2023年1月27日金曜日

病理の話(740) それってわざわざ違う名前付ける必要ありますか

※今日の内容は、抽象的に書くとわけがわからなくなるので、意図的に具体的な疾病名を出す。しかし、これは特定の患者さんを思い浮かべて書いている話ではない。教科書を見ながら「この病気とこちらの病気の話をしよう」と決めて話しているニュアンスだとご理解いただきたい。



胃に出る病気で、「胃底腺型腺癌(いていせんがたせんがん)」というのがある。日本人によって発見され、定義されたものだ。現在はWHO分類にも名称が掲載されていて、世界的に認められた概念といえる。

小さくてまだあまり育っていない「がん」の中に、まれに特殊な性質をもったものが混じっていることがわかって名付けられた。大きく育ったがんではその特殊な性質が失われてしまうため、がんがまだ小さいときでないと診断することが難しい。胃カメラの技術が非常に進歩していて「早期のがん」が見つかりやすい国=日本から報告されたのも納得である。

その後、この病気に似ているがちょっと違う病気として、「胃底腺粘膜型腺癌(いていせんねんまくがたせんがん)」や、「胃固有腺型胃癌(いこゆうせんがたせんがん)」、「胃幽門腺粘膜型腺癌(いゆうもんせんねんまくがたせんがん)」などが次々と提唱された。……現場の医者や研究者たちはおおまじめだが、いざこうして並べてみるとなんだかジョークのようである。まるで、トゲナシトゲトゲ、トゲアリトゲナシトゲトゲ、みたいなネーミングセンスではないか。

新種が発見されるたびに、すでにわかっている「品種」との違いを強調するため、元々あった病気の名前をちょっといじるのでこういうことになる。タンポポという花があり、それをセイヨウタンポポとニホンタンポポに分け、ニホンタンポポをエゾタンポポ、トウカイタンポポ、カンサイタンポポに細分類し……やっていることはいっしょだ。


ただし、病気の名付けは、昆虫や植物とは異なる部分もある。「その名付けをすることで、患者や医療者に何か得があるのか?」ということを、けっこうシビアに問われ続けるのである。


先ほど書いた胃底腺粘膜型や胃固有腺粘膜型、胃幽門腺粘膜型などは、「細かく分けたところであまり意味がないのではないか」という議論が続いている。

「ぜんぶまとめて胃型腺癌」でもいいんじゃないかということ。一理ある。でも、ある意味、ヘラクレスオオカブトとコーカサスオーカブトをまとめてカブトムシでいいじゃねぇかというのに似ている。がんばって見つけて名付けた人たちはムッとするし、専門の研究者たち(総じてオタク気質あり)も口をそろえて「バカ野郎、ぜんぜん違ェよ」と怒る。

もちろん、違う名前をつけたところで、同じ検査をして、同じ手術をして、患者がその後どうなるか(元気に生き延びられるのか、それとも転移・再発するリスクがあるのか)が全く変わらないのならば、いたずらに医療従事者たちを混乱させないように、名前をわかりやすくするのが医療のつとめだ。

それでもなお、名前を分ける理由があるんじゃないか、新種を見つけたほうがいいんじゃないか、という気持ちが、一部の研究者たちにはある。


たとえば胃底腺型腺癌と胃底腺粘膜型腺癌、このふたつ、名前はめちゃくちゃよく似ているのだが、胃カメラで見たときの見た目がまるで違うのだ。前者はときに内視鏡医に見逃されるほど「わかりにくい」。後者は比較的発見されやすい。

前者は周囲の粘膜にとけこみやすい性質をもっている。ニンジャが壁にへばりついて、壁と同じもようの布で隠れているようなことをやる。なまいきな病気だ。「取れば治る」のだが、「見つけて取るのが難しい」。

となれば、やはり、両者には別の名前をつけておいたほうがいいだろう。見つかりにくい方の病変をいかに見つけるかは臨床研究の大テーマだ。どういう病気が見つかりにくいのかを見極めるにあたっては、きちんと名前が分けて付けられていたほうがよかろう。そのほうが、長い目でみて患者のためにも、医療者のためにもなる。

「発見のしやすさ」というファクターが、両者を分ける意義につながるということだ。

今すでに分けられている病名には、たいてい、なんらかの意義があって、臨床現場で便利に用いられている。そこらへんはうまくできている。



ちなみに、病気の「見つかりやすさ・見つかりにくさ」という性質は、病理医が顕微鏡でプレパラートを見ても、(慣れていないと)わかりづらい。なぜなら、病理医が見ているのは、胃カメラを持った主治医が「なんとか見つけて取ってきた病変」に限られるからだ。

非常に上手に粘膜に隠れた「上級のニンジャ」は、手術されないから、病理医の手元にプレパラートとして届くこともない。病理医が見ているのは「中級・下級のニンジャ」ばかりということになるだろう。このことは常に頭の片隅になければならない。

病気の性状、さらには「名付け」を考えるにあたって、病理診断だけで議論を進めることはできない。他科の医療者たちと仲良くやることで、「名付け」の根拠が整っていく。「なぜわざわざ新種として命名したのか」をきちんと説明できることが肝要だ。余談だが、WHO分類はときおり改訂され、「以前にはあった病名」が改訂のたびに消去されていく。この病気の名付けはまずかった、というのを、今日も世界中の研究者たちが反省しまくっている証拠とも言える。