78回目となるがそろそろ自分が前にどこに何を書いたのか思い出せなくなっており、前にも書いたかもしれないことをうっかりまた書いてしまうかもしれないのでご容赦いただきたい。
つまり何が言いたいのかというと、文章というものは、書いただけでは「自分がかつて何を書き残したか」を覚えられないのである。よっぽど頭のいい人なら別なのかもしれないが、頭がよくないと使えないシステムというのは困る。
何の話かというとこれは「病理レポートの検索」の話である。
病理診断は、結果がすべて文章化されている。精度の高い、確定診断に近い情報を、「レポート」に記載している。
多くの臨床医療者や研究者は、病理のレポートを「検索」し、自分の施設にどのような症例が過去に存在したのか、その症例ではどのような疾患名が適用されたのか、いかなる進行度、いかなるステージ、いかなる組織像であったのかを、過去に遡って検討するのだ。
あらゆる病理診断科は、「データベース」として活用されなければならない。だから、ぼくらは、「あとで検索されるかもしれない」という予測のもとに病理診断レポートを書く必要がある。
「毎回違う表現」で書いて喜ばれるのは、文学に限った話である。
科学は、「毎回同じ表現」で記載すべきだ。
「腺癌」と「adenocarcinoma」は同じ意味の言葉なのだが、ある日は気分で「腺癌」と書き、またある日は気分で「adenocarcinoma」と書く、なんてことをしてしまったら、腺癌の症例を検索するときには2つの語句で「or検索」をかけなければいけない。
Carcinoid tumorと書くか、カルチノイド腫瘍と書くか、neuroendocrine tumor (NET)と書くか。
印環細胞癌と書くか、signet-ring cell carcinomaと書くか、sigと略称で書くか。
こういうのはきちんと統一しておかないと、後で検索するときに痛い目に遭う。
見やすいレポートを書くために、「行替え」を使ったとする。このとき「長くなった英文をハイフンでつないで2行に連続させる」なんてことをしてはいけない。
合胞体栄養細胞(syncytiotrophoblast)が長い言葉で、行の最後にかかってしまったからと、「syncytio-trophoblast」とわけて改行させてしまったら、もう検索では見つからなくなってしまう。
見やすいレポートを書くために、「インデント」で行の頭を揃えてやったとする。以下はその例である。
表皮の肥厚によって構成された外向性の隆起性病変です。組織学的
に、類基底型の細胞が増殖する病変で、基底部には色素沈着を伴い
ます。病変内部にはpseudohorn cystの形成がみられます。脂漏性
角化症と診断いたします。
たとえばこれ、丁寧に改行して、行の頭を2字だけ下げて揃えてあるんだけど、この処理をしてしまうと、「脂漏性角化症」という言葉では検索でhitしなくなる。「脂漏性角化症」が二つのことばにちぎれてしまっているからだ。おわかりだろうか。
病理のレポートは、まず第一に医療者に伝わりやすいように、意識して書く。見やすく、読みやすくすることはとても重要だ。
しかし同時に、
「後世の医療者や病理医、さらには数年後の自分が、検索でふたたびこの症例に戻ってこられるように」
という側面をも見据えて文章を作るべきである。
稀な症例、教訓となる症例を、ただ通り過ぎるだけではだめだ。
いつでも自分の経験した症例、さらには他の病理医が経験した症例に舞い戻って、患者さんとの「一期一会」を無駄にしないように、努めていかなければいけない。
そのためには、PC検索という文明の利器を最大限に活用できるよう、文章作成の際にもきちんと決まり事を作っておくことが大切なのである。
以上のことをじっくりと考えていると、最終的に、
「病理レポートの重要な項目はすべて英語で書くべきだ」
という結論に至る。英単語は、日本語よりも、改行などに伴う禁則処理がきちんとなされている(単語の途中で改行はされない)上に、表記ブレが少ないからだ。
日本語だと漢字やひらがなのバリエーション(頚部と頸部、鼠蹊部と鼠径部、びらんと糜爛)が含まれる怖さもある。英語で気を付けなければいけないのは、略称くらいか。
一方で、
「日本人が書き、日本人が読むためのレポートを全て英語で書くのはどうなんだ」
という、至極ごもっともなクレームにも対応する必要がある。結局、ぼくは、
「後に検索の対象になるかもしれない重要な疾患名や所見の名前などは、英語と日本語両方で表記する」
というやり方をとっている。
「腫瘍細胞は篩状構造 cribriform patternを形成し」
とか、
「大細胞神経内分泌癌 large cell neuroendocrine carcinoma」
とか。
記載と表現について、科学や医学には古くから伝わるルールがある。病理医は、まずこの「古典的な病理学の記載方法」というのをきちんと学ばなければならない。
そこに加えて、技術の進歩(PC検索とか、データベースの構築とか)を意識し、後の時代に生きる人間ほど「昔をいっぺんに検索できる方法はないかな」と考え続けなければいけない。
さらには、病気の概念自体が時代と共に移り変わっていくことも忘れてはならない。
10年後、20年後に、今この名前で診断している病気が違う名前に変わっている、なんてこともあるのだ。
これらを踏まえて考え続けている人間が、各病院に1人いるかいないかで、その病院から出てくるデータの信ぴょう性というのもまた少しずつ変わっていくのではないか、そんなことを考えている。
たった今、「信ぴょう性」と「信憑性」の表記ブレが気になったところである。