※今日はすっげえマニアックな話を書きます。具体的な単語については全くわからなくて当然ですが、以下の話に通底する「論理構造」みたいなのを読んでいただけるとうれしいです。
胃に、MALTリンパ腫という「がん」が発生することがある。これは白血球の一種であるリンパ球という細胞の性質をもった「がん」だ。
MALTというのは、粘膜に関連したリンパ組織、という意味の英語の頭文字をとっただけ。Mucosa-associated lymphoid tissueを略してMALT。したがって、麦芽(モルト)とは関係がないです。発音は一緒だけれどね。
MALTリンパ腫は、「がん」ではあるのだが、われわれがふだん「がん」と聞いて思い浮かべるものとはちょっとイメージが異なる病気です。
・大枠では「がん」なので、放っておくとさらに悪くなって患者を死に至らしめる可能性がある(から治療するべきだ)。
・ただし、リンパ腫と名前の付くほかの病気に比べると、だいぶ進行が遅くて、わりとおとなしい動きを示す「がん」である。
・おまけに、抗がん剤や放射線療法を使わなくても、ピロリ菌を除菌するだけで「がん」なのに消失することがある。
・細胞を採取してたちどころに診断がつくかというと、けっこう難しい。炎症と区別がつかないパターンがある。
以上は別に覚える必要はない。要は、特殊な「がん」であり、診断にも治療にもヒトクセあるということだけ、なんとなく頭のかたすみに置いておいてほしい。
さて、MALTリンパ腫を病理医が診断するのはそんなに簡単ではない。これまでにも、けっこう長い「病理医の苦闘の歴史」があった。
そもそも、炎症との区別がつかなかった時代がけっこう長い。
「えっ、病理医が細胞を見ても、がんか炎症かわからないってこと?」
そうなんです。
胃にはピロリ菌などによる「胃炎」が起こる。胃炎でもリンパ球がたくさん出現するので、「リンパ球がいっぱいあるからMALTリンパ腫だ!」みたいな、量的な、おおざっぱな診断が使えない。
今のをイメージでいうと……
江戸時代にクワやカマを持って農民達が徒党を組んでお城に押し寄せたら、それは「一揆」ではないかとわかる。
しかし、同じ格好をした人たちが、令和の渋谷の交差点に、それも10月末にいたらどう思う?
ハロウィンかあ、と思うでしょう?
それに似ている。「あやしいやつらがいっぱいいる」だけでは診断はできない。「周りの状況」などとかけあわせて考えないといけない。これが難しかった。
今から言うことは病理診断に限らなくて、医療全般に言えることなんですが。
「単純に何かがある・ない」で診断できるならばそれは簡単で、わりと誰にでもできる。しかし、「何かとかけあわせて考えないとだめ」となると、途端に難しくなる。
MALTリンパ腫もそうだった。かんたんじゃなかったんですね。
だから、昔からさまざまな病理医が、いろいろなことを考えてきた。MALTリンパ腫を見抜くための、何か、ヒントはないかということを。
そしてある人が見つけた。アイザックソンさんだったかな。ウォザースプーンさんだったかな。その両方だったかな。
顕微鏡でリンパ球がいっぱい見えたとき、そこに「LEL」とよばれるパターンが見えたら、それはMALTリンパ腫である確率が高い! ということを。
LELというのは……さっきの例え話でいうと、クワやカマを持った人たちが、「そのへんにあるビルの壁や窓を割っているようす」にあたります。リンパ球が、本来の胃粘膜にある「上皮」と呼ばれるものをボコボコに殴り倒している所見(しょけん)。Lymphoepithelial lesion(リンパ球と上皮……がなんかチョメチョメしてる場所、という意味)。
ただリンパ球が徒党を組んでいるだけじゃなく、周りをぶちこわしてたら、それはもう「悪い奴」じゃん、ということを見出したんですね。
そして彼らはウォザースプーンの分類基準というのを提唱した。
診断の現場でこの基準を使うと便利だよ! LELがあるかないかで、MALTリンパ腫かどうかをだいぶ見分けられるのさ!
と言ったのです。
ただ、彼らは、本当は、LEL以外にもいろいろとMALTリンパ腫のことを見て考えていた。元々はLELだけが大事な所見じゃなかった。
でも、分類基準として、世の中の病理医や内科医たちにわかりやすく使ってもらうために、少し簡略化した、アンチョコ的な、パンフレットみたいなのを作って世に広めたんだね。
そしたらこの分類基準がめちゃくちゃ一人歩きしちゃった。
彼らがLELの話を提唱したのは今から30年くらい前の話なんだけど、令和の今になっても、若い病理医たちは「MALTリンパ腫と言えばLELですよね!」と、目を輝かせて彼らの基準を頭に入れていたりする。
本当はアイザックソンもウォザースプーンもLEL以外の見どころをいくつか考えていたし、今はLELのほかにもヒントになる検索方法がいっぱい見つかっているんだけど。
さっきの「一揆」の例に戻れば、農民たちが何かを壊しているかどうかだけじゃなく、持っている武器・道具が何かをしらべる免疫染色という手法が発展した。マイナンバーカードをチェックするような遺伝子検索の技術も加わっている。
でもそれらが加わっても、分類基準の存在がでかすぎて、MALTリンパ腫といえばLEL、みたいなイメージ戦略が、根強く残ってしまっているのです。
診断というものは……いや、医療というものは、大半が、「これをチェックして、陽性ならA! 陰性ならBと決めます!」みたいな、単純な二択クイズみたいなものではない。判断基準は必ず複数あるし、パターン認識で正解にたどり着くのはけっこう難しい。これは、「カマやクワを持った農民」の例でわかってくれたと思う。彼らがいつどこにいるかによって話がまるで変わってくるだろう? 「ファクター」がいっぱいあるということだ。
しかし、困難な医療の現場で、いつもいつも、複雑な思考のままに問題に立ち向かっていくというのは大変すぎる。だから、偉い先輩たちは、少しでも現場の負担をとろうと思って、複雑な病気のシステムから、「ちょっとでも話を単純化するヒント」みたいなものをがんばって探し続けてきたのである。
そのようなものの中から、分類基準、あるいは診断基準などというものが生まれてくる。時代の検証に耐えて、今に残るこれらの基準は、とても優れていて、なるほどうまく考えたなあ! と感じられるものが多い。
でもそれはあくまで「アンチョコ」であり「パンフレット」であり「簡易版」であるということを、少なくとも我々は……プロの医療者は、忘れてはいけないと思う。LELだけでMALTリンパ腫の診断をするのはちょっと難しいと思いますよ。
(参考: 病理と臨床.40(12), 1275-1283, 2022.今日の記事はここに載ってるお話しをぼくなりに考えてまとめたものです。)