そうか。
これまで432回も病理について書いていたのか。
でもまあ、またいちから書こう。何度もくり返すのがいい。何度も積み重ねるのがいい。
なぜならくり返しと積み重ねは病理診断の奥義であり、医療そのものだからだ。
*
5月に書き終えて、7月に直した教科書がある。
編集作業がはじまっている。
発売までにはまだけっこう時間がかかるだろう、いつ出るかはわからない。けれども内容はもうそんなに変わらないはずだ。ぼくの単著だから、ぼくがこのさき文章をいじらない限りは、ほぼこのまま世に出ることになる。
内容は病理学。対象は医学生や研修医。初版発行部数はほとんどない。刷ってもそんなに売れないはずだし、病理学のど真ん中を語る本なんてのはそこまで売れなくてもいい。
今回の本は超本気で書いた。
今までのどの本も、あるときはエンタメよりに、あるときは噛んで含めるようになるべくわかりやすく、あるときはみんなで手を取り合って協力できるように、多様に本気を出してきたけれど、今回の本気はちょっと毛色が違う。
職能の全力を出した。
完全に専門的に書いた。
けっこうハラハラしている。
一般向けに病理とはなんぞやと語るのとは違う部分の脳を使った。
その中で、ぼくが何度も、くり返しくり返し使った言葉が……
「くり返し」
という言葉だった。
病理学はくり返しの中にある学問である。
というか医療はくり返しの中で生まれていくものだという確信を得た。
ここまで抽象度が高いことを書いたから、ちょっと最近の例をあげて説明してみる。
患者が病院に来るとする。そこで看護師が「今日はどうしました?」とたずねる。これこれこんな感じで具合が悪くなって……と患者は告げる。
診察室に通される。医者は尋ねる。「いつからどんな感じですか~」。患者はさっきも看護師に伝えたけどなと思いながら、今度は医者に向かって語りかける。
医者は話をよく聞いて、診察をはじめる。このとき、患者はもう同じことを言わなくてもいいんだと思って体を医者に預けるのだが……
このとき実は医者は、「患者が言ったことをまたあらためて自分の目や手や耳で確認しようとしている」。
診察というのは、かたちは違うけれども、大きな意味では「患者の声を聞く行動」である。患者自身が言葉にしていない部分、できない部分、気づいてもいない部分を探るために診察がある。
だからこれはいってみれば「くり返し」なのだ。
「手を変え品を変え」と言ってもいい。
そして医者は血液検査を出すだろう。このとき、血液の中に含まれる様々な物体の量を見たり、性質を確かめたりするわけだが……。
察しのいい人は気づくだろう。これも、「問診や診察では聞けなかった、患者の体が発する声」を聞く作業だということに。
X線をとるのもいっしょだ。CTをとっても同じ事だ。
患者の体が発するメッセージを、くり返しうけとめて、積み重ねていくということ。
実はこれが医療の根幹である。患者が言ったことをうのみにするだけの医者は無能に違いない。「かぜだと思うんですよね」のひとことで、「じゃかぜだと思います」と答える医者がいると、なんだかヤブ医者っぽくないか? それはくり返しが少ないからだ。
で、えー、みなさんが喜ぶことを書くと、
「PCRをやれば新型コロナウイルスだってわかるんですよね?」
の一文にはくり返しがない。つまりこれは医療としては不完全なのである。患者の体の中で起こっていることをできるだけ丁寧に探ろうと思う時、PCRだけで何かを決めるなんてことはありえない! 何かをくり返す。何かを積み重ねる。
患者の症状は? 熱はどう? せきや鼻水は?
周囲の状況は? そもそも今の社会にどれくらいの患者がいると予想される?
これまでの時間経過は? 患者は昨日どうだったか、おとといはどうだったか?
周囲に同様の症状を示した人はいたか?
こういった内容を逐一確認して、患者を十重二十重に取り囲むように、くり返し、くり返し、情報を多彩にとりこんで、積み重ねていく。とことん積み重ねていく。
そこにひとひら乗っかるのがPCRという「いち検査」であるということ……。
ウフフこんな感じで、医療ってのはくり返し、積み重ねるものなんですけどね、病理学もまさにそうなんですよね、みたいなことを、17万字かけて書いた本がいずれ出るので、ブログの読者は興味があったら図書館に申請してください。医学書だから買う必要はないよ。