2018年1月9日火曜日

病理の話(157) 運動会カメラマン的に病理診断

顕微鏡でぼくらが見ているもの。

細胞だ。

ぼくらは細胞をみている。

これは間違いがない。

ただし。

ぼくらは細胞をみているけれど、実際には細胞1個1個をじっくり観察しているだけではない……細胞どうしが作り出す高次構造を観察している時間のほうが少し長い。





細胞を「運動会の小学生」に例える。

親であればだれもが、ズームレンズで愛する我が子の顔ばかりを眺めたいと思うだろう。

子供ひとりに着目をして、今日はどんな顔をしているだろう、目をキラキラさせているなあ、口元がにこにこしているなあ、背が大きくなったなあ、ちょっと日焼けしたんじゃないか、と見るのと同じように、

細胞を観察するときには、「核」はどうなっているだろう、核小体が目立つなあ、核膜の厚さにムラがあるなあ、胞体が幅広だなあ、ちょっと好酸性が強くなっているんじゃないか、と観察することができる。



けれど、細胞の観察は、細胞1個だけを観察していてはだめだ。

ぼくらは細胞の優しい親ではない。

どちらかというと教師である。それも鬼教師のほうだ。

細胞が「組体操」をしたり、「マスゲーム(表現)」でフォーメーションを組んで踊ったり動いたりする様子、その全体像をきちんと観察して、どこがおかしいか、どこが普通と違うかを見出すところからはじめる。



子供たちが組体操をする。扇形であるとか。ひざの上にのっけてなんかタイタニックみたいにするやつとか。

細胞たちも組体操をしている。腺管というダクトを作っていたり、腺房というカタマリを作っていたり、乳頭状と呼ばれる飛び出た構造を作ったり。

子供たちが音楽にあわせて表現をする。周りとシンクロしながら隊列を組み、ウェーブをしたり、左右に手をふったり、ジャンプをする。音楽とぴったり合うと喝采がおこる。

細胞たちも生態環境にあわせて表現をしている。腺房から外分泌される液体を腺管の中に通して消化管に流し込む。食事のタイミングとぴったり合うと消化が決まる。


これらはズームレンズではうまくみられない。

広角レンズでしっかりと、全体像を把握する。

校庭をのぞくカメラも、生体をのぞく顕微鏡も、いっしょなのである。



鬼教師は広角レンズで校庭をチェックしている。

扇形でなければいけないところで寝転んで3DSをやっているガキどもがいる。

なんだあいつらは。運動会の最中だぞ。学校だぞ。いったい何をやっとるんだ。ばかもの。

そこではじめてレンズを望遠に変える。

おかしな挙動をしている小学生……小学生?

リーゼントがすごい。服がへんだ。タトゥーが入っている。あきらかに顔つきがやばい。

こ、こいつ、うちの生徒じゃない!



病理医は弱拡大でプレパラートをチェックしている。

ダクトを形成しなければいけないところで細胞が不規則に増えてレンコンの穴のような構造を作っている。

なんだこのやろう。消化管の内腔側だぞ。粘膜だぞ。いったい何をやっとるんだ。ばかもの。

そこではじめてレンズを強拡大に変える。

おかしな挙動をしている腺上皮……腺上皮?

核がすごい。細胞質がへんだ。核小体が目立っている。明らかに核異型が強い。

こ、こいつ、がん細胞だ!




確率的には、おかしな高次構造ができあがっている領域では、細胞の異型(顔付きのやばさ)もまた強い。逆もまたしかりである。

ただ、たまに、

「明らかに善良そうな、上流階級のおぼっちゃんみたいな整った顔をしていながら、挙動だけはがん」

という種類の病気もある。これには気を付けなければいけない。

また、逆に、

「リーゼントにボンタンに鎖のついた財布にくわえタバコなんだけど被災地のボランティアをしている」

みたいなタイプの、がんではない状態というのもある。これも要注意だ。

鬼教師とはいうが、冤罪でこどもを叱ることは許されない。

先生はたいへんなのである。




そういえば教師も病理医も先生と呼ばれるのだなあ。