ばりばり原稿を書いている。
「ほすぴたる らいぶらりあん」という季刊誌に全4回の連載をすることが決まった。春夏秋冬で1年分である。掲載は少し先だと言われたのだが、もう2回分書いて今は3回目の原稿を書いている。およそ400部くらい刷られている雑誌で、購読者は「病院図書室の司書さん」。専門誌なのだがぼくの原稿は学術論文ではなくなんとエッセイだ。専門誌にエッセイを書くなんて、またまた偉い人に怒られるだろう。偉い方々はぼくがツイッターをやめてもいくらでもぼくのことを叩ける。ぼくはいつも叩かれるだけのことをしている人間なのだ。ぜんぜん関係ないけど、オモチャのワニのかわりにウニがぴょこぴょこでてきてそれをハンマーで叩く「ウニウニパニック」とか、カニバージョンの「カニカニパニック」みたいなパチモン製品はどこかに存在するのだろうか。嫌煙家の皆様方にタバコをハンマーで撲殺していただく「ヤニヤニパニック」があると売れるんじゃないかなと思った。売れないだろう。
話を戻そう。「ほすぴたる らいぶらりあん」は病院図書室の司書さん向けの雑誌。そう、病院には図書室がある。
「患者が読む本を置いている図書室のこと?」
うんそれもあるけど、それだけではない。ちょっと大きめの病院にはたいてい、患者用の図書室とは別に、職員専用の図書室がある。といっても看護師さんが夜勤あけに宮部みゆきとか東野圭吾を借りて帰るわけではなく、ふまじめな病理医が仕事の合間にフラジャイルを読む場所でもない。医療者が読む専門誌とか雑誌を集めてある場所。業務用図書室というやつだ。
病院図書室の仕事は思った以上に多彩で、図書室内の業務に加えて病院中の購読雑誌の管理をしてくれるほか、ぼくらが仕事で使う文献(論文)のとりよせを行ってくれたりもする。知性のアスガルド(集う場所)だ。いきなりアスガルドなんてかっこいい言葉を使った理由はついさっきまでワンピースのゲッコー・モリア編を読んでいたからなのであまり気にしないでいただきたい。なぜここを読んでいたかは2月に出る「いち病理医のリアル」を読めばわかります。よっしゃー宣伝した。
なんでもかんでもネットでできる時代、文献もすべて電子化してしまえば図書室なんて必要ない……と思ったら大間違いだ、仕事で使う文献の取り寄せを個人のPCで、オンラインでやろうと思うと、けっこうなお金がかかってしまう。たかだか数ページの論文を読むために数十ドルとか中には100ドルオーバーかかることもざらだ。個人で負担すると泣ける。というわけで、重要な医学雑誌については病院でまとめて購入していたり、図書室どうしの横の繋がりを利用して学術文献を合法的にやりとりしたりするシステムがある。ぼくはそこまでいっぱい論文を書いたことがあるわけではないのだけれど、去年3本ほど論文を書いた際にはほんとうに病院図書室の方にめちゃくちゃお世話になった。200本以上の文献の取り寄せを手伝っていただいた。自分でやっていたら破産して発狂してツイッターでふぁぼが20個くらいついただろう。わりにあわない。
ということでお世話になっている病院図書室。だから原稿依頼はふたつへんじで承知した。ご期待下さい、くらいはメールに書いたかもしれない。あとでやべぇなって思った。どうしよう、何を書こう。舞い上がりながら、3月末日までに原稿をください、第1回の原稿は7月号に掲載予定です、と言われていたのにも関わらず、1月アタマに第1回の原稿を送ってしまった。もう少し寝かせるとか読み直すとかすればよかったのに。早漏である。
そしたら、
「はやくいただけたので予定を早めて、3月号に掲載します!」
といわれ、結局は第2回の原稿を3月末日くらいまでに書かなければいけなくなった。締め切りより余裕をもたせたつもりが何も変わらなかったのである。しかしぼくはこりず、数日で第2回分を書き上げて送信した。もちろんその後の展開はご想像の通りで、つまり今書いているのが第3回分の原稿であり……このブログの記事が掲載されるころにはきっと第4回の原稿を書いているのではないかと思う(記事公開日註:第4回の原稿も書き終わりました)。もうそういう性格なのである。
早く原稿を仕上げても次の原稿が前倒しになるだけだが、ぼくの場合、ある瞬間にある程度のキーフレーズが思い浮かんだらさっさと書いてオチまで辿り着いておかないといろいろまずいのだ。ある原稿を依頼され、アイディアを思い付いたのだがそのまま書かずに脳内で推敲を続けたことがあった。大切にあたためておくうち、どの原稿のために温存しておいたアイディアなのかをころっと忘れてしまって、ある日ブログに内容を綿密に書いてしまった。いざ、原稿を書く段になって、「あのネタはもうさんざん書いたから今さら書けねぇじゃねぇか」と悶絶した。アホである。思い付いた順番に書いたほうが精神衛生上いい。学術論文の場合にはいつか書こうと思ったネタをすぐ書かないと世界のだれかが書いてしまうというパターンがあるそうだが、ぼくの場合はいつか書こうと思ったネタをぼくが別のところに書いてしまうのだから始末が悪い。
まあ実際には、書籍とか雑誌の原稿のほとんどは一度ツイッターやブログでちょろっと書いた内容で、練り直して焼き直して原稿っぽく仕上げているだけなので、完全初出のアイディアなんてのはめったにない。けれど、
「このアイディアはあとで何かに書いて説明しよう、そのためにも自分の脳内を整理する目的で、とりあえずツイッターとかブログにパイロット版を書いてみよう」
と意識して書くのと、
「アァー今必死で丁寧に書いてある原稿が半年前のブログに激似~~~↓↓」
と肩を落とすのとでは脳の受けるダメージがまるで異なる。
ぼくの場合はたいてい後者だ。
ブログの記事が過去のと似通っているときには2つの場合がある。大事な内容だと思って何度も伝えたいから、あえて似通らせているとき(読者もいれかわるからね)。もうひとつは「書いたことをすっかり忘れてオチまで辿り着いて、読み返したらすでに書いた記憶があったけれど、でももったいないしブログだからいいかなってそのまま出しちゃったとき」。前者と後者の比率はどれくらいだと思う? 答えは1:9くらいである。ミスター残念というあだ名ステッカーがPCに貼られる日も近い。
エッセイはもうさんざん書いたので今後はやはり学術論文の世界で勝負していきたいと思った矢先に飛び込んできた「ほすぴたる らいぶらりあん」の原稿は、初出のネタを織り交ぜながらぎりぎり専門誌であっても読めるような内容に調整するのに苦労した。初出ネタがもう尽きかけている。たかだかいち病理医なのだからそもそもそんなにリアルなネタの引きだしが多いわけではなくて、しかもそのネタは大半を、2月12日に出版される「いち病理医のリアル( https://www.amazon.co.jp/dp/4621302396/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_zRsyAbWA47452 )」に書いてしまっているからもう書くことがないのだ。よっしゃー宣伝した。あっこれはもう書いた……。