かつて、フレンチ・パラドックスという言葉があった。
”フランスでは動物性脂肪の摂取量が非常に多いのに、心血管系イベントによる死亡率が低い。これはパラドックス(矛盾)だ!”
鼻息が荒い。
今にして思えば、心血管系イベントを語るにあたってリスクが「動物性脂肪」だけというのはずいぶん少ないな、と、目を細めて眺めてしまう。でも当時は、医療の専門家たちでさえもこのような「雑なストーリー」におおまじめに悩んでいた。
ある病気にかかる、あるいはそれで死ぬという現象は、1,2個のファクターで左右されるものではない。
「アルゼンチン代表はメッシのおかげで優勝した」と言うのはまあファン心理として許すにしても、「アルゼンチン代表のゴールキーパーがボールをとめたのはメッシのおかげだ」はさすがに言い過ぎだと思うだろう。
言うまでもなく、アルゼンチン代表がワールドカップで優勝したのは、メッシをはじめとする多くの代表選手、スタッフ、協会関係者、そして国民などの無数のファクターががんばったり圧をかけたりした結果であり、かつ、そこには絶対に運もあった。
なのに「ぜんぶメッシのおかげ」というのはそこそこ暴論だ。
それと一緒で、「心血管系イベントが増えるのは動物性脂肪によるものだ!」と考えるのも短絡である。ほかにもやまほどファクターがあるのだから。
でもこの短絡的なストーリーを、おおまじめに研究した人たちがいっぱいいた。荒唐無稽な物語であっても、「なぜ?」をつきつめるのはよいことだ。しかし、短絡的なものの考え方のままで突き進むと、結論もしばしば、ねじまがる。
かつての研究者たちは考えた。
”フランスでは動物性脂肪の摂取量が非常に多いのに、心血管系イベントによる死亡率が低い。パラドックス(矛盾)だ……なぜだろう? フランス人だけが、なにか、心臓や血管にいいことをしているのではないか。フランスの特徴……フランスのアイデンティティ……フランスの誇り……。そうか! 赤ワインだ!”
もはやギャグでは? とツッコみたくもなるが、くり返すけれども研究者たちはおおまじめである。ファクターが無数にあるということを考慮せず、かってに作り出した虚構のパラドックスに慌て、それを単一ファクター「赤ワイン」で解決しようとした。
まず、何人かの研究者が、「赤ワインを適量飲むと体にいい」というデータを提出した。フランスは勢いづいて、国をあげて、大規模な医療統計プロジェクトに取り組んだ。「赤ワインを飲む人」と「赤ワインをあまり飲まない人」の 2 群を比較する観察研究を行ったのである。
でも、そこはさすがに研究者。「赤ワインを飲む人の側に、過剰に健康な人が含まれていないかどうか」みたいな偏り(バイアス)を、慎重にとりのぞくことにした。街からランダムに「赤ワインを飲んでいる人」を連れてきて研究をしてはだめ。たまたま選んだその人たちだけにあった特有の事情が、心血管系イベントになんらかの影響をおよぼしているかもしれない。
年齢・性別など多くの因子について、きちんと「標準化」を行った。片方の群だけ年齢が妙に高いとか、男性の量が妙に多いとか、喫煙者が多いといった、といったバイアスをできるだけ減らした。
そして……大規模なデータ解析の末に「赤ワインを飲んでいるほうが、どうやら健康らしいぞ!」というデータが出た。お国もお酒会社も大喜びである。
でも、周囲がお祭り騒ぎで国の威信(赤ワイン)を褒めそやす中、本当の研究者たちはそこで立ち止まろうとはしなかった。いくつもの別の統計を確認していった。すると、研究によっては、どうも、赤ワインの効果はあまり大きくない……というか、別に効果はないのでは? というデータもけっこう出てくる。ただその結果はけっこう長い間、あまり知られなかった。
なんとこのときの影響は今にも及んでいる。赤ワインのポリフェノールが体にいい、レスベラトロールが寿命を延ばす、みたいな話、聞いたことないだろうか? これらはすべて、当時の研究に端を発したものだ。
その後、ある研究者が、ひとつの事実に気づいた。「赤ワインをたしなむ人」は、「赤ワインを飲まない人」に比べるとちょっとだけ年収が高いということに。
年収?
そんなものが死亡統計に影響を与えるのだろうか……と、なかば半信半疑ながらも、データを再整理した。年収による差が出ないように、母集団を調整したのである。すると、赤ワインを飲む人も飲まない人も、心血管系イベントの発生頻度は変わらなくなってしまった。
こうして、「赤ワインが健康にいい!」というストーリーは、(統計データを基に組み上げたはずだったが)どうやら信用してはいけないらしいぞという結論が遅ればせながら世に広まった。
直感的には信じがたいかもしれないが(あるいは逆にめちゃくちゃ納得されるかもしれないが)、血圧とか脂質などという血液のデータをしらべるよりも、「年収」のほうが健康を繁栄している場合がある。
残念ながら、かつての医療研究者たちは、被験者に年収なんて尋ねなかった。でも、年収こそは、健康に影響を与える大きな、しかも複合的なファクターだった。年収が違うと、「赤ワインを飲んでいる時間以外の行動」に差が出る。おつまみとして健康によさそうな食品を食べているかどうか、ストレスが日常的にかかっているかどうか、職場環境の日照条件や空気のきれいさ、家族や周りの人びととのコミュニケーションが良好かどうか……。こういったファクターを一切アンケートで聴取せずに、「赤ワインを飲んでいる側と飲んでいない側、ワイン以外のファクターはぜんぶ揃えておきました」なんて、言うのは簡単だけど実際にはすごく難しい。
結局、当時の研究者たちは、「年収の差を考慮にいれないデータ」を大量に用いて統計をとり、「赤ワインは健康にいいらしい!」という不適切な結論にたどり着いてしまった。でも、まあ、個人的には、当時の研究者を責めることはできないなあとも思う。や、そりゃ、言われないと、わかんないよな。
医療系の研究をする際のアンケートといえば、タバコは吸っていますか、運動はしていますか、昔なにか大きな病気をしましたか、家族に病気の人はいますか、あたりが定番である。こうして聞き取った結果を基に統計処理を行う。しかし、そもそも、このような「yes or no」の質問だけで、その人の暮らしすべてが聞き取れるだろうか? ここが統計の難しいところだ。
フランスの悲劇は、おそらくもうひとつある。研究者たちも、国民も、どこか、「赤ワインが健康によかったらいいな……」という希望をデータに託してしまった。本来であれば、「赤ワインだけで健康が統計学的にぐっとよくなるなんて、何か、ほかにファクターがあるのではないか?」と疑ってかかるくらいがちょうどいいのだけれど、「やったあフランスの誇り! 赤ワインが買った!」となって思考停止してしまった。
自分たちが選び取りたかったストーリーを統計の中に見出してしまったことが、フレンチ・パラドックスをめぐる研究失敗のひとつの原因だったとぼくは考える。
バイアスをとりのぞくにはかなり専門的な知識が必要だし、何より手間がかかる。現場から出てきたデータはすべて貴重なものだが、そのデータが合っているか間違っているか以上に、「それをどう解釈するか」にあたっては本当に慎重な姿勢と透徹な知性と冗長な時間が必要になる。「フレンチ・パラドックスの誤解決」によって世界はそのことに気づいた。しかし、それをすぐに忘れてしまうのもまた世界である。
人は、「自分の都合のいいようにデータを読み解く」という楽観性によって、このつらい世の中をやり過ごしているのかもしれない。研究者か非医療者かを問わず、だれもが。