2018年1月10日水曜日

まとめておへんじするとこうなる

ツイートをしなくなったらメールの返事が遅くなった。

なにを突飛な事を、と思われるかもしれないが事実なのだ。

今までは、脳の中にある執務室の壁に、ある額縁が飾ってあった。

「リアクションは秒で」という筆文字である。

デスクにいる間はずっとイヤホンを耳に挿しているが、メールの着信音がiTunesの音楽にまぎれて聞こえた途端、ただちに作業を中断してメールを読み、意味をのみこんだらすぐに返事を書くようにしていた。

秒でいろいろ回さないとすべてが山積みになる気がして、とにかくあらゆることに急いで取りかかることを至上命題としていた。



ツイートをしなくなったとき、いろいろと部屋を整理しているうちに、この書をまちがえて捨ててしまったようで、なんだかあらゆることに対するリアクションが遅くなっている。

今まで、仕事と仕事の合間にあったツイートは、ぼくの中では「小休止」ととらえていたはずだったのだが、これが実際には休止どころか、ぼくの歯車をぐるんぐるん回していた加速装置だったらしい。

ツイートがなくなると、1日の時間が1.1倍くらいに増えたけれど、脳のスピードが1.3倍くらい遅くなった。結果的に、メールの積ん読が増えてしまっている。




人間をやっていくというのはままならない。一面を見ての解釈もむなしいことだ。

食べれば食べるだけ太る。そうでもない、食べる量を減らしても太ることはある。

運動すればするだけ体にいい。そうでもない、やりようによっては知らないうちに腰や膝を傷めていたりする。

ツイートを減らせば仕事がはかどる。そうでもない、ツイートをしなくなっても仕事の回転はむしろ落ちてしまった1例。






人間は思い込む生き物であり、思い込みとは常に真実とは遠いところにあるのだが、なぜか思い込みには強い力がある。

「ツイートをしている人間は仕事をしていない」

と思い込んでいる人の前で、「ぼく、ツイートやめたんですよ。」と言ってみよう。

「ん、そう。それが普通だね。じゃあこれからは人並みに働いてがんばれるね」

と言われる。これはもうほとんど100%こうである。

はげましのメールがたくさん届いていたが、年を越してもいまだに一部のメールには返事をしていない。

こんなことは今までになかった。

あえてポジティブにとらえるならば、ぼくはずいぶんと慎重になったのだ。