2018年1月23日火曜日

病理の話(162) 研修医が病理の勉強をする意味について正面から考える

断続的だったのが次第に連続的になってきた。

何の話かというと、うちの病理に研修医がやってくるようになった、という話だ。しばらくの間は数年おきに1人くらいの頻度で研修医をお迎えしていたのだが、最近はもう連続で来る。研修医用に用意した小さなデスクがずっと埋まっている。

ありがたい。うれしいのである。

頼りにされているんだなあと思う。まあ頼りにされているのはぼくそのものではなく、病理という分野が積み重ねてきた歴史と信頼であり、ぼくよりも上のスタッフ達のほうであって、ぼくは信頼という波に乗っかって飛んだり滑ったりしているだけなのであるが……。

医師免許取得後0か月~2年目までの、初期研修医。

3年目~5年目までの後期研修医。

病理を学ぶタイミングや期間はいろいろだ。

「週に1度のペースで1年間お願いします」という人もいる。

「毎日居着いて2か月間」という人もいる。

各人がさまざまなレベルで、思い思いの勉強をしていく。研修中、1回くらいは晩ご飯を一緒にたべて話をする。男性のときは二人で飲みに行くことが多い。女性のときは気遣うので、ほかの女性を何人か誘うことになり財布も切なくなる。

あんまり飲みたくない人もいるだろうから、さそうときにはとてもナーバスになり、しばしばこれで胃がしめあげられる。誘ってみるとたいていはOKしてくれるのだが、彼らは帰ってから枕を殴っているのではないかと気が気でない。

彼らは、必ずしも病理医になりたいわけではなく、というかまあ、たいていは普通の臨床医になりたがっている。普通のと書くと語弊があるな、一段上の臨床医になるために、研修中にちょろっと病理を勉強しておこう、というコンタンでやってくる。

目の色が違う。まじめだ。

ぼくらも本気でお相手をする。





かつてぼくが半年だけ勉強しに行った国立がん研究センター中央病院(当時はただがんセンターといった。いつのまにか「研究」が付加されていた)には、病理医が15人以上いた。レアキャラである病理医がそんなにいるなんてさぞかしすごい施設に違いない、と興奮して訪れてみたら、病理部には30人くらいの臨床医がひしめいていた。病理医よりも臨床医のほうがいっぱいいたのである。何をいっているのかわからないかと思うが、つまり、病理部とは病理医がのんびり暮らす公民館ではなく、臨床医にとっての学校であり進学予備校であり闘技場でもあるということを、ぼくはそこではじめて知ったのだ。

うーん今になって思うと、当時のがんセンターの臨床医たちは酔狂だった、と思わなくもない。だって彼らの熱意は異常だった。

30代半ばとかへたすると40代の、普通ならもはや各分野でエースとしてばりばり働いている人たちが、3か月とか半年という期間、患者と触れあわない病理の部屋に籠もって、なにやら激しく勉強しているのだから。

その勉強方法もかわっていた。

がんセンターでは多くの手術が施行されている。たとえばある日、集会場のような広い部屋に、10個とか15個くらいの「切除された胃」が、「ヒラキ」にされた状態で、ずらーっと並んでいる。

この胃はどれもこれも胃がんによって切除された胃だ。水を入れる革袋のような形をした胃が、はさみによって切り開かれて「ヒラキ」となって、粘膜のがわを上にして、机の上に並べて置かれている。ちょっと小ぶりな博物館とか美術館を思い浮かべるとイメージが近い。

陳列された胃の周りを、ひとりの病理医が、きりふきを片手に持ちながら、ぐるぐるずーっと回っている。

きりふきを時々ヒラキにシュッシュとかける。

そうしないと、ヒラいた胃が乾いてしまうからだ、という。ヒラキをずらっと並べているとは言っても干しているわけではない。乾燥してしまうと粘膜にひびがはいったり、病変がぼろぼろ崩れてしまったりするから、うるおいを与え続けなければいけない。そうまでしてヒラキを展覧する理由はなにか? 

それをじっくり、時間をかけて見たい人がいるからだ。

ある曜日の午後に、「見たい人がこころゆくまで胃をみるために」。見たい人とは誰か。そう、臨床医である。

胃を見に来る人は胃カメラの専門家(消化器内科医)が多い。胃を手術する人(外科医)も混じっている。彼らは普段、胃カメラの画像で胃をみている。直接自分の目で胃の粘膜をのぞきこむ機会はあまりない。

だから3か月間の病理部での研修中は、これ幸いと必死になって、ヒラいた胃をダイレクトに見ているのである。

5分とか10分というレベルではない。2時間とか、3時間とか。ひたすらだ。納得するまでみる。

7,8人の内視鏡医が身を寄せ合って胃の周りにむらがっている。目を近づけて、粘膜の模様を丹念に観察している。なにやらメモしている人もいる。一人はノートパソコンを手に持って、その胃がまだ患者さんの体の中にあったときに行った胃カメラの画像をチェックしている。

胃カメラってのはあれだ、出川哲朗がヘルメットにつけてるカメラみたいなかんじで、対象にぐぐっと近接することができる便利なカメラなんだけど、狭い胃の中で動けるようなサイズしかないし、魚眼レンズの効果だって加わっている。

だから胃カメラで見た画像と、実際に目でみた像とはちょっとだけ違いがある。当然、この違いを頭の中に入れてある医者は、よい診断ができる、という寸法である。内視鏡医たちはだからこそ必死で、自分が胃カメラでみたときの印象を、自分の目でみた印象と照らし合わせる。「答え合わせ」をするのだ。

「あぁーここもう少し盛り上がってると思ったんだけど意外と丈が低いな」

とか、

「うーんこの癌がここまで伸びているか、ここで留まっているか悩んでたんだけど、やっぱり伸びているように見えるなあ」

とか言っている。

自分が胃カメラで覗いた胃の中にあったがんを、切り取られた後の胃でも観察して、その後、プレパラートになった胃の病変も観察して……。

とことん病気を見まくるために病理で研修をしているのであった。




病理にやってくるのは胃カメラが得意な内科医だけではなかった。

大腸カメラで生きていこうとしている下部消化管内科医。

膵癌を撲滅させたい膵臓内科医。

肺癌と闘う呼吸器内科医。

肝臓を切ることが生きがいの肝臓外科医。

多くの科からやってきた臨床医たちが、3か月間で「自分が一生つきあっていく臓器」の病理を学ぶ。

”たった15人しかいない病理医”たちをひっぱりまわして、ああでもないこうでもないと、臨床の画像と病理の画像をつきあわせている。できれば3か月で、一生学び続けるための手段(メソッド)を手に入れたい。彼らは必死であり、本気であり、極めて楽しそうであった。(15年前の話です。今はどうなっているんでしょうね。)









今、うちの病院には、病理専門医がぼくを含めて3人いる。1人は一度定年退職をして、現在は嘱託再雇用されて働いている。加えて、病理専門医をもっていない病理医が1名。合計4名の所帯である。

がんセンターの15名とは比ぶべくもない。けれどもまあ複数いるだけで御の字である。

ここにときおり、臨床医がやってくる。研修医がやってくる。1名とか、2名とか。

ぼくはいつも、あの広い部屋できりふきを持ちながら、にこにこと臨床医を見守っていた病理医の顔を思い出し、さて、今の病院でぼくはどういう顔で臨床医と接したらいいだろうかと考える。

検体量も病理医の数でも劣る市中病院である。それでも彼らが充実した学問を修めるために、ぼくが持っているべきものは何か。

きりふき……。

ではないだろうな。