2023年1月18日水曜日

あえたね

「あえて嫌われ役を演じる」みたいな話をとんと聞かなくなった。


一昔前は、誰かを指導するにあたって、

「たとえ嫌われようが、言わなければいけないことがあるし、それを言うのは上司である私しかいない」

みたいなことを言う人がいろんな場所にいた気がする。でも、たぶん絶滅したんじゃないか。

「言わなければいけないこと」を、イコール、「聞いてもらわなければいけないこと」と考えれば、絶滅した理由もわかる。なにせ、嫌われてしまった時点で相手は聞く耳を持たなくなるのだ。言いたいことを言っても意味がない。

昔は、立場的に「嫌いでも、イヤでも、聞かなければいけない関係」というのが今より強かったのだろう。だから嫌われ役にも効能があった。「上司である私しかいない」が説得力を持っていた。でも今はそういう関係がだんだん成り立たなくなっている。嫌いなら離れればよい、二度と自分の上司として見ない。職場での立場がどうあろうが、話はすべて聞き流して、自分が本当に成長できそうな言葉を発してくれる「真の上司」を探して20秒くらい検索すればすぐ代わりが見つかる。

嫌われ役とか第二の父親とか徒弟制度みたいなもの、若い人の間ではもう通用しないだろう。




ただ、そういうのはあくまで若い人とその周りで起こっていることでもある。そもそも若い人って人口比的にも少ない。20%はいないよね。10%ちょっとじゃないか。

となると残りの80数パーセントは未だに、原則的には古い価値観とシステムを引きずっているはずだ。世の中はいつも「新しさ」に注目するからなんとなく自分たちも若い人たちの感覚に合わせようとがんばるけれど、本当はそれほど人間は急に新しくなれない。たぶんまだあちこちに「あえて嫌われ役を演じる」みたいな人はうようよしている。


若い人の絶対数が減り、若い人の中でも少数の上司についていこうという人の割合が昔より少ないので、つまりはものすごいスピードで「相手をしてくれる若い人」が減っているのだけれど、上司の側はぜんぜん減らないし何なら昔よりもいっぱいいる。余りものの上司がいない若者に向かって「あえて嫌われ役」をやるのはむなしすぎる。だったらその「嫌われ先」をどこにするかというと、上司どうしでやっている気がする。

ぼくら上司年代の人間は、互いを若い人の代替にしているのではなかろうか。

年齢は同じくらいかもしれないけれど、すくなくともこの部分では自分に比べて経験がないはずだ、キャリアは同じくらいかもしれないけれど、この領域の知識を得る機会はなかったはずだ、みたいな他部門の上司をどこかからか探してきて、それを勝手に「若い人」の代わりにして、「あえての嫌われ役」を果たして恍惚としている。それを受け止めるほうもまた別角度の上司に過ぎないので、「あえて嫌われた」ことに対してロコツに「あえて嫌い返す」。あえて引用RTして公開でケンカ。芝居じみたニセモノのケンカ。「我々のやりとりをサイレント・マジョリティである今どきの若い人がみることで、きっと何かを感じて、いい方に進んでくれるはず」まで行くとさすがにキツいなーと思う、いもしない若い人を勝手に脳内で増産してまで「あえての嫌われ役」を演じたいのだ。



あえてじゃなくていいから、普通に好かれるやり方をすればいいのに、あえてじゃないとだめらしい。あえてないとあえてないと震える。えっこの曲ってもう12年前なの? 年を取るわけだ。