2022年10月28日金曜日

2ツイート分あるいは寄り道の刈り込み

自分が忙しい理由をつらつら書いていたけれど、このまま書き進めても一本の記事にはならないと思って、だいたい2ツイート分くらいの文章を消して、また書き始めたところである。多くの場合、2ツイート分くらい書くと、そのまま続けて書いて最後まで行けるかどうかがわかる。

何に対しても言えることかもしれない。ちょっとやり始めてみることで、「あ、これ、だめだな」とか、「お、わりと、行けるか?」みたいな感覚がわりと早期にわかる。最初の2ツイをひとまず書いてみることが大事だと思う。ツイートや文章に限らず、何につけても。


今、2ツイート分書いてみて、なんとなくこのまま書けそうだなと思ったので、今度は最後まで書いてみる。


もちろんいつもこの2ツイ予想がうまくいくわけではない。特に、「なんかこれおもしろくなさそうだな」と思っても、がまんして書き続けていくうちに何かが出てくることはあるので、毎回2ツイで先をあきらめているわけでもない。アニメの第1話を見て「つまんなそう」と思っても何話か見ているうちにおもしろくなってくる、みたいなこともある。「2ツイ」にもそういうところがある。

首を捻りながら何千字か書いてみて、うーん、イマイチだなと思って、でもせっかく何千字も書いたからこのまま書き進めていちおう形にしてみるかなあ、と、1万字を少し越えたあたりで、あれ、けっこういいことになってきたぞ、みたいに感覚が反転して、最終的にわりとお気に入りの原稿になる、みたいなことも年に1,2回はある。2ツイート分ではまるで見えず、数千字くらい積み重ねてはじめてそこからうねり出すものもあるということだ。だからたまには2ツイであきらめずに、コツコツと量を書いてみたりもする。


ただし、コツコツしすぎて、あまりに時間をかけて暖機運転をしてしまった文章は、いまどきだと読む人がいない。助走が長すぎるのはよくない。そこで、コツコツ書いているうちになんだか後半から良くなったなあと思ったら、そのまま最後まで書き終えてから、序盤の部分を大幅にいじることになる。「後半良くなった文章」を用意して、それを見ながら前半部分を入れ替えていくわけである。これはわりとうまくいく。明確なゴールが見えていたほうが文章を当てはめやすいということなのだろうか。

いっそのこと、最初にゴールの文章を書いて、それから最初に戻って書いてみればよいではないかと思うのだけれど、それをやるとぼくの場合は、めちゃくちゃ「ネットにありそうな文章」になってしまう。「AIに書かせた文章」と言ってもいい。すでに世の中にあるものの「最大公約数」のような雰囲気がにじんでしまうということ。

それがわかっているから、ぼくはゴールを設定してから文章を書くことはめったにない。


学術的な文章ならば、ある意味「ゴール」は決まっている。データが先にあって、それを示すための文章だからだ。しかし、今書いてみて思ったが(これも書いたからわかったことだ)、データがそのまま文章になるわけではない。データイコール文章のゴールではない。結局、論文であっても、先に考察の末尾の文章を書くようなことはせず、冒頭からきちんと組み立てて書いていく。そのほうがどうやら性に合っている。


そうして、最後まで書いたあとで、冒頭から見直して、「なんでここ、こんなに遠回りに書いてんだ」みたいなところをばさばさ刈り込んでいくのが最近のスタイルである。最初から最短距離では走れないし、寄り道しすぎな部分におそらく本当のぼくが潜んでいる。

2022年10月27日木曜日

病理の話(710) 患者のためというだけではなしに

特定の病気を例にあげてしまうのはあまりよくないのだが……。

たとえばクローン病という病気や、好酸球性副鼻腔炎という病気を診断するときには、病理医の存在は欠かせない。

病理医が顕微鏡を用いて、「あの所見」がありました! と見つけることで、診断がほぼ確定するからだ。診断がきまれば、治療法も決まるから、大切なことですよ。

これらの病気の診断に、絶対に病理医が必要なわけではないのだけれど、ほとんどの主治医は、内視鏡などを用いて患者さんから少量の検体を採取し、病理検査室に提出する。

病理医は、顕微鏡サイズの、0.1 mmにも満たないような変化を見出す。それによって、病気に診断名がつく。

診断がつくだけでなく、患者が「医療費助成(高額な医療費を国などに代わって払ってもらうこと)」をする際にも、「病理医がソレを見つけた」ということがかなり有利に働いたりする。



