2016年12月30日金曜日

耳かきをするとブログができる

耳かきを突っ込んでいたら脇腹のあたりがくすぐったくなる場所があり、ああ、これがツボなのだなあと感心した。ツボ、すなわち経穴は、WHOもその存在を認めている、などとものの本にはあるが、WHOが認めていたらなんなのだという気がしないでもない。

東洋医学は経験により裏打ちされており、メカニズムはほとんどわかっていなかったわけだが、直近の20年、漢方とかツボとかの理論を西洋医学と照らし合わせる試みが進んでいる。一方で、西洋医学が常にメカニズムを大切にしてきたと言い切るのは簡単だが、大切にしているからといってわかっているとは言いがたい。たとえば麻酔薬がなぜ効くのかは未だにきちんと解明されていないというし、西洋医学とはサイエンス、東洋医学とは経験知だと切って捨てるのも間違っている。洋の東西を問わず、なぜテレビが映るのか知らないままにテレビを見ているかんじで、なぜ人体がこうであるのかわからないままに人体をいじっている。そういうところでぼくたちは暮らしている。

ツボを突くだけで血圧が落ち着いたり胃腸がおだやかになったりするのは、中枢に向かう刺激が途中で交錯して近傍にある神経をうまいこと刺激するからだよ、とか、東洋医学の陰陽はすなわち交感神経と副交感神経のバランスに相当するんだよ、とか、自分の理解できない世界の言葉を自分がよく慣れた言葉に言い換えることで安心するというのは、人間がよくやる手法である。人の言葉が相手に届くかどうかは、相手の心の中にそもそもその言葉が「眠っていて」、それをピンポイントで揺り動かして覚醒させるかどうかにかかっている、相手の心に全くない言葉を投げかけてもそもそも受容できない、と言った人もいる。ぼくらはたいてい、大人になる途中で自分の使える言語をいくつか設定しており、これはそう簡単には入れ替わらない。他言語とのコミュニケーションをはかるために必要なのは一にも二にも翻訳作業だ。東洋医学を西洋医学に翻訳するのも、ぼくらがあくまで西洋医学の人間であるからに他ならない。

こういうことを書くとき、医学のことを書き始めたはずなのに、まるで夫婦関係のことを書いているようだなあとか、上司と部下のディスコミュニケーションについて語っているみたいだとか、教育現場における問題を揶揄しているのではないかとか、自分の好きな分野にも似たような関係が眠っているよと手をあげる人々の姿が見える。メカニズムと経験知の話は幾重にも積み重なった多重レイヤー構造、ないしは入れ子構造となっていて、ひとつの話題を皮切りに各人が自分の興味ある分野で似たような考察をする。ぼくは、同じカタチをした迷路に違う色のインクを流し込んでいるような、ある一つのプログラムを用意して初期値だけを入れ替えて結果を眺めているような、筋道は一緒なんだけど背景とか前提とか初期値を変えるだけの会話、というものを想像している。

ぼくの根幹となっている迷路、あるいは回路というのは何なんだろう、と探りを入れる。

なんとなくだけど、「複雑系」と、「今あるものは適者生存の結果」という2つの理論が、ぼくの全ての思考の背後にあるような気がする。

栄養剤ひとつで体がよくなるわけないじゃん、人体は複雑系であり巨大な緩衝系なんだから、と人を諭そうとしつつ、でもこの人は40年間、外界から刺激を受け続けた結果いまこうしているわけで、もはやぼくの言葉ひとつでどうこうなるわけがないんだよな、だって人の意識だって複雑系だもん、みたいに、自分の殻にこもる。

ぼくが作り上げた心の殻もまた、38年の生存の結果作り上げられた産物で、こうなるしかなかったし、こうなってよかったんだろうな、と落ち着いたりする。

耳かき一つでこういうめんどくさい話題を広げてくるタイプというのがどうにも苦手だ、そう、面と向かって言われたこともある。しかし、このブログに関して言えば、こういう話題をなんとか自分に取り込んで、自分の心の中にある迷路と比べて、違う色のインクでも流して見ようかな、と、思ってくれる人を読者対象として想定している。「大切にしているからと言ってわかっているとは言いがたい」、「ものごとを俯瞰して見られるのはせいぜい自分の過去までで、自分の現在を俯瞰しているとうそぶく人はほら吹きだ」、「言葉は何かをゼロから産み出すものではなく、すでに胎動していた何かをさらに激しく動かして、殻を内側から破らせる手伝いをする程度のものだ」、「何かを信奉している人をまるで宗教みたいだねと罵る人は、何かを信奉している人を全部宗教に例える教の信者である」、こういう言葉を見た時に、「ああ、まあ、自分ならこう言うだろうね、でもまあわかるよ」くらいのリアクションをしたがる人たちが、ぼくのブログを覗きに来てくれるのかもなあと思っている。

