休み明けが一番元気か、それとも休み明けが一番だるいか、という話をしていた。
土日にたっぷり休めば月曜の朝が一番元気に決まってるじゃん、と誰かが言った。
これから一週間の仕事がはじまると思えば月曜の朝が一番だるいに決まってるじゃん、と誰かが言った。
そこでぼくはふと思った。
「決まってるじゃん」って最初に世の中に流行らせたのはだれだ? たぶん全国共通で使う言い方だな。でも、そんなに古い言い方ではないだろうな。
たとえば、江戸時代の人間も言っていただろうか。
「ここは切腹するに決まってるでござる」
言わなかったろうなーと思う。言ってたのかなあ。
春はあけぼのに決まってるわ。
みたいな訳文をみると確実にイラッとする。
「決まってる」というフレーズの軽薄さがやけに気になる。
誰が決めた? 何を決めた? 誰にとって確定? どのような状態が確定? 常識? 当然? 必然?
つまるところ、決まってないよなあと思う。誰かが「決まってるじゃん」というときは本質的に決まってないときだ。これは逆説の慣用句なのではないか。
たいていのことは決まってない。だからこそ「決まってる」と言って自分のアゴをクイっと持ち上げるのである。
実に雑なフレーズ。見れば見るほど、ゲシュタルト崩壊する前に「なんてテキトーな日本語なんだろう」という気持ちがヒタヒタ浸みだしてくる。
話し言葉と書き言葉を一致させようとして、フランクな書き言葉にチャレンジしはじめたのって夏目漱石だっけ? 二葉亭四迷だっけ? もう忘れてしまったけれどなんかそのあたりだった気がする。明治時代、たぶん、軽佻浮薄と深謀遠慮の境界線にポテンヒットをおっことすような日本語がめちゃくちゃ模索されたと思うんだけど、あるいは「決まってる」みたいな雑に生き残った日本語もそのころ作られていたりはしないか。
吾輩は猫であるに決まってるじゃん、とか書いてあったかな。
「言いませんかった。」みたいな言い方を試したけど流行らなかった文学、みたいな話を昔どこかで読んだんだけど思い出せない。
「言いませんかった。」は今なら流行りそうだけどな。
ぼくは「月曜朝が一番疲れるに決まってるじゃん」と「月曜朝が一番元気に決まってるじゃん」に挟まれて、「そんなの人それぞれに決まってるじゃん」とツッコみたくてしょうがなかった。今日の髪型も昼飯のメニューも夜帰れる時間も寝る前に読む本も、何も決まってない。