いちおう念を押しておこう。

医者側が「診断名を決めたいから」病理診断をするのではない。患者にとって得があるから病理診断をするのだ。

そりゃそうだよね。患者プラス国の税制・医療保険制度がお金をしはらうことで医療行為はなされるのだから、あらゆる医療行為はお金をはらう当事者(=患者)にとって「うまみ」がないといけない。

あらゆる病理診断は、なんらかのかたちで、患者にとってメリットをもたらすものでなければいけない。





……しかし、じつは、「患者にとってはさほど重要じゃないけれど、病理診断を深めることで医者が喜ぶ」というケースもけっこうある。

勘違いしてほしくないのは、「医者のためだけに病理診断をするケースはない」ということだ。くり返すけれどあらゆる病理診断は患者のためになる。しかし、「せっかく患者からとってきた検体なので、大事に大事に、とことん見まくって、この患者のためだけではなく、さらに広い目的のためにも使う」という目的が、たいていの病理診断の裏にはひそんでいる。



たとえばクローン病という病気では、診断に役立つ「非乾酪性類上皮細胞肉芽腫」を見つけることが、病理医にとっての大切な仕事だ。それは患者の役に立つからきっちりやるとして、でも、それ以外にも、たとえば閉塞性リンパ管炎を意味するわずかな所見や、同じ検体の中にも炎症のムラがあるという所見を拾っていくことは医者にとって意味を持つし、プレパラートを見るだけでなく胃カメラ・大腸カメラの像を主治医といっしょに眺めて、ここの潰瘍のかたちはいつものクローンと同じ/違うなあとディスカッションすることも、(最終的には患者のためになるのだが)かならずしもその瞬間で患者に貢献しているとは言いがたいくらいマニアックだけれど医者にとってはめちゃくちゃ役に立つのである(早口)。



なぜ早口で一気にダーッと書くか?


それは、「直接患者の役に立つわけではない仕事」をもやっている自分の仕事に対して、誇りはあるし自信もあるのだが、こうして世の中に堂々としゃべってしまうことにちょっとした抵抗を感じているからである。

病院から出る給料は、病理医の、「患者のためになる能力」だけではなく、「医療者のコアにいて医療現場の知恵を担当する役割」にも支払われている。それは間違いないと思うし、正しいことだと思う。でも、その給料は元をたどると、国民から徴収した医療保険のお金、そして患者がしはらったお金なので、「遠回りで患者の役に立つ仕事をいっぱいしています」と堂々と言い切ってしまうことに、未だにウッ大丈夫だよなというためらいと、エクスキューズ(言い訳)と、確認作業が必要な気がしてしまうのだ。



いやその、けっきょくのところ、医者が育つことは患者のためになるからいいんだけどあんまり偉そうな顔してるのもアレじゃんと思って(早口)。

2022年10月26日水曜日

クソリプの生成

何かをつらいと言ったり、自らを卑下したり、誰かに謝ったりしているツイートに、即座に「そんなことないですよ! 大丈夫です!」と声をかけるリプライがついていると、あー、その優しさ、手軽だなー、手間かけてないなーと感じてしまう。


大丈夫では、ない。そんなこと、ある。


いろいろ考えた末の吐露なのだ。本人は悩みに悩んで吐き出しているのだ。


そこにかける言葉として「そんなことないよ」は、共感の言葉としては0点である。


「そんなことないよ」が役に立つ場面はあるだろう、きっとそれはドラマチックで、主人公がいて、相棒がいて、克己、克服、大団円に向かって行くストーリーがあるときだ。


でも、大丈夫じゃない場面だっていっぱいある。


本人が「大丈夫じゃない」からつぶやいているときに、「大丈夫だよ」を言うことは普通に暴力なのである。しかしそれが「手軽なやさしさ」として使われているシーンを、距離感を間違えたリプライによく見つける。





応用問題として。

「自分が普通じゃないことに悩んでいる」というタイプの悩みに、「大丈夫、普通なんてないから。今は多様な時代だから」と答えることも、おそらく雑で、手間がかけられていないのだろう。

普遍はないが「普通」はある、それも人の数だけ。その人が「こういうのが普通だ」と信じていることから外れた瞬間に、つらさは吹き出してくる。

それに対して、「普通なんて自分で決めればいいんだよ!」と返すことは、一見、自己啓発本的に価値の境界線を引き直しているように見えるけれども、じつはあまり救いになっていない。他者が決めた普通にふりまわされることにつらさの本質があるところに、「自分で決めればいい」というのは、結局、その人にさらに負担を強いることにもつながる。




