2017年9月27日水曜日

病理の話(125)

プレパラートの中では時間が止まっている。

「今」を固定している。

だから、

「がんはどこから現れて、どうやって大きくなってきたんだろう」

を考えるとき、すなわち

「時間経過とかダイナミズム」

を考えるときには、とても工夫しないといけない。




がんの科学は、対象とする細胞がとても小さいということ、それが人体の中という簡単にはもぐりこめないところで起こっていること、さらには病巣が大きくなるまでに10年以上の時間がかかることなど、複数の理由により、直接観察して解明することが難しい。

そんな中でも、がん細胞を様子を直接見ることができるプレパラート、あるいは病理学というのは、がんの科学にとってはかなり真実に近いことは間違いない。

けれど、あくまで止め絵であるからこそ、時間経過やダイナミズムについては簡単には観察できないわけである。



世にいるあまたの研究者の誰ひとりとして、人間の生体内でがん細胞が発生する瞬間や、がん細胞がメリメリと増えてまわりにしみ込んでいくところをリアルタイムに観察した人はいない。

培養皿の上で、環境を整えて、がん細胞を培養して、タイムラプス顕微鏡で観察した人ならいるけれど。

培養細胞の挙動が、生体内の動きと全く一緒であるという保証はない。むしろ違っているだろうと言われている。

ヤクザをひとりとっ捕まえてきて、研究所の中に作った箱庭に話して、「さあ今から普段通りに振る舞え」と言われても、ヤクザだって困るだろう。

それと一緒だ。




がんの科学は、究極のところ、直接見て考えることが難しい。

つまりは、「想定」と「類推」の上に成り立たせるしかない。今見えているものからストーリーを思い描くだけの想像力、そのストーリーが現実に起こっていることと矛盾しないのだという観察力、それぞれが必要なのである。




細胞を観察して思い描くストーリーが「ほんとうのこと」であると証明するためには、コツがいる。

そのコツは、たとえば、「写真一枚を見て、そのとき何が起こっていたかを想像する」作業と似ている。

豪華客船タイタニック号の写真を見て、側面に火災の痕があったことに気づいて、「実はタイタニック号は出港直前より貯蔵していた石炭が発熱していて、使える石炭の量がきわめて少なくなっていたために、巡航を急いで、結果的に氷山に激突してしまった」なんて、見てきたかのような仮説がテレビに出ていた。

ほんとかなあ。

けれど、この「ほんとかなあ」を、顕微鏡を見て病気を診断する病理医も、ときどきやっている。





胃がんのプレパラートを丁寧に観察する。がんがない人の胃と見比べる。そうして、ひとつの法則に気づく。

「あっ、胃がんがあるときは、高確率で腸上皮化生(ちょうじょうひかせい)が周りに見られるなあ」。

何十例も、何百例も見ているうちに、確信に変わる。

「胃がんと腸上皮化生は、高確率で合併しているぞ」

そこから、類推する。

「まず、正常の胃粘膜が腸上皮化生に変わり、腸上皮化生ががんになるに違いない!」



これは結構長い間信じられていた仮説である。今でも信じている消化器医師は多いだろう。

けれど、間違いだろうと言われている。




腸上皮化生を痴漢に例える。

がんを強盗犯人に例える。

治安の悪い土地があると、痴漢がそこかしこに出現する。

そして、強盗犯もあらわれる。

このとき、「痴漢が強盗犯になった」と考えるべきか?

普通はそう考えない。

「治安が悪いという共通の理由があって、痴漢も、強盗犯もあらわれた」。

この方が自然である。




胃がんも一緒だ。胃に悪さをする何か共通の背景があって、そこに腸上皮化生が出現し、ときおりがんも発生する。

別に、腸上皮化生が直接胃がんに変化したわけではない。

このことを、専門用語で、

「腸上皮化生は傍がん病変 paraneoplastic lesionであり、前がん病変 preneoplastic lesionではない」

という。

パラ(一緒に出現する)ではあるが、プレ(前触れ、元となるもの)ではない。




しかし、腸上皮化生が前がん病変であるという誤解はずっとあった(繰り返すが、今でもある)。

なにせ、顕微鏡で時間を止めて観察すると、腸上皮化生とがんが一緒にある確率が高いから。

すぐに飛び付きたくなる仮説であることは間違いない。

けれど、腸上皮化生とがんの分布をより細かく観察したり、遺伝子の変化などを丁寧に調べていくと、だんだんこの仮説が「ちょっと現実に合わない」ことに気づいてくる。

仮説はいつでも仮説だ。真実そのものではない。

常に仮説は更新し続けないといけない。それが「がんの科学」である。

直接見られないからこそ、仮説で戦う。仮説で戦うからには、常に仮説を新しいモノへとマイナーチェンジし続けていく。

人間、結局、アップデート方式に落ち着いていくものなのだ。

スマホにしろ。アプリにしろ。ゲームにしろ。

最初に買えばそれでOK、ずっと長く使えます、という時代ではない。

最初に採用した仮説を、使い続けながら、より人々になじむようにアップデートしていく。

それこそが「がんの科学」なのである。




最初に立てた仮説だって、決してとっぴな発想ではない。

真実とはちょっと違う。そんなことは織り込み済みである。でも、ある程度は妥当なのだ。

だったら、その妥当な部分をうまく見抜いて、診断や治療に活かせばよい。

そうやって、医療は人々を救ってきた。

完璧でない仮説であっても、妥当な部分をきちんと用いて医療をやれば、診療は可能であり、患者の役に立つ。

そして、今の仮説で満足してしまってはだめだ。

観察をくり返し、知性をふりかけ続けると、少しずつ、仮説がより確からしいものに変化していく。

10年前の医療よりも今の医療はたいてい真実に近い。




顕微鏡を見る診断は、時間経過やダイナミズムに弱い。

それを補うために、統計学とか、遺伝子解析とか、様々な手法を用いて、少しでもよい仮説を構築しようと、「その瞬間で最高の仮説」を探す。

病理医がこの仮説形成を繰り返すことで、時間を止めて観察していたに過ぎなかった病理学に、ダイナミズムが生まれる。

仮説が時間経過とともによいものに変わっていくのである。

すなわち、病理学は、時間経過やダイナミズムに弱いというよりも、時間経過やダイナミズムに自ら取り込まれていくべき学問なのだ。

ストーリーテリングができる病理医はよい病理医。

仮説をうまく説明でき、かつ、今ある仮説を常に疑い続ける病理医はよい病理医。




やっぱりちょっとホームズ感があるな。

数回前のブログではワトソン感があると言ったけれど……。