2017年5月12日金曜日

利口なやりかた

時代とともに価値観が移り変わるのではなく、価値観が移り変わるから時代という定義が行われるのだと思うのだが、この話をしたところで誰も幸せにはならないし、利口な人間はそういうの全部わかっていると思うので、おしまいとします。

なにはともあれカメラを買った。日常の風景がすべて「写真におさまりそうか」という観点で見えてくるので、迷惑なことである。この感覚を飼いならすと、女子高生になれるかもしれないという、淡い期待もある。インスタグラムの何がおもしろいのか、人に自分の撮った写真を見せてどうなるのか、という質問自体が成り立たないし、世間がファインダー越しに見えるのではなくインスタグラム越しに見えているのだし、載せないという価値観はないし、撮らないという時代感もない。

で、ま、撮らないでいる。自分が撮った写真は、世界を矮小に切り取っているようにしか思えない。代わりに、人が撮った写真にいちいち感動できるようになった。こんなのウツシエじゃん、としか思っていなかった自分が、新たな時代に突入した、「世界を切り取れる人と切り取れない人がいて、切り取れる人はすばらしい」。

そういえば自分の見たものしか信じないというタイプの人もいるけれど、君の目なんてのは世界を眼球の形に切り取ったにすぎないのに、真実がどうのとしゃらくさいよな、なんて思うようにもなった。



Nikon D5500はとてもいいカメラで、大変たのしいのですが、ぼくはやはり今度GRIIも買おうと思います。だいいちRICOHもなんかあぶねぇって言うし、今買っとかないと後悔するからな。