、ああこんな店もあったなあ、すすきので15年以上続いてるなんて立派な店だなあと感動もした。しかし、ぼくがネイチャーサイエンスを見かけたのはこの店ではなかったような気がする。

店の名前を思い出すことができないまま、記憶を深く深く掘り進めていくうち、息子といっしょに旅行したとある島の風景とか、こないだ訪れたモンゴルの草原の風景とかが、発掘場所に周囲から流れ込んでくる土砂のようにぼろぼろと堆積し、記憶の地層は次第に混沌としてしまって、ぼくの記憶考古学はそこで中止せざるを得なかった。

2018年1月23日火曜日

病理の話(162) 研修医が病理の勉強をする意味について正面から考える

断続的だったのが次第に連続的になってきた。

何の話かというと、うちの病理に研修医がやってくるようになった、という話だ。しばらくの間は数年おきに1人くらいの頻度で研修医をお迎えしていたのだが、最近はもう連続で来る。研修医用に用意した小さなデスクがずっと埋まっている。

ありがたい。うれしいのである。

頼りにされているんだなあと思う。まあ頼りにされているのはぼくそのものではなく、病理という分野が積み重ねてきた歴史と信頼であり、ぼくよりも上のスタッフ達のほうであって、ぼくは信頼という波に乗っかって飛んだり滑ったりしているだけなのであるが……。

医師免許取得後0か月~2年目までの、初期研修医。

3年目~5年目までの後期研修医。

病理を学ぶタイミングや期間はいろいろだ。

「週に1度のペースで1年間お願いします」という人もいる。

「毎日居着いて2か月間」という人もいる。

各人がさまざまなレベルで、思い思いの勉強をしていく。研修中、1回くらいは晩ご飯を一緒にたべて話をする。男性のときは二人で飲みに行くことが多い。女性のときは気遣うので、ほかの女性を何人か誘うことになり財布も切なくなる。

あんまり飲みたくない人もいるだろうから、さそうときにはとてもナーバスになり、しばしばこれで胃がしめあげられる。誘ってみるとたいていはOKしてくれるのだが、彼らは帰ってから枕を殴っているのではないかと気が気でない。

彼らは、必ずしも病理医になりたいわけではなく、というかまあ、たいていは普通の臨床医になりたがっている。普通のと書くと語弊があるな、一段上の臨床医になるために、研修中にちょろっと病理を勉強しておこう、というコンタンでやってくる。

目の色が違う。まじめだ。

ぼくらも本気でお相手をする。


*


かつてぼくが半年だけ勉強しに行った国立がん研究センター中央病院(当時はただがんセンターといった。いつのまにか「研究」が付加されていた)には、病理医が15人以上いた。レアキャラである病理医がそんなにいるなんてさぞかしすごい施設に違いない、と興奮して訪れてみたら、病理部には30人くらいの臨床医がひしめいていた。病理医よりも臨床医のほうがいっぱいいたのである。何をいっているのかわからないかと思うが、つまり、病理部とは病理医がのんびり暮らす公民館ではなく、臨床医にとっての学校であり進学予備校であり闘技場でもあるということを、ぼくはそこではじめて知ったのだ。

うーん今になって思うと、当時のがんセンターの臨床医たちは酔狂だった、と思わなくもない。だって彼らの熱意は異常だった。

30代半ばとかへたすると40代の、普通ならもはや各分野でエースとしてばりばり働いている人たちが、3か月とか半年という期間、患者と触れあわない病理の部屋に籠もって、なにやら激しく勉強しているのだから。

その勉強方法もかわっていた。

がんセンターでは多くの手術が施行されている。たとえばある日、集会場のような広い部屋に、10個とか15個くらいの「切除された胃」が、「ヒラキ」にされた状態で、ずらーっと並んでいる。

この胃はどれもこれも胃がんによって切除された胃だ。水を入れる革袋のような形をした胃が、はさみによって切り開かれて「ヒラキ」となって、粘膜のがわを上にして、机の上に並べて置かれている。ちょっと小ぶりな博物館とか美術館を思い浮かべるとイメージが近い。

陳列された胃の周りを、ひとりの病理医が、きりふきを片手に持ちながら、ぐるぐるずーっと回っている。

きりふきを時々ヒラキにシュッシュとかける。

そうしないと、ヒラいた胃が乾いてしまうからだ、という。ヒラキをずらっと並べているとは言っても干しているわけではない。乾燥してしまうと粘膜にひびがはいったり、病変がぼろぼろ崩れてしまったりするから、うるおいを与え続けなければいけない。そうまでしてヒラキを展覧する理由はなにか? 

