2020年7月22日水曜日

病理の話(436) 病理診断における決まり文句

誰しも「よく使う言い回し」があるだろう。特に、ある特定の単語に冠される形容詞や副詞には、なんとなく定番のセットみたいなものが存在すると思う。

ハンバーガーに付けるのはポテトでなくても、ナゲットでも裂けるチーズでもブロッコリーサラダであってもいいはずだ。しかし多くの人がポテトを付ける。お決まりの、お約束の、あまり考えなくてもいいときの、組合わせ。

そんなイメージで以下を書く。

なお今日の話はよーく探すとたぶんこのブログで過去にも書いている。「くり返し」ではある。




「きっちり」送りバント、とか。

「けだるい」昼下がり、とか。

「外側がカリッとしてるのに中がフワフワの」フレンチトースト、とか。




こういう表現を安易にくり返すテレビレポーターとかアナウンサーなどは、こっそりTwitterで叩かれていたりする。あいつ、陳腐な言い方しかできねえよな、みたいに。



でも別に悪いことばかりではない。「定番のセット」には利点がある(というか、利点があるから汎用されるのだろう)。

たとえば、読んだ瞬間になんとなく背景にある風景とか事情とかをまとめて思い浮かべさせる効果がある。




さて病理の話だ。病理診断報告書にも定番の言い回しがある。

それはたとえばこのようなものだ。

「臨床所見と併せて」ご検討ください。



このフレーズをみると臨床医や病理医は「あぁー……」とヘンな声をもらす。病理診断でパキッとした診断がつかなかったとき、レポートの最後に付記されているお決まりの文句だからだ。





よく考えると「ご検討ください」だけでも十分意味は伝わる。主治医がなにかを検討するときは、臨床所見(主治医が主治医なりに集めた証拠の数々)と病理の結果を合算するのは当たり前だ。

主治医に考えて欲しいならば、いろんな書き方があってもいいはずである。

「病理所見の結果を踏まえて」ご検討ください。

「ここまでの臨床診断と大きな矛盾はないと思われますが」ご検討ください。

「懸念事項があればお問い合わせください。」ご検討ください。

ニュアンスごとに毎回書き換えてもいいくらいだ。



でも病理医は(というか、ぼくは)、たいていの場合、決まり文句として書く。

「臨床所見と併せてご検討ください」。





ぼくはこのフレーズに対し、テレビレポーターみたいにバリエーションを出す必要はないと思っているのだ。

ここで妙な色気を出して、




「臨床所見と病理所見の合わさった先にきっと答えがあります」

とか、

「あなたの放った光線と私の放った光線が影を消す角度を探しましょう」

とか、

「ひとりはみんなのために。」

とか書かれたら、主治医はぎょっとすると思う。



ニュアンスとしてはこれらは全部おなじことを言おうとしていて、それはなにかというと、

病理診断というのはそれまでの数々の証拠に積み重ねて使うものだよ

ってことなんだけど、これを毎回違う表現で詩的に・ブンガク的に表現しても主治医は困る。



なぜぼくは病理のレポートをいつもだいたい同じように書くのか?

それは、ここぞというときに違うことを書いて、臨床医の目を引くため……な気がする。




病理医がいつもと違うことを書いたときには敏感に反応する、というのが大半の主治医の思うところである。決まり文句が書いてあるところはぶっちゃけみんな読んでない。そんなことは知っていて、それでも書く部分というのがある。「お決まり」には安心があるし、逆に「いつもと違う」にはアラームを鳴らすのが臨床医。

ぼくは、「オオカミが来た!」と叫ぶタイミングをはかっている。




文末の「臨床所見と併せてご検討ください」をそうそういじってはだめだと思う。それがなんだか、定番のセットメニューの付け合わせみたいに見えたとしても、ぼくらは何度も何度も食べたポテトをかじって安心するという性格を確かに持っているし、ポテトが急にオクラになったとしたらぎょっとして手元をまじまじと見るだろう。この本能を利用してレポートを書く。それくらいのことをする。