2017年5月11日木曜日

病理の話(77) パイプの成り立ちを考える

細かすぎて伝わらない話よりは、おおざっぱであっても日常にリンクする話の方がいいのだろうなあ、と思うのだが、そういう「人に伝え、興味をもっていただく話」ばかりしていると、マニアックなおもしろさというのは失われてしまう。病理学ってのはたぶん、そのマニアックなところにこそ、「働き続ける甲斐」が転がっている。神は細部に宿るとか偉そうに言う人がいるのだけれど(たいていは芸術とかそっち方面の人だ)、細部に宿るのはどちらかというとオタクだ。まあ、オタクはよく「神」という言葉を使うのでたいして違いはないのである。つまりは今日はなんの話をするかというと、マニアックな、細部の話をする。


細胞がならんで何らかの形を作る、ということ。よく考えるととても異常なことである。

自然界で、なにかが並んで「偶然かたちを作る」というのは、心霊写真、UFO、宇宙人といった文脈でしか起こりえない。ふつう、自然に存在するものというのはすべて、アットランダムな配列にばらけてしまうものだ。

ところが、人の体の中では、細胞と細胞が手を取り合って、意味のある形を成す。

人体の中で一番多くつくられる形は、「パイプ」である。「通路」でもいい。生命はとにかく物流なのだ。栄養を行き渡らせる。酸素を分配する。そのために必要なのは、

・道路
・トラック
・物資そのもの

である。血管、リンパ管といった細かい生活道路、さらには胃とか大腸とか、おっぱいの乳管だって、唾液が出る導管だって、あれもこれもパイプばかりなのだ。

この「パイプ」を作るためには、細胞がきちんと手を取り合って「輪」を作らないといけない。

輪を作るのに必要なのは、なにか?



□ ←細胞だとします。



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↑これ、まだ途中ですけど、続けていけば、パイプ(輪切り)になりそうね?




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↑こうなればいいよね? では、この形をつくるのに「失敗する」ことがあるとしたら、どういう感じだろうか。



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↑ざっくりいうとこういうことなのだ。余計な仕切りができてしまった。これではパイプとしては不適切である。パイプの中身(穴)のサイズが、狙い通りの大きさになっていない。

パイプの成功パターンと失敗パターンでは、細胞の配列に、はっきりとした「違い」がある。それはなんだろうか?

成功パターンにおける細胞の配列は、以下の2種類しかない。

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これに対して、失敗パターンにおける細胞の配列には、もう1種類ある。

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これだ。

細胞の気持ちになって考えよう。主人公を黒く染める。

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成功パターンの2種類では、黒い細胞が「両手」を使って、両脇にいる細胞と手をつないでいる。連結している細胞が、左右の1個ずつだ。

これに対し、失敗パターンだと?

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黒い細胞は、3個の細胞と連結している。



「細胞の気持ちになって考える」と。

両脇2個の細胞と手をつないでいてくれれば、自然と「輪」はできるのだ。

しかし、余計な気を起こして、3本目の手を出してしまうやつが現れると、「輪」という構造はうまく作れなくなってしまう。



人体の中で、細胞が並んで何かの構造を作るときは、今説明した「2次元」ではなく、「3次元」でものごとが運ぶ。だから、もっともっと複雑な解析が必要になるのだけれど、構造を解析するというのは結局こういうことだ。

細胞にはある程度の「制限」がかかっている。つなぐ手がおおければいいというものではない、手は2本でいいといったら2本でいい。そこに新たな3本目の手が現れてくるときは、なんらかの「限定的な機能追加」があるか、あるいは単純に「空気の読めないおかしいやつ」だということだ。

空気の読めないおかしいやつとはつまり、「がん」だったりする。



病理学用語で、「cribriform pattern」というのがある。日本語に訳すると、「ふるい状」となる。ふるいとは米とか麦とか豆とかをより分ける、穴のいっぱいあいたアレだ。

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これがcribriform patternである。ひとつの輪郭の中に、穴がいっぱいあいている。
おとなしくパイプの形に並んでいればよいものを、余計な手を何本も出してしまうがん細胞のせいで、穴があきまくってしまった状態である。


細胞をみると、病気がわかるというのは、こういう「解釈」を積み重ねた結果だったりするのだ。