2017年5月17日水曜日

病理の話(79) 症例報告の話

ぼくら医療者が、何か珍しい病気に遭遇したとき。

あるいは、病名自体はあふれているのだが、珍しい展開(いつもと違う経過、いつもと違う見た目)をとる病気と出会ったとき。

医療者は、「症例報告」というものを行う。

学会で、みんなの前で発表するとか、論文にして雑誌に投稿し、雑誌の査読者(さどくしゃ)にチェックを受けて掲載してもらうとか、やり方はさまざまだ。形式はともかく、珍しいことにであったら報告する、というのは、医療者にとって半ば「義務」である。


珍しい病気の診療においては、「診断がしづらい」とか、「思ったように治療が進まない」とか、「ひとあじ違った手技が求められる」など、さまざまな困難を伴う。

その困難さを乗り越えたあと、ああ、珍しかったなあ、で終わらせてしまってはいけない。

自分が感じた珍しさ、特殊性などを、同業者や後の人々に伝えて、残してあげなければいけない。

そうしないと、世界のどこかで「同じように」まれな病気に出会った人が、自分と同じ悩みを繰り返さなければいけなくなる。




……ということで症例報告は、昔も今も市中病院の研究活動としてはとてもメジャーである。さてここからが病理の話なのだが、病理医をやっていると、

・他科のドクターが、珍しい症例に出会った際に、病理の部分を担当するようにお願いされる

ことが比較的多い。

珍しい経過をたどったがんの「顕微鏡写真」を撮って欲しいと言われたり、珍しい形をしていた病気の肉眼写真から顕微鏡写真までをパワーポイントにわかりやすくまとめて欲しいと言われたりする。

ぼくは、臨床の医療者から「写真を撮って欲しい」と言われた症例をざっくりとエクセルにまとめているのだが、今日このブログを書いている段階で、通し番号が

(198)

となっていた。

今の病院に勤めて約10年になる。年間20件くらい、臨床家の症例報告や、ケースシリーズの作成などに付き合っている、ということだ。

この、「他科のドクター、あるいは技師さんのために写真を撮る」ことが、苦になってしょうがない、という病理医もいる。

まあわかる。自分の本来の仕事ではない、という意味だろう。

症例報告をするから手伝えと言われて病理医が手伝っても、実際に病理医自体の名前が報告に残ることは2割にみたない。気の利いた医療者だと病理医の名前も報告に入れてくれるのだが、学会や雑誌の規定で、(主治医ではなく、臨床の学会に入っていない)病理医の名前を載せられないケースも多いのである。

けれど、ぼくはこの「他人の仕事をこっそり手伝う」のがそんなに嫌いではない。症例報告の病理を解説してくれと言われ、パワーポイントに解説を組み上げて渡すのが、むしろ好きなのである。

なにせ、症例解説を頼まれる症例というのは、臨床の医療者達が「症例報告したい」と思うくらい、珍しいものばかりなのだから。

稀少なケースをじっくり勉強するのにもってこいだし、どこに困難が潜んでいたのかと考えて、また次回このような症例がきたらもっと華麗に診断を決めようとモチベーションも上がる。



今まで、「病理医は縁の下の力持ちである」みたいな説明を、ぼくは嫌ってきた。患者さんに会わないからとか、最前線にいないからというのを「縁の下」と表現されるのがイヤで、

「宇宙戦艦ヤマトの艦長の席にいる」

とか、

「軍師として高台から戦況を見つめて指示を与えている」

などと吹聴してきた。



ただ、「医療者の学会発表の手伝い」をしているときのぼくはまさに「縁の下の小仕事」をしているつもりでやっていて、うーん、あれだな、ぼく、縁の下も別に嫌いではないんだなあと、思ったりするのである。