それをじっくり、時間をかけて見たい人がいるからだ。

ある曜日の午後に、「見たい人がこころゆくまで胃をみるために」。見たい人とは誰か。そう、臨床医である。

胃を見に来る人は胃カメラの専門家(消化器内科医)が多い。胃を手術する人(外科医)も混じっている。彼らは普段、胃カメラの画像で胃をみている。直接自分の目で胃の粘膜をのぞきこむ機会はあまりない。

だから3か月間の病理部での研修中は、これ幸いと必死になって、ヒラいた胃をダイレクトに見ているのである。

5分とか10分というレベルではない。2時間とか、3時間とか。ひたすらだ。納得するまでみる。

7,8人の内視鏡医が身を寄せ合って胃の周りにむらがっている。目を近づけて、粘膜の模様を丹念に観察している。なにやらメモしている人もいる。一人はノートパソコンを手に持って、その胃がまだ患者さんの体の中にあったときに行った胃カメラの画像をチェックしている。

胃カメラってのはあれだ、出川哲朗がヘルメットにつけてるカメラみたいなかんじで、対象にぐぐっと近接することができる便利なカメラなんだけど、狭い胃の中で動けるようなサイズしかないし、魚眼レンズの効果だって加わっている。

だから胃カメラで見た画像と、実際に目でみた像とはちょっとだけ違いがある。当然、この違いを頭の中に入れてある医者は、よい診断ができる、という寸法である。内視鏡医たちはだからこそ必死で、自分が胃カメラでみたときの印象を、自分の目でみた印象と照らし合わせる。「答え合わせ」をするのだ。

「あぁーここもう少し盛り上がってると思ったんだけど意外と丈が低いな」

とか、

「うーんこの癌がここまで伸びているか、ここで留まっているか悩んでたんだけど、やっぱり伸びているように見えるなあ」

とか言っている。

自分が胃カメラで覗いた胃の中にあったがんを、切り取られた後の胃でも観察して、その後、プレパラートになった胃の病変も観察して……。

とことん病気を見まくるために病理で研修をしているのであった。




病理にやってくるのは胃カメラが得意な内科医だけではなかった。

大腸カメラで生きていこうとしている下部消化管内科医。

膵癌を撲滅させたい膵臓内科医。

肺癌と闘う呼吸器内科医。

肝臓を切ることが生きがいの肝臓外科医。

多くの科からやってきた臨床医たちが、3か月間で「自分が一生つきあっていく臓器」の病理を学ぶ。

”たった15人しかいない病理医”たちをひっぱりまわして、ああでもないこうでもないと、臨床の画像と病理の画像をつきあわせている。できれば3か月で、一生学び続けるための手段(メソッド)を手に入れたい。彼らは必死であり、本気であり、極めて楽しそうであった。(15年前の話です。今はどうなっているんでしょうね。)




*




今、うちの病院には、病理専門医がぼくを含めて3人いる。1人は一度定年退職をして、現在は嘱託再雇用されて働いている。加えて、病理専門医をもっていない病理医が1名。合計4名の所帯である。

がんセンターの15名とは比ぶべくもない。けれどもまあ複数いるだけで御の字である。

ここにときおり、臨床医がやってくる。研修医がやってくる。1名とか、2名とか。

ぼくはいつも、あの広い部屋できりふきを持ちながら、にこにこと臨床医を見守っていた病理医の顔を思い出し、さて、今の病院でぼくはどういう顔で臨床医と接したらいいだろうかと考える。

検体量も病理医の数でも劣る市中病院である。それでも彼らが充実した学問を修めるために、ぼくが持っているべきものは何か。

きりふき……。

ではないだろうな。