何をいっているのかわからない人はほうっておいて次の話をする。
紅白歌合戦をずっと見た。ぼくは実家にいた。両親といろいろ話をしていた。
その中で、「ああ、ブログ読んでるよ あれはいいね」というセリフがあった。母だったか父だったか。
そうか、ツイッターをやめたことには触れないでいてくれたのだな、とそのとき思った。
正月はカズオ・イシグロを1冊だけ読んだ。「日の名残り」。すばらしかった。
この本を読んだきっかけが、両親が録画しておいてくれていたNHKの番組、それも2本。
2本それぞれ、カズオ・イシグロがインタビューに答えたり講義をしたりしているやつだった。これを、本より先に見ておいた。
番組の中で、「日の名残り」の映画版の映像が数秒使われていた。ブッカー賞を受賞したカズオ・イシグロの代表作は映画になっていたのだ。イギリスの牧歌的な風景の中を古いフォードがすーっと横切り、後ろには破壊的に美しい夕日が瞬間的に映り込むシーンだった。
ぼくはその場面が目に焼き付いたまま、本を読んだのだ。3時間半で一気読みであった。なんとすばらしい情景か。なんと美しい叙情か。感動しながらあっという間に読み終わった。本を閉じる最後の瞬間まで充実していた。
充実をふりかえりながら、ああ、ぼくの感動の半分くらいには、あのテレビで一瞬みた、イギリスの夕暮れにフォードが走るシーンが、まるで和食に対しての醤油のように、ずーっと降りかかっていたのだなあ、と気づいた。
映像というのはすごいし、文章を飛び越えてしまうなあ。
帰省時にみつけた、とても古いDVD-CamをPCにつないで、10年以上前のビデオを数分間分だけサルベージした。
そこには産まれて間もない息子が写っていた。映像というのはすごいなと思った。ぼくは人よりだいぶいい正月を過ごしたのだが、そのほとんどが映像によってもたらされたものであって、文字や音声は少ししょぼんとした顔でこちらを見ていたように思う。また文字と音声との毎日に戻るよ、と声をかけたところ、文字も音声も少し機嫌を直してくれたようだった。