よく言われることだが、「つらい」には、「それはつらいだろうね」以外の返しはあり得ないのだと思う。ただし、そう返すだけならむしろ沈黙していたほうが有益だったりもする。誰かに声をかけるということは、手軽ではないし、手間はかかるし、手癖は通用しない。思索の限りを尽くさないと、その人の中で何巡もしたような、込み入った、複雑な問題に対してかける言葉としては軽すぎるのだと思う。よくそんなに簡単にリプライできるなあ、という場面を、昨日も今日も明日も、何度も何度も何度も目にすることになる。

2022年10月25日火曜日

病理の話(709) わかりませんでしたをどう書くか

今日はちょっと抽象的な話をする。できれば具体的な症例の話とオーバーラップさせたくないからだ。

これまで708回にわたって書いてきた「病理の話」それぞれにも、モデルとなった症例やできごとがある。しかし、ひとつひとつの症例を特定できないように、複数のケースを混ぜたり、脳内でいろいろフィクションを足したり引いたりして、「ある印象的な患者のことを直接書くということのないように」気を配ってきた。今日もそういう話だ。あらかじめご了承ください。




ぼくらは、ある解剖レポートを作っていた。

その患者はさまざまな医療行為の末に亡くなった。死に至るまでの過程はおおむね、医療者にとっても、患者やその家族にとっても、満足……できたかどうかはともかく、納得できるものだった。死の喪失という大きな悲しみはあれど、死に向かうという人間の宿命に不思議はなかった。

ただし、総論としては納得したけれど、医療者も、患者も、その家族も、「ひとつ解せない点」があった。

それは、「最期が少し早すぎた」ことである。

もうちょっと、「持つ」ように思えていた。しかし、すごく単純にいうと、「いきなり心臓が止まってしまった」のである。

(※ここが今回特にフィクションだと強調しておきたい部分です。説明をかんたんにするためにこういう言い方をしているが、特定の症例の話をしているわけではないのでご注意を。)



どれだけ医学が進んでも、人間の生き死にをすべて予測することはできない。ファクターが多すぎるし、運の要素もある。「いつ死んでもおかしくない」という状況は誰にとっても存在する。しかし、「えっ、ここで今、心臓が止まるの?」という事実は、やはり多くの人を動揺させ、悲しませ、振り返らせる。


そうして病理解剖が行われた。「病気自体には納得していた。このようにだんだん悪くなっていくこともまあわかった。しかし、最期に心臓がいきなり止まった(ように見えた)のはなぜなのか」ということを、患者の家族も、医療者も、そしてあるいは、おそらく患者自身も、疑問に思ったからである。

その疑問に答えることは、病理医の仕事のひとつだ。




でも、じつは、病理解剖までしても、すべてがわかることはまれである。なぜなら、人が突然亡くなる理由というのはほんとうに、「ものすごい数」あって、しかもそれらはすべて「まれにしか起こらない」上に、「死後に解剖をしても痕跡が残っているとは限らない」からである。


これは別にぼくが個人でそう思っているという話ではない。ちゃんと論文があるのだ。


ちょっと古い論文になるが、Current Diagnostic Pathologyという雑誌に2007年(15年前か……)に掲載された、"The autopsy in cases of unascertained sudden death" という総説を紹介する。


https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0968605307000439?via%3Dihub


無料では、中身(非常にボリュームがある)を見ることができないだろう。だからこれから、ぼくが、どんな人にも読めるように、ごく簡単にまとめて以下に記載する(病理医はこれくらいは常時頭の中に入れておき、臨床医から問い合わせが来たら即答できる必要がある)。


以下、まとめ。


・剖検の2-5%は死因がわからない。こういうときには、毒物学的、微生物学的、遺伝子学的検索を効果的に追加する必要がある。

・さらに、殺人の可能性を除外しなければならない。

・殺人を除外した上で浮かび上がってくるのが心臓の伝導障害やてんかん関連死などである。

・たとえば冠動脈の動脈硬化は、死因になりうるか。もちろん心筋梗塞の原因にはなりうるものの、実は他の原因で亡くなった人を剖検しても冠動脈の狭窄はしばしば観察される(つまり冠動脈が細いからと言って心筋梗塞で亡くなったとは限らない)。

