「らおやのラジオ」をよく聴く。
https://www.youtube.com/channel/UCvbYsh8D4EczEjzQo0u_WQg
第5回のなかで海外旅行の話がでてきた。
パーソナリティのらおやさんが、「ヨーロッパやアメリカ方面に行ったことがない」と言っていて、ぼくは(他人事ながら)うんうんとうなずいた。ラジオは他人の話を自分事のように聴くのが楽しむ秘訣である。
ぼくはアメリカに2度しか行ったことがない。1度は子どもの頃なのでほとんど記憶にない。なにせVHSビデオですらない「8ミリ」の時代の話。
もう1度は大学院時代に先輩の発表を見に行った。いちおうニューヨークをふらふら歩いたはずなのだが、あまり記憶に残っていない。ヤンキースタジアムは試合をやっていなくて閑散としていた。
そしてヨーロッパには一度も行ったことがない。
なかなか海外に行く機会がないな。パスポートも「取っただけ状態」だな……。もっと海外に行っておけばよかったな。
しかしその後らおやさんが、「いつかアラスカやチベットに行きたい」と言っているのを聞いて、あっと思った。
ぼく最近、仕事でモンゴル行ったじゃん。それも2年連続で。
モンゴルはぼくの中では「海外枠」に入っていないのだろうか?
仁川空港で乗り換えて半日がかりで入国して、あのときは確かに「海外だなあ」と思ったはずだ。
でも誰かが海外旅行の話をしているとき、そこに「ぼくもモンゴルに行ったときにはさあ」と自分の話題を共有することを忘れてしまいがちである。
たった今思いだしたけれどぼくはシンガポールにも行った。あれも今の話の中では完全に記憶の外だった。おかしいな。けっこう海外行ってるじゃん。
別に気取ってるわけではない。ほんとうに忘れてしまうのだ。誰かが語った話題に、「ぼくもそういうことあるよ!」と乗っかることを忘れてしまうのだ。
ある宴会で数人がパンケーキの話をしていて、そんなおしゃれなもの食べたことないよ~と言った日の昼飯がパンケーキだった、ということがある。出張先で、小腹が空いたときに入った喫茶店でパンケーキを出していたので昼ご飯にした。そしてけっこうおいしかった。なのに夜にはその記憶が完全に飛んでいた、
あのときはさすがに自分の海馬がニフラム食らってるのかと心配になった。
どうもぼくは他人が楽しそうに話している「ここぞという話」を自分のエピソードと照らし合わせるのが苦手なのだろう。
小さい頃からずっと野球をやっていたんですよと語る外科医に話を合わせて、「確かに体力ありそうですもんねーぼくなんかそういう経験はぜんぜんないからだめだな」と言った5分後に、その外科医から「そういえば市原くんは剣道やってたんじゃなかったっけ? 大学時代。」と話をふられ、ええ小学校からずっとやってましたねと答えたところ「俺より長ぇじゃん……」と言われて場の空気がチルドくらいの温度になったことがある。
かつてはこうじゃなかった、自分が経験してきた数少ない「武勇伝」のどれが他人との会話に使えるのかをむしろ必死で探すタイプだった。がんばって想い出そうと思えばいくらでも出てくる、高校生クイズの敗者復活戦での話とか、修学旅行の自由行動であんなに遠いところまで行ってしまった話とか、大学時代にドライブでどこまで行って何をしたのかとか……。
でもそういう話が日常会話でスッと出てこなくなった。単なる忘却というよりももう少し強い、「自分の思い出を人前で楽しそうに語るのはやめておこう」という呪いがかかっているかのようだ。
呪いという言葉を使ってしまったがぼく自身そこまで問題視してはいない。ただひとつだけ不安になるのは、ぼくの中にそれなりに楽しくしまってあるはずのアレコレの思い出たちが、他人との会話目的はともかくとして、自分をなぐさめるために引っ張り出すことすらできなくなったらいやだなあ、ということ。それはちょっともったいないなあ、と思う。カメラロールを見返していて思う、モンゴルは本当にいいところだったのだ。