2023年5月30日火曜日

病理の話(781) 朝と夜とでガラッと変わる

職場で、ぼくのデスクの上にある蛍光灯が切れた。うちの職場では近年、蛍光灯が切れた順番にLED蛍光灯に取り替えている箇所が多く、たぶんぼくの頭上のものもLEDのやつに変わるはずである。

というわけで現在、施設課に新しい蛍光灯を持ってきてもらうまでの間、頭上の明かりがない状態で仕事をしている。このタイミングで顕微鏡を見ると、「細胞の色が変わって見える」のでおもしろい。てきめんに違う。そうそう、明かりの具合によって細胞って変わって見えるんだよなー、ということを思い出し、あらためて心に刻む。



ぼくらが仕事で使う顕微鏡は、プレパラートの下に強い光源を置いて、何枚かのフィルターを通して白色光に変換してからプレパラートを照らすタイプだ。小学生の使うような、周囲の光を鏡で反射するタイプのものではない。だから、部屋の明るさや照明の色と、のぞきこんでいる視野とは関係しないはずなのだが……現実にはけっこう変わって見える。

あまり知られていないのだけれどぼくらが顕微鏡を見るとき、目を接眼レンズにぴったりくっつけることはない。それだとうまく見えない。目と接眼レンズの間は、目とメガネくらいの距離を空けておくのがコツである。この隙間がおそらく関係している。中心視野はもっぱらレンズの中の光景を捉えているのだけれど、「辺縁視」が目とレンズの隙間から、部屋の明るさを見るともなしに見ているのだろう。その明るさが、中心視野の色味にも影響を与えているのだと思うのだ。

たとえば朝に顕微鏡を見たときと、夜に顕微鏡を見たときでは、細胞の「悪そうなかんじ」が異なって見える。これは有名な話だ。一般的に、夜に顕微鏡を見たほうが「一見して、がんっぽく見える」と言われている。そんな、病理医のライフスタイルによってがんかがんじゃないかが決まっちゃうってことですか? と質問されると、いや、そこまで直感だけで診断してないし、いくつものセーフティネットを用意しているから大丈夫ですよ……と答えたいけれど、そういう現象があると気づいていない若い病理医などは、しばしば腺腫と癌の区別を朝昼で微妙に変えていたりする。だからきちんと教えておかないといけない。知っておけば対策ができる。

レンズの中に見ている細胞を、知らず知らずのうちに、周囲の明るさとの差分で判断しているということ。いったんそういうものだとわかると脳内で補正がかけられるのだが、知らないとまずい。



これに関連して……。ぼくら病理医は複数人で一緒に顕微鏡を見るということをする。集合顕微鏡というのがあって、ひとつの顕微鏡からいくつものぞき穴(接眼レンズ)が伸びていて(鏡筒というのを四方に伸ばすのだ)、これでいっぺんに同じ視野を見る。

そうすることで、ベテランがどの細胞を見てどう考えたのかを、若手が学んだり、人によって意見の異なる難しい診断の相談をしたりする。

で、ベテランドクターにこの集合顕微鏡で細胞の見方を学んだあと、自分のデスクに帰ってきて、自分の顕微鏡で細胞を見ると、なんだか違って見える、みたいなこともよくある。

これにも、集合顕微鏡がある場所と自分のデスクとの明るさの差が関係していることがある。まあほかにも、顕微鏡が変われば光源の色が微妙に変わるとか、視野が変わるとかレンズのクオリティ(≒値段)が変わるとかいろいろあるんだけど、そういう見え方の違いを脳内でうまく補正しないと、安定した細胞診断はくだせない。



こういう補正に関してはAIのほうが得意だよね、みたいなことも、よく話している。けれどまあ、人間の脳って本当に優秀なので、そういうものだとわかっていればなんとかなるもんだよ。