2016年12月29日木曜日

病理の話(33) がんの話(5) がんと足場の線維

異常増殖+不死化+異常分化+浸潤。

さいしょの2つで再現なく増えて、3つ目でチンピラ感を出し、4つ目で正常組織のスキマに入り込んだり、破壊したりしてしまうのが、がんである。

ここまでの「がんの話」、4回で、がんの性質四天王とでも呼ぶべきこれらの解説は終わった。

しかし、現実にがん診療をすると、ほかにも知っておくべきがんの特徴というものがある。


***


がんは、英語で cancer 。キャンサー。古い言葉で、カニという意味がある。ギリシャ・ローマの時代からあった言葉らしい。なぜそれがわかるかというと、十二星座のかに座が「CANCER」という表記だからだ。今、聖闘士星矢のコアなファンはうなずいていることだろう。星座を見ていたころから、人はカニのことをキャンサーと呼んでいた。

そして、そのころ、がんにはキャンサーという名前が与えられた。なぜ、当時の人は、がんをカニに見立てたのだろう。

それにはおそらく、2つの理由がある。

1つは、がんが「浸潤する」ということ。がんが、正常組織のスキマに入り込むように、激しく足を伸ばす様子が、カニの足のように見えたのではないか。

そしてもう1つは、がんが「硬い」ということだ。手術のなかった時代であっても、一部のがんは、体表から触れることができた。乳がんなどがいい例だ。ギリシャ・ローマの時代には平均寿命は今より短かったろうが、発症年齢の比較的早い乳がんであれば、当時もある程度の患者はいたに違いない。

一部の乳がんは、硬い。

そして、浸潤して、足を伸ばす。

昔の人は、「硬くて足を伸ばす魔物……カニの魔物が、ちぶさにとりついた」と考えたのかもしれない。



最近の研究では、
「がん細胞は、浸潤する先々で、自分の周りに『足場』を作り上げて、自分がぬくぬくと生きていける環境を作る」
ということがわかってきた。この「足場」というのは、好き勝手に増えて浸潤していくがん細胞に栄養を与える、アジトのような存在であるらしい。足場は線維によってできており、この線維が硬さの原因となる。

がん細胞によっては、足場とかアジトみたいなものをあまり必要としない場合もあるため、がんが全て硬いわけではない(こういう例外は、何にでもある)。

しかし、
「がんが、ある程度硬くなるものだ、周囲に線維を伴うものだ」
という認識が進んだことで、近年の画像診断学は長足の進歩を遂げた。がん細胞だけではなく、がん細胞の作り上げる「足場」を見つけることで、がんをも見つけてしまおうという試みが、CT, MRI, 内視鏡, 超音波などの画像診断においては、今まさに主流となっているのである。

(※以上のことは、放射線科医・病理医であればまず納得して頂けるのだが、医学生、さらには一部の医療者でさえ、知らない場合がある。がんの病理は、まとめて勉強する機会が思いのほか少ない)


がんとは。

異常増殖+不死化+異常分化+浸潤。そして、基本的に、線維性間質の誘導をする。

ここまでで、外堀も内堀も埋め立てた。次回はいよいよ、がんの「本丸」をあばくことになる。

続きます。

2016年12月28日水曜日

ひさ子です(笑)

あれは15年くらい前の話だ。

インターネットが大衆の眼前に降りてきたころだ。

mixiは、まだ招待制だったろうか。

エキサイトなんちゃらとか、なんとかビーチとか、出会い目的のおっさんがうようよしているような交流サイトの全盛期だったと記憶している。

ぼくもまた、「出会い系じゃないよ、交流が目的だよ」みたいな、きれいごとが書かれているサイトに登録していた。日記を書いて、コメントのやりとりがちらほら。現代のSNSには及ぶべくもないスローなやりとり。どこか泥臭く、そしてまだネットに夢を見ていた人たちがいた。

