2023年10月27日金曜日

病理の話(831) まわらないおすし屋さんの心

自分が得意にしている……とまでは言えないような、とある臓器の病理診断学についての講演を頼まれた。

こういうとき、ちょっと悩む。



病理診断学は臓器ごとにまるで違う。たとえば、食道と子宮頸部と皮膚にはすべて「扁平上皮癌」と呼ばれる病気が出現するが、同じ名前がついていても診断のやりかたは異なる。

「食道病理の専門家になったら、子宮の病理診断をしないほうがいい」という格言があるくらいだ。

どんな病理医にも、自分が得意とする臓器と、「やれと言われればプロとしてやるけど、まあ、そこまで得意とは言えない」臓器がある。

それは経験の差からくるものであったり、あるいは「好み」とか「クセ」によるものだったりする。あと、自分の勤めている病院で多く扱われているかどうか、すなわち「勤め先の偏り」にもよる。



このような病理の話にピンと来てもらうにあたって、イメージしていただきたいのは、「鮨」である。

たいていの鮨にはシャリがあってワサビがあって、いわゆる「おおわくの構造」では共通しているが、ネタが違えば味はべつものだ。

聞くところによると中トロとタコではワサビの量も違うらしい(そうなの?)。大将はネタに合わせて握り方を変えるという。

食道の病理診断と子宮の病理診断も、「顕微鏡を用いる」というシャリと、「細胞質や細胞核に着目する」というワサビは共通している。しかし握り方や味わいは別だ。

病理医は鮨職人。どのネタでもおいしく握るのが勤め。しかし、所在地や季節によって仕入れるネタが変わる。ネタに偏りがあれば当然、「得意な握り」の種類も異なる。

もちろん、素人から見れば、どんなネタを握ってもおいしく仕上げてくれるが、本人の中では、あるいは業界の中では、「やっぱあそこの大将のエンガワはうまい」とか、「あの鮨屋で光り物を食べると絶品だ」みたいな差がある。



鮨屋のたとえを出したところでふと思った。日常の病理診断を「にぎりずし」だとすると、研究領域で用いる病理学は「刺身」であり、臨床医などの前で講演する仕事は「ちらしずし」である。

なんだその例えは!

……と驚いたりおびえたりしなくていい。要は、同じオサカナを使った料理で、いずれも鮨屋で提供されるという共通点こそあれ、人様にサーブするときの勘所がまるで違うということだ。

病理診断は、ネタにあわせて一貫ずつ「パッケージとして完成された答えをスッと出す」ことに真髄がある。

研究はキレ味と鮮度と盛り付けだ。市場で仕入れる段階でかなり決まっていて、提供順序を間違うと客がピンとこない上に、切り口ひとつで味がだいぶ変わる。

講演には「全乗っけ感」がないと満足してもらえない。「お得感」も必要だ。そして見た目がお祭り的でなければ成立しない。ご家庭でつくる「なんちゃって海鮮丼」と鮨屋の「海鮮ちらし」は別ものだ。漬けの手間を惜しまず、お魚以外の食材をほどよく混ぜ、歯ごたえや弾力については「にぎり」とも「刺身」とも異なるバランスで出す。なにより、お腹がすいている人にしか出せない。



以上を踏まえた上で、冒頭の文章を書き足す。



自分が得意にしている……とまでは言えないような、とある臓器の病理診断学についての講演を頼まれた。

こういうとき、ちょっと悩む。

ぼくはこのネタを日頃からよく「にぎって」いる。自分の病院では何度も何度もにぎる機会がある。「刺身」でも出すことはあるが最近はもっぱら「にぎり」だ。しかし、「ちらしずしにしてほしい」という依頼が来た。このネタを「ちらし」にするのはあまりやったことがない。

こういうとき、ちょっと悩む。ちらしかあ……。仕込みが大変だなあ……。