・薬物や毒物による死の場合、症例ごとに血中濃度は大幅に異なる。死後の体内分布動態も未だに解明されていない点がある。

・「a cause of death」を見つけること自体は簡単であっても、「the cause of death」を見つけることは実に難しい。

・職歴調査や麻酔歴、薬物歴の聴取も重要だ。

・以下、剖検では拾いづらい死因を列挙。


【心臓編】

・冠動脈粥状硬化は、とくに富裕層においてはものすごくよくある話である。かつ、死因の最も代表的なものである。しかし中等度くらいの粥状硬化と死亡との因果関係はいまだに明らかではなく、難しい。

・Myocardial bridging(心筋橋)は、冠動脈の外側に心筋線維が橋のように存在することをいい、労作時に冠動脈狭窄を起こす。ほぼ全例で左前下降枝に認められる。実はすごく多い所見であり、丁寧に探すとなんと85%に認められるというデータあり。ちなみにアンギオではぜんぜんつかまらない。ただし、これが直接の死因になる頻度はすごく低いので、解剖で見つかったからと言ってすぐにこれを原因と考えてはいけない。

・左室肥大: 高血圧性心疾患もちの患者においては突然死の原因としてよく知られている。また、とくにアスリートにおいて、若年性の突発性左室肥大が死因となることがあるが、このときdisarrayは見られない。心臓の重さを測定するほか、左心系と右心系の重さを分けて測ることが求められる。

・心筋炎: 1980年代のDallas criteriaにて診断するが(これはさすがに元論文が古いためである)、このcriteriaは生検診断を基としている。しかも、最近の調査では、ウイルス性の心筋炎様症状を示している患者は生検はほとんどnegativeになるため注意が必要。また、逆に、focalな心筋炎が見つかることもあるがそれが果たして死因になりうるのかという疑問もある。いずれにせよ、死亡原因としての心筋炎にはまだまだ議論が必要である。

・突然死だが心臓に異常がないケースは悩ましい。ある調査では突然死症例の4%ちょっとが心臓に異常を見つけられなかったという。予想されるのは伝導系の障害であり、イオンチャンネルの障害という意味で「channelopathy」と呼ばれたりもする。動悸や失神の病歴を聴取しなければならない。さらに、この病態にはしばしば遺伝子性の背景が存在することがあるため、血液や新鮮臓器の保存が必須である(long QT synd, Brugada synd, short QT synd, catecholaminergic polymorphic ventricular tachycardia(CPVT)など)。

・Long QT: 様々な遺伝子異常が関与。常染色体優性/常染色体劣性のいずれも存在するらしい。Torsade de pointesを伴う心室性頻脈→失神発作。小児~思春期に始まる。5000人に一人が有する異常で、その10%が突然死に至るとされる。

・Brugada症候群: 常染色体優性。症状が出るのはなぜか男性が多い。休息時や就寝時に症状を呈する。20代や30代が多いが、小児でも発症しうる。東南アジアに多く、タイでは「Lai Tai(寝ている間に死ぬ)」と呼ばれて有名。

・Short QT: 家族例、孤発例ともに少ない。

・CPVT: 常染色体優性、劣性ともにある。労作時や感情が高ぶったときに多形性心室性不整脈を発症。15%が心停止に至り、30%は家族に突然死歴が存在する。小児や思春期までの発症が多いが、成人するまで発症しないことも。


【呼吸器編】

・普通は肉眼・組織でとらえることが出来る。重要なのは感染、ぜんそく、肺動脈血栓塞栓症。

・ちなみに、病理医にとってはうっ血浮腫と気管支肺炎を鑑別するのは組織を見ないと無理。ウイルス感染にいたっては組織でしか診断ができない。血清学的な評価を足したほうがよい。

・ぜんそくは突然死の原因になりうる。肺は極度のインフレ状態になるのが特徴的で、組織学的に好酸球増多と気管支周囲の平滑筋の肥厚、mucus plugging, Kirchmann’s(Curshmann‘s) spirals(ねじれた粘液)が認められる。


【脳神経編】

・てんかんに伴う突然死は病理学的に所見が出ないことで有名。今号の特集に別項目で特集を組んでいるのでそちらも参照(まだPDFなし)。

・ほかに神経関連での突然死としては、脳内出血や脳梗塞、動脈瘤破裂。

・ところで、薬の誤用が疑われた症例で血清学的なサンプルが得られていないとき(死んでから来院までに時間がかかっている、など)には、出血巣の血液塊が薬物を含有していることがある。

・第三脳室のcolloid cystは見逃されやすい(brain cuttingによって)。


【血液編】

・Sickle cell diseaseやsickle cell traitでも突然死になりうる。


【代謝編】

・代謝系の異常はしばしば突然死の原因となりうるが、肉眼的・組織学的・血清学的に異常を来さない。

・代表例は糖尿病性とアルコール性のケトアシドーシスである。

・インスリンを使用している場合には低血糖もありうる。まれに、non-ketotic hyperosmolar hyperglycemiaを来すときもある。

・剖検時、もっとも生化学的な検査に向いているサンプルは硝子体液である。ほかの体液もある程度の役には立つが。生前のHyperglycemiaを証明するのにはうってつけ。(普通は糖濃度は0である)


【アレルギー編】

・食物摂取歴や「虫を食べた歴」、「服用歴」が重要。しかし、そういった病歴がとれないこともしばしばある。剖検所見としてはときにぜんそく肺と同様のhyperinflated lungやmucus plugging, mast cell tryptaseやIgG値の異常が見られることもあるが、いずれにせよ特異的所見ではない。


【アルコール常飲者との関連】

・突然死のリスクが上がるのは間違いない。食道静脈瘤の破裂(←肝硬変)などがある一方で、まったく何もつかまらないことはよくある。

・急性アル中死のときのアルコール濃度平均は356mg/100ml (range 250-510mg)。

・胃内容物が気道内にあっただけでは生前に窒息した証拠にはならないが、組織学的に肺に反応性変化があれば窒息の傍証となる。

・アルコールは不整脈のリスクとなると長い間信じられてきた。大酒を飲むと、holiday heart syndrome(休暇明けに出るやつ)のような不整脈が生じることがある。心房粗動や心房細動、上室性頻拍が出る。心室頻拍からVfになるときもあるらしく、どうもこれが常飲者の突然死の原因となっている節もある。

・なお、肝障害や膵障害があるアルコール常飲者はQT延長のリスクがあがるとされる。

・退薬症状は6-8時間で現れる。発作が現れるのだが、それがてんかんにまで進展することはむしろまれ。Delirium tremens(酒客譫妄)はもっとも強い症状で、死亡率が1-5%ほどある。肺炎、肝障害、膵炎がその病態。

・アルコール性ケトアシドーシス: 脂肪酸のβ酸化がとまり、アセチルCoAの余剰が生じてβ-hydroxybutyrateが蓄積。これがacetoacetic acidやacetoneに変換され、ケトアシドーシスが起こる。

【外因性の死亡】

・Negative autopsyのとき、毒物学的検査が解答をもたらすことはままある。この際、どんなサンプルを採取するかを選ばなければならない。これは本来「剖検前に」議論されるべきことである。


【非合法薬物関連死】

・薬物関連死を証明する際には、「病歴の聴取」「注射痕のチェック」「Natural diseaseの程度」「死後の薬物濃度」などを把握する必要がある。耐性の確認も必要。ヘロインその他のオピオイドはtolerantが早い。しかし、「出所後」の人間だったりすると、退薬に伴いtoleranceが低下している可能性があり、低い濃度でも死に至ることがある。

・Methadone関連死においては、治療時濃度と死後の血中濃度がoverlapしているとされる。


【処方薬】

・よくあるのは抗不整脈薬。どのように処方されてきたかを丁寧に聴取。処方薬が死亡に関連していた場合には届けなくてはならない(UKの論文)。


【医療器具】

・薬物と一緒。


【毒性のある気体の吸引に関連する死亡】

・CO: Cherry-pinkが特徴的。ただし、高齢者や小児では比較的低濃度で死に至る場合があり、このときcherry-pinkが目立たないこともある。カルボキシヘモグロビン測定をルーチンでやっているラボは少ないため、気づかなければ。・死亡時の周囲状況の確認も必要になる。

・CO2(高炭酸ガス血症): 急性脳症の原因となりうる。剖検所見はまず何もとらえられない。まるで心臓病でなくなったかのように見える。


【低体温】

・剖検時には何も所見が出てこないことが多い。

・大きな関節におけるred patch、胃のびらん、膵炎などが証明されることがある。

・しばしば、「hide and die synd」と呼ばれる現象が現れる。服を脱いでいたり、カップボードやベッドの下に倒れていたりする。


【感電】

・実は感電のサインを見逃すことがある。特に、手のひらなど(死後硬直の影響もあり)。


【外傷】

・外表に傷がないと、死因がわからなくなることがある。たとえば、「Commotio cordis(心臓振盪)」と呼ばれる状態は、心臓自体は正常に見えるのだが死因になるときがあるという。


【心臓振盪】

・18歳未満にみられることがほとんど。心室細動になるらしい。衝撃をうけてから数秒で意識を失う。剖検になることは少ないが、剖検を行っても心臓自体に変化は見られない。


【脳振盪】

・頭部外傷による死亡は多くの場合、外傷後すぐには訪れない。ただ、頭部外傷の直後に突然死するというのは実はレアであるが、有名である。詳細な神経学的所見をとっても、所見は得られない。


【上気道閉塞】

・上気道の窒息がmechanicalにおこると、特異的な病理学的所見は得られない。Asphyxial death(窒息死)においては、各種臓器のうっ血やチアノーゼ、点状出血などは認められないことが多く、逆に「窒息じゃないとき」に見られることすら多い。自殺するときにプラスチックバッグをつかって窒息すれば、病理医はまったく証拠をつかむことができないとさえ言われている。


【水中からあげた死体】

・事故も自殺も他殺もあり得る。他の病気により失神して落ちただけかも。


【風化してしまった死体】

・完全に白骨化した死体では死因はわからないことも多いが、その程度によっては死因を特定することが出来る。

・毒物学的検査もふつうに行うことが出来る。



だいたいこんなかんじである。まとめると、「突然死の原因はやまほどある」が、「解剖をしてもわからないことはままある」のである。


で、だ。


病理解剖をしたときに、ぼくらはレポートを書く。そこに、「いろいろ調べたけど死因はわかりませんでした」と書くことを、ぼくは部下や医学生にはおすすめしていない。


それはあくまで、「病理解剖を終えた時点でわからない」というだけのことだからだ。上のまとめを見てもあきらかなように、病理医が死体を肉眼で見て、顕微鏡を駆使してさんざん調べても、わからないことは確かにいっぱいあるが、そのとき、「主治医と相談しながらさらに考え続ける」ことこそが重要なのである。しかし、一般には、病理医が「わからない」と言ってしまうと、その時点で「死因不明」として片付けられてしまうことも多い。


「不明だから考え続けよう」というのと、「不明なので調査を打ち切ろう」との差は、現場ではさほど大きくはないのだが(ざんこくな話だ)、しかし、関わった人からすると大きな違いに感じる。


だから、病理医はこのようにレポートを書くべきなのである。


突然死の原因について。

・心臓関連: 心筋梗塞はない。不整脈については病理学的には評価しきれない。○○に関してはない。△△についてはまだわからない。

・肺関連: 肺血栓塞栓症はあったかなかったか確定できない。肺出血はない。気胸はないと思う。

・血管関連~~

・消化器関連~~


おわかりだろうか。「ないものはないと言う」こと、そして、「わからないところはちゃんとわからないと書く」こと。この両者を、両方とも逐一やっていくということだ。「原因をひとつひとつ考えました」というならば、本当にそのひとつひとつを丹念に書いていく。そして、主治医と一緒に、さらに考え続けるための素材を提供する。


これらを一切やらずに、「死因は不明です」とだけ書かれた病理診断報告書は、最低限の仕事にはなっているが、最低レベルのホスピタリティしか備えていないように……ぼくには思えるのである。もうちょっとやさしく働こう。

2022年10月24日月曜日

ナンバーポータビリティ程度でお茶を濁されるのではないか

ここんところ、以前より便利使いしていた出張用ノートPCの調子があまりよろしくない。絶対に買い換えだ! というほど悪くはないが、よくもない。

前はもっと起動が速かった。しかし、だんだんもっさりしてきた。パワポを開くのも気持ち遅い。パワポを進めるにもねばっこい抵抗を感じる。

Windows updateをくり返したせいだろう。時間が経つとどうしても遅くなる。

「何もしなくても壊れた」というのは幻想かと思っていたが、実際、何もしなくても壊れる家電なのかもしれない、PCというものは。

ここ2年半ほど出張が激減しており、出張用PCもあまり使っていなかった。ひさびさに出先で講演をすると、てきめんに「遅い」と感じる。

じわりじわりと遅くなっていったら気づかなかったかもしれない。

へたに2年半あいだをあけたから、遅さに気づいてしまった。





先日のケアネットライブに出演したところ、ひさびさに動くぼくを見たという知人から、くちぐちに、「丸くなったね」「太ったね」と言われた。

じわりじわりと丸くなっていたから自分では気づいていない。へたに間をあけるから気づかなくてよいことに気づく。

三食の米を少し減らす。ついでに塩分も減らす。運動をはじめる。

無駄な抵抗によって体をアップデート。そのぶん、メモリが圧迫され、体が引き締まるより先に、思考がもっさりとしはじめる。





アップデートをくり返すことでだんだん行動が遅くなっていくという現象を、日々じわじわと実感する。ゲームボーイがNintendo DSになり、3DSになったころ、ネットに接続しないと最新のゲームができない環境を少し残念に思った。ゲームボーイはいつまでもモノクロのままだが、何年経っても同じゲームを何度でもやることができるからいいなあと、確かに思った。確かに思ったはずなのに、もう、ぼくの手元にゲームボーイはない。アップデートしてもしなくても時間が経てば使われなくなっていく、ならば、ゆるゆると、気づかれないうちに、もっさりしていくほうを選ぶ。将来的に人類はみずからを機種変更するのだろうか。データ移行の際にパスワードをなくしたりしないだろうか。

2022年10月21日金曜日

病理の話(708) いそげいそげ外注いそげ

「がん」の患者がいる。病変部から検体を採取し、がんであることを病理診断で確定した。

そこですかさず、「次の検査」にうつる。

がんか、がんでないかを決めて病理診断が終わりというのは、(ケースバイケースだが基本的には)一昔前の話だ。

「そのがんがどういう性質を持っているのか」。

より具体的に言えば、「どういう抗がん剤が効きやすいか」を調べるのである。

患者ごと、がんごとに、オーダーメードの治療をするためには、絶対に必要な検査である。



がんの性質をどうやって調べるか。

顕微鏡で細胞を見るためのプレパラートと同じように、がん細胞をプレパラートに載せたものを、もっとたくさん用意する。10枚とか15枚とか、場合によっては20枚以上。いっぱい用意したプレパラート上に、たくさんのがん細胞が載っている。

いつもは、これらにH&E染色という染め物をして、人が顕微鏡で見やすいように工夫をしているのだが……。

今回は染色をしない。目で見るのではなく、その細胞の載ったプレパラートを、検査センターに送って、がん細胞に含まれる遺伝子を調査してもらう。

すなわち、「がん細胞の性質を調べる」にあたって、遺伝子解析をするのである。



細胞を薬品で溶かし、中に入っているDNAを抽出して、それらにどのような「変異(へんい)」が入っているかを調べる。

EGFR, BRAF, ALK, ROS1, MET, RET, RAS……。

これらに変異が入っているかいないかを次々と調べていく。どれかに変異が入っていれば、その変異に対応した「効きやすい抗がん剤」を、次の治療で使うことができるのである。



「がん細胞の中にあるDNAに、どのような変化があるかによって、抗がん剤の効きが違う」という一文は、わかるようでわからないかもしれない。

うーん、例え話だとどうなるかな。

ヤクザの出身地が香川県だとしたら、讃岐うどんを食べさせながら取り調べをしたら簡単に自白する、みたいなかんじかなあ。違うか……。

とにかく、EGFRに変異があればこの薬が効きやすい、RASに変異があればこの薬は効きにくい、みたいなものがある。

それも、毎日のように、新しい組み合わせが見つかっている。日進月歩だ。患者からするといいことである。10年前には使えなかった薬が今は使える、ただし、その薬にぴったり合った「遺伝子の異常」があればの話。だったらできるだけ多くの遺伝子を調べて、使える抗がん剤を選べたほうがいいのは当たり前である。



さて、この遺伝子解析、当然ではあるのだが、時間がかかり、金もかかる。そして、プレパラートに細胞を載っけてただ検査センターに出せばいいというのではなく、「患者からとった細胞の量が十分足りているか」、「がんをとってきたはいいが、大部分がヘタって(壊死して)いたりはしないか」というのを、病理医が顕微鏡で確認してから検査を出す。

これがけっこう面倒で、時間もかかる。検査センターへの郵送の往復時間も考えると、今日調べて明日わかるというものではない。

でも、患者からすると、検査というのはとにかく、早くわかればわかるほどありがたい。もちろん、中には、「いずれ必要になるかもしれない抗がん剤治療のために、早めに検査を出しておこうね」みたいなこともあって、そういうときは遺伝子検査に1週間かかろうが2週間かかろうが、さほど誰も困らないのだけれど、がんが大きくなっていて、すぐにでも治療をはじめたいというときには、なるべく1日でも早く、検査の結果を知りたいだろう。

病理検査室から「遺伝子検査の外注」をするときは、だから、ぼくらは、すごく急いでいる。

「検査センターの検体回収(ラボに検体を運んでくれる人がやってくる時間)まで、あと30分しかない! これを逃したら検体提出は明日になっちゃうぞ! そしたら来週は祝日が1日あるから、検査結果がへたすると再来週になっちゃうぞ! それはかわいそうだ! いそげ! いそげ!」

わりとこういう雰囲気で毎日ぴょこぴょこせわしなく働いている。この大急ぎの様子を、患者はもちろん、主治医もあまり知らない。でもたぶんぼくはこの外注作業だけで毎日1キロくらい痩せていると思う。



あ、ちなみに、検査センターからかえってきた結果を見て、電子カルテに反映させて、主治医と相談する仕事もしてます。これもけっこうせわしないよ。病理医ってわりとせわしないよ。


2022年10月20日木曜日

脳だけが旅をする

モンゴル・ウランバートルの病院に勤める病理医たちがカシミアのマフラーと手袋を送ってくれた。ぼくが月に1度のペースで病理診断の相談に乗っているのでそのお礼だという。水くせぇな。

マフラーと手袋は「GOBI」というブランドだ。チンギスハーン国際空港で見たことがあり、"the world's largest cashmere store"(世界で最も大きなカシミア販売店)と高らかに宣言されていた。

ホームページはすごくきれいで、カシミアゴートが笑っている。



包装はどことなく「一昔前の百貨店」を思わせるけれど、箱を開けてみると中にはとても上品な色合いのマフラーと手袋が入っていた。帰宅して妻に見せると「それはすごくいいやつだよ、コートに毛つくから気を付けて」と言われる。ああ本当にいいやつなんだとそこで納得してあらためて感謝した。


そしてプレゼントの中にはもうひとつ、「Golden Gobi」と書かれたナッツ入りチョコレートが入っていた。これも空港でよく見たおみやげだ。とにかくモンゴルではチョコ推し、そしてGobi推しである。探してみるとインスタがあった。



チョコのパッケージの紙質が、まさに「紙」というかんじで、日本のラミネート過剰なパッケージングと違うため、一瞬だけパチもん感を覚えて少しひるむのだが、食べてみると甘すぎずビターすぎず、なんともおいしい。



くりかえし出てくるGobiとはもちろんゴビ砂漠のことだ。国を挙げて大事にしているのだろう。日本に置き換えてみると、マフラーやチョコレートのブランドに「富士」が付くことはあまりなさそうだし、worldでlargestと表記することもないように思う。


はじめてウランバートルを訪れたとき、モンゴルの内視鏡医と病理医がぼくと上堂先生(大阪)とを日本製のランクルに押し込んで、「モンゴルらしい風景を見せてあげるよ!」と言って4時間(!)走って「モンゴルっぽい場所」まで連れて行ってくれた。馬に乗ったり、ゲルの中に入ってウドン的何かを食べさせてくれたり。







えっ、ここまでしてくれるなら彼らが北海道に来たときはぼくは4時間走って釧路湿原に連れて行かないといけないじゃないか、とびっくりし、恐縮した。なおこのときのウドンに当たったと見えて、ぼくは帰国直後、新千歳空港を出て自分の車に乗ったころからお腹が痛くなり、そこから2日ほど寝込んだので(発症が少しずれていたら入国できなかった可能性もある)、写真はいっぱいあるがモンゴルでの記憶はいまいち曖昧になってしまっており、写真を見ながら「そういえばこんなこともあったんだったか……」とあとから振り返って記憶を半分くらい捏造した。

じっさい、写真をよく見るとぼくらが乗っているのはウマではなくラクダなのであった。




Gobiの洗礼により脳だけの旅をしたぼくは、その後はじめたブログの背景にモンゴルで撮った画像を使うことにした。




これを書いている日(10月12日)、突然、11月26日(土)にモンゴルに来てしゃべってくれと言われた。1か月半後の予定はさすがに開けられないのでお断りせざるを得なかった。残念である。モンゴル人はみんな気さくで、「冬にはよく酔っ払いが凍死してるよ! ガハハ」と笑いながら一緒にお酒を飲んでくれる。一緒にお酒を飲みたかった。