一人の女性と知り合った。その女性と仲良くなったきっかけは、ナンバーガールというバンドであった。自己紹介欄に「邦楽ロックが好きだ」と書いていたら、ナンバーガールは聴きますか、と問いかけられた、そんなきっかけだったと思う。

ぼくは、ナンバーガールというバンドを好きになったばかりだった。……思い出した、あれはやっぱり15年前だ。

知人のロック好きに教えてもらって、一発でハマったのはいいが、一度もライブに行ったことはなく、CDやスペースシャワーTVの映像特集、横流しで手に入れたライブ音源のコピーなどを数枚持っている程度だった。

ネットでコメントをくれた女の子は、「ナンバーガールが好きな人をようやく見つけた」と、はしゃいでいた。


今なら考えられない。ツイッターで「ナンバガ」とひと言ツイートすれば20ふぁぼはつくだろう。

でも、当時は、マイナージャンルの趣味嗜好を摺り合わせるには、おそろしくスレの動かないスローモーな交流サイトなどに書き込んで、粘り強く待つしかなかった。だから、生粋のナンバガ好きであったあの子も、ぼくを見つけてあんなに喜んだのだろう。

ぼくが、解散直前にようやくナンバガを知ったばかりの、「にわか」であるとも知らずに。



ネットで出会った女の子と、はじめてお酒を飲みに行った。こういうとき、やってくるのはマレーバクとかアフリカツメガエルみたいなタイプと相場が決まっているが、思いのほか可愛らしい女性がやってきた。

ナンバーガールのギター、「田渕ひさ子」にひっかけて、自分のことをこう名乗った。

「はじめまして。ひさ子です(笑)」

ぼくは、彼女のことが好きになるかもしれないなあと思った。



でも、話は単純だった。好きになるまでの悠長で怠惰なむずがゆい時間など、そこにあるわけもなかった。

家で音源だけを聴いて、ナンバガが好きだと言っていたぼくと、札幌に住みながら各地のライブに精力的に参加し、ライブ会場でしか手に入らない音源も多数持っていたひさ子(仮名)とでは、ナンバーガールに対する「深度」が違いすぎた。会ってすぐにわかった。

話が続かず、飲み会は1軒目で解散となった。ひさ子(仮名)は、約束していたライブ限定CDを焼いたやつをぼくにくれた。

翌日、ネット上であいさつを交わしたけれど、ぼくはそれ以降、サイト自体を開かなくなってしまった。




「にわか」が、練度の高い人間の中に入っていって、同じテンションで楽しむなんて、できるわけがない。今ならそう言える。38歳のぼくなら、それくらいすぐにわかる。

それもわからない程度の、23歳のぼくは、当時、研究者を目指したり、剣道をしたり、バイトをしたり、とにかく、何もかもをわかってやろうといきまいて、様々に走り回っていた。

にわかに燃え上がる気持ちのまま、カーテンを閉め切った体育館の中に土足で踏み込んで、転がっているボールをバスケのゴールに入れるような、ステージに乗ってひたいに手をかざすような、そういうやり方で、冷笑を浴びながら、自分が本当に好きになりそうなものを、ああでもない、こうでもないと、探し回っていた。



ツイッターで新しい本を見つけて読んだり、新しいバンドを教えてもらって聴いたりするたびに、「にわかの自分」を眺めるもう一人の自分の声がする。

好きならそれでいいんじゃない。

あるいはひさ子(仮名)の受け売りだったかもしれない、声が響く。

2016年12月27日火曜日

病理の話(32) がんの話(4) がんはしみ込んで破壊する

「3.がんは、しみ込んで破壊する。」の話。

ここまでに語ってきた、「増殖異常」+「不死化」+「分化異常」という3本の矢が揃うと、それは腫瘍 tumor と呼ばれる。

あるいは新生物 neoplasm という呼び名もある。

どこか、ヱヴァンゲリヲンっぽさがある。あってはならぬものだし、あるに決まっているものでもある。



「腫瘍」というと、酷く毒々しい印象があるが、腫瘍にも2種類ある。

良性腫瘍と、悪性腫瘍だ。

良いか悪いかという冠が付く。



良いか悪いかは何をもって決まるかというと、単純だ。放置しておくと基本死ぬのが、悪いということである。

悪性腫瘍=がんは、放置しておくと、基本、死ぬ。

良性腫瘍は、放置しておいても、生き死ににはあまり関与しない。

これが定義なのである。



良性腫瘍の代表は、子宮筋腫である。子宮筋腫は、中年女性の3人に1人、いや、2人に1人が持っているくらいありふれた腫瘍だ。放っておいても、筋腫によって人が死ぬことは、ほぼない。

