2023年10月10日火曜日

アシスタントが変わることで背景が変わる

伊藤園のリラックスジャスミンティーのラベルに「はなやぐ香り 花1.5倍」と書いてあった。なんのこっちゃと思ってあちこちひっくり返してみると、

「伊藤園オリジナル原料は一般的なジャスミン茶の1.5倍の花を使って香りづけしています」

とある。ジャスミンティーの原料はジャスミンの花だけではないのか。原料欄をみると、「ジャスミン茶(花、緑茶)」。緑茶にジャスミンの花で香りを付けていたんだな。

そりゃそうかと思いつついろいろ調べる。かつては烏龍茶よりもジャスミン茶のほうがいっぱい輸入されていたとか、ジャスミンというのはアラビアの言葉だとか、ジャスミン茶は結局のところ緑茶メインだからふつうにカフェインが含まれているよとか、あんまりこれまで意識していなかった系の情報がぽろぽろ出てくる。昔、息子と沖縄に行ったときにさんぴん茶がおいしいなと感じ、それ以来頻繁にデスクでジャスミン茶を飲むようになった。たしかこのブログでも前に書いたことがある。



――「このブログでも前に書いたことがある」が指から打ち出されている最中、精神の奥に両面宿儺のように控えているもう一人のぼくが、(「前にも書いたけれど」というエクスキューズは無意味だからやめたほうがいいぞ)と言う。確かになあと納得しつつ、そのまま打ち終わり、「無意味だから」でブレーキがかかることってそんなにないんだよ、と、ぼくは振り向きながら奥にいるぼくに伝える。奥のぼくは確かになあと納得してうなずいている。


これまでどこに何を書いたのかがよくわからなくなってきた。書評、ミニコラム、散逸する。検索もうまくワークしない。紙媒体だと絶望的だ。同じ事を何度も書いてしまっている。たぶん。検証ができないから推測でしかない。前に書いたときにどのように展開したかを記憶していない。うろ覚えで前回はこんな感じで書いたから今回はちょっと違うことを書こう、みたいに無理矢理調整している。いっそ、「前回と全く同じように書いてみる」というのをやってみたい。でも覚えてない以上はまったく同じにも書けないのだ。文章のにおいが似通っていて、あっこれ書いたなってニュアンスだけはわかるのだけれど、それ以上には深まっていかない。事実という緑茶にニュアンスの香りをつけたものを飲み終わると、事実はふっとんで香りだけが残り、その香りも次第に鼻の奥から消えていって、最後には事実に含まれたカフェインがにぶく精神を撫でて終わる。


あだち充は過去に描いたマンガの筋をどれだけ覚えているのだろうか。じつは毎回、「まったく同じものを記憶のままに描き直している」のだけれど、記憶がうすれてしまっているために細部から崩れて、最終的には別モノになっている、という可能性はないだろうか。もしくは、担当編集者がうつりかわったり、チーフアシスタントが入れ替わった結果、微細な反応の違いがカオス的にふくらんで結果として別の物語になっているだけ、ということはないのだろうか。