ただし、症状が出る場合があるので、死なないから放っておいていいというわけではない。症状に応じて治療してもよい。

「良い腫瘍」というのは、必ずしも放っておいてよい腫瘍というわけではない。



逆に、「悪い腫瘍」は、放っておけばいずれ人を殺す。ただ、人が殺されるまでのスピードには差がある。

たとえばとあるがんが、「発見されてから100年後に死にます」というタイプだとする。

これはまあ、放っておいてもよいだろう。病気を治療する必要性は、病気だけを見ていては決められない。その患者さんごとの事情とか背景を斟酌する必要がある。


ま、そういう「治療の必要性」についての話は今回の主目的ではない。いずれ語ることもあるだろう。


***


さて。

腫瘍には良悪があるというのはわかった。

では、その良悪を決定づける、腫瘍細胞の性質の差とは何か。

それは、とても単純で、「しみ込んでいくかどうか」にある。

専門用語で、浸潤(しんじゅん)という。


体の中でいかに細胞が異常に増えようと(異常増殖)、いかにプログラム死から逃れていようと(不死化)、いかにきちんと働かなかろうと(異常分化)、しみ込む力がないならば、そのカタマリは

「まわりを押しながら、ごめんなさいごめんなさいと一カ所で広がっていくだけ」

なのである。

満員電車の中で一人のおじさんがとつぜんふくれていくところを想像するといい。

えらい迷惑だけれども。ただふくれていくだけならば。

駅員さんとか鉄道警察が、そのふくれていった風船ヤロウを、どこかに連れて行ってしまえば、車内には平和が戻る。

これが、良性腫瘍の姿である。その場でふくらんでいくだけで、周りにしみ込んで壊すということがない。だから、手術すると、基本は「スポンッ」と採れてくる。後には何も残らない。

後には何も残らないということは、再発の可能性がほぼないということにもつながる。「採り切れてしまう」からだ。



一方、悪性腫瘍……すなわち、「がん」は、周りにしみ込む。スキマを縫って、破壊する。刺さり込む。

こいつが非常にやっかいなのである。

満員電車の中で、「寄生獣」に出てくるようなバケモノが、手足をギャーンギャーンと伸ばして、周りの人の体を刺したり、電車のカベや床に爪を立てる。駅員さんや鉄道警察がヤツを排除しようとすると、周囲の善良な人々をも一緒に車外に出さなければいけない。なんなら、電車ごと破壊しないといけなくなるだろう。

倒さなければ被害が広がる。倒しても被害は広がる。



だんだんと、がんの全貌が見えてくる。

「増殖異常」+「不死化」+「分化異常」+「浸潤」。

四天王が揃った。


続きます。次回、いよいよ、「カニの話」となります。

2016年12月26日月曜日

北から目線アドバンスト

雪かきにはコツがある。

一度にいっぱいやろうとしないことと、腕でなんとかしようとしないこと、ふわふわの雪を固めて足場にした方がいい場所を最初に見極めておくこと、などだ。




北の人が、問われてもいないのに、雪かきのコツをあちこちに書くのはなぜか。

雪かきほど、甲斐のない仕事もないからだ。ここの雪をそこに運ぶだけのことに、ものすごい労力を割いて、やらなきゃ生活できないし、やっても誰もほめてくれない。なんとかラクをできないかと考えるんだけど、ガソリン製の雪かき機は高いしすぐ壊れるし、夏の間置き場所に困るし、燃費はかかるし、融雪槽だって近所の子供が落ちたらいやだなと思うし、ロードヒーティングこそ金がかかってしょうがないし、だいたいああいいうのは「今日は降らないだろう」と電源を落としているときに限って豪雪になる。結局、ぶつくさ言いながらも自分の体でなんとかするしかない。何がママさんダンプだ。手も足も顔も霜焼けになる。コシとか肩とかすぐ傷めてしまう。おまけに、雪かきは、たいしてカロリーを消費しないように思う。別に医学的根拠はないが、もう、そう信じている。雪かきで痩せた人なんて聞いたことがない。ただ疲れるだけで皮下脂肪は減らない、そんな「無駄な運動」がこの世の中に存在するなんて! 汗をかくほど暑くなるけど、ビールがうまくなるわけでもない。思い出した、市町村などが委託受注している除雪のタイミングも腹が立つ。いや、大変なのはわかる、全住民の希望に添えるわけなんてない、ほんと除雪業者がいなかったらと思うとぞっとする、いつも本当にありがとうございます、けど、ま、来て欲しいときに限って除雪は入らず、道は狭いし軽自動車はスタックしまくるし、来たら来たで圧雪アイスバーンが牙を剥くし、道の両脇には人力ではどかせないような強烈に硬い雪山ができあがったりする。極めつけは、「春になったら雪は解けてしまう」ということだ! 信じられない。最初から雨で降れ! 


以上を。

全員だ。全・雪害地域民が、思っている。何も得るものが無い。ただ疲れていくだけだ。

雪かきにはカタルシスがない。

せめて。せめてコツくらいは。ドヤらせてくれい。ついでに肩もんでくれい。




「雪かきにはコツがある。

一度にいっぱいやろうとしないことと、腕でなんとかしようとしないこと、ふわふわの雪を固めて足場にした方がいい場所を最初に見極めておくこと、などだ」

こういう文章をみたときには、全身全霊でほめちぎってくれないと困る。

いいね! だって15万くらいついていいと思う。

毛ガニくらい送られてきていいはずだ。

毎週抽選でハワイ旅行と金銀パールが当たってもおかしくない。

なのに、なんだこの! なんなんだこの!




冬ははじまったばかりです。

2016年12月22日木曜日

病理の話(31) がんの話(3) がんはできそこないだ

「2.がんは、できそこないだ。」の話。

例えば「胃がん」は、胃の細胞にちょっとだけ似ている。「肺がん」は、肺の細胞にちょっとだけ似ている。これを、「形態学的に、正常細胞を模倣している」と言う。

ただし、似ているだけで、実際の役には立たない。胃がん細胞は胃酸を産み出してはくれないし、肺がん細胞は酸素を血管内に受け渡してはくれないのだ。本来持つべき機能を消失しているのである。

体中に散らばっている細胞は、胃であれば胃の役割を、肺であれば肺の役割を果たすべく、手分けしている。持ち場にきちんと分かれて、職種に応じて、見事なまでに形を変えるのだ。

細胞が、果たすべき機能に応じた形をとることを、持ち場に分かれて変化する、という意味で、「分化する」という。

がんは、正しく分化ができていない。「分化異常」を持っている。

前回、増殖異常と、不死化のことを書いた。今回の分化異常で、役者がかなり揃ってきた。

増殖異常+分化異常+不死化で、ほぼ「腫瘍細胞」をあらわしたことになる。



では、「分化異常」があると、なぜ困るのか。がん細胞は、分化異常によって、どんな悪さをもたらすのか。これを語る上で、たとえ話をしようと思う。正確性をやや欠くが、イメージしやすい方を選ぶ。



分化異常があるとは、そこにいる細胞が本来の機能を来さないということだ。これを、チンピラに例える(まただ)。

八百屋さんで働く人。魚屋さんで働く人。道を整備する人。駅で働く人。それぞれの場所に、それぞれの「制服」を来た人々が収まって、きちんと働いている平和な町中に、ごくつぶしが現れる。

このごくつぶしは、その名の通り、穀を潰す。栄養ばかり奪っていくのだ。万引きはするし、店内のコンセントで勝手にスマホを充電するし、優先席のおばあさんを蹴飛ばして自分が座る。そして、何より、働かない。

本来、がんばって仕事をしなければいけない人々に迷惑をかける。町に流通する食べ物や電気は、町の善良な人々が暮らしていくには十分な量だったが、鼻つまみ者がかたっぱしからさらっていっては困る。町が弱る。がんばって流通を活性化させようにも、このチンピラはろくに働かないから、活気はどんどん落ちていく。


ここで、警察に登場してもらおう。体内における警察とは、「免疫」である。悪者がいたら倒す、それくらいのことは、この町にだってできるのだ。

警察の仕事は忙しい。この町には、時折、悪者がやってくる。「細菌」や「ウイルス」と呼ばれるモンスターが有名だ。ゴジラみたいにでかいのもいれば、ゾンビみたいにサイズは人と変わらないけど見るからに凶悪なやつもいる。「明らかに人じゃない」ので、警察も拳銃をガンガンぶっ放す。

一方、「がん細胞」だって悪い奴らだ。徒党を組んで、そのうち町を滅ぼしてしまう。チンピラだって侮れない。いずれはやくざになり、マフィアに育っていく。さあ、警察の出番である。ところが……。

「がん細胞」は、モンスターではない。人の形をしている。善良な市民と対して変わらない見た目をしている。実は裏でひどいことをやっているのだが、町を歩いているときには何食わぬ顔をしている。目も2個あるし鼻もついているし、服だって来てるし靴も履いている。

そう、「善良な市民を模倣している」のである。

だから、警察が、見逃してしまうことがある。すると、のさばる。徒党を組んで破壊行為を始めるころには警察も気づくのだが、今さら抑えきれない。

リーゼントに特攻服の「わかりやすいチンピラ」の場合は、警察もある程度見つけ出して応戦できるのだが(逆に言うと、わかりやすいチンピラのくせに生き残るやつは、腕っぷしが強く、警察にも負けないタイプだ)、おしゃれスーツのさわやか青年みたいな顔をしたサイコパスもいて、こういうのはしばしば警察の目をすり抜ける。


感染症とがんは、人間の永久の敵であると言われる。我々にとって、次々と現れるウルトラ怪獣(感染症)はもちろん脅威であるが、「人の敵は人」というのも、また事実なのだ。

続きます。

2016年12月21日水曜日

妄想派は舞台ではなく役者をいじる

医療現場で研修医などに「先生、逃げ恥みました?」などと尋ねられると、妙に気恥ずかしい。

仕事場で、なごむ話すんのかよ、しちゃうのかよと、半ば気色ばむ。

そして、それの何が悪いのか、と、脳内の穏健派が肩をそっとおさえる。

すると、たとえ自分同士だからってそうやってすぐ体に触んなよ、距離感考えろよ、と、脳内の繊細派がきつい目でにらむ。

直ちに、そうやって何でもかんでも杓子定規に自分のATフィールドを守ることばかり前面に押し出してたら柔軟な情報交流なんかできたもんじゃねぇんだよ、と、脳内の調整役がたしなめる。

そこで、理屈じゃなくて感情でいやだって言ってる人を理詰めで責めるのはかえって反発を招くんだよ、と、脳内の元いじめられっこが目を伏せる。

なぜか、あの女性研修医は日に日にメイクがうまくなってるんだけどきっと彼氏できたんだろうね、と、脳内の軽薄キャラが関係ない話でうまく話題がそれないかと気をもんでいる。

すかさず、そうやって仕事相手が女性だとなった途端にメイクがどうとか彼氏がどうとか考えちゃうの完全にセクハラ思考なんだけどお前落ちるところまで落ちたよな、と、脳内のポリコレ推進部隊が槍で攻めてくる。

横から、外部に発信するセクハラは容認されないが内心思った感じたまで支配することなんて絶対にできないしするべきではないしそれは人間の感情に対する越権行為とも言える愚行だと、脳内の哲学半可通が真っ向勝負を挑む。

かたすみで、いちいち言葉尻とらえて問題だ問題じゃないとせせこましく言葉狩りする人間って知性がないんだよな、と、脳内の悟り世代がため息をつく。

それを、いつもまとめきれないのはこちらの不手際でして誠に恐縮です、と、脳内の座長がまとめにかかる。



「おっ、うまいこと、『恐縮です』で終わらせたね、逃げ恥につながったからこれでブログに書けるよ」と言う声がする。軽薄キャラの声であり、穏健派がお前なかなかやるじゃないかという顔をしている。元いじめられっ子は穏健派に対してなぜか冷たい目線を向けるが、下を